第三章 調査
第17話 PK
テスト明け。俺たちはすぐに新聞部を訪れた。部室は一階の端の方にあった。忘れ去られたような古い教室は、やけに薄暗い。棚には分厚いファイルがいくつも刺さっている。真ん中にローテーブルと一組のソファがあるが、革張りが破れかけてぼろぼろだ。奥にはデスクと、年代物らしき分厚いパソコンが一つ。
座って文庫本を読んでいた女子生徒が、来客の気配にぱっと顔を上げる。上履きの色を見るに、二年生だ。ショートカットのよく似合う、目のくりっとした美少女だった。
「まひろくーん!」
飛びつかれたまひろが、ぐわっ、と情けない声を上げた。「よしよし今日もかわいいね」と撫でられるのを、俺とみっきーはぽかんと見ている。何を見せられているのやら。
「客人の前でしょーがっ!」
まひろが真っ赤な顔になって先輩を引きはがす。怒っているのか、照れているのか。
「もー、そんなに怒んないでよお」
怒られた当人はへらへらしている。先方はそれから、さっとこちらに向き直る。
「ええと?」
「三月です」みっきーが静かに名乗った。
「君が噂のみっきーくんかあ。ようこそいらっしゃいました」
みっきーがされるがままに握手をする。俺も握手を求められ、呆気にとられながらそれに応じた。なんだろう、この人懐っこさは。
俺たちを迎えた二年生の女子――ユウ先輩は、活発で溌剌とした感じの人だった。オカルト好きと聞いていただけに、もっと陰気な感じを想像していたから、なんだか意外だった。「あの人とどういう関係なわけ」と耳元で聞くと、まひろは「別に。あの人はおれを犬か猫みたいに思ってんの」と不機嫌そうに答えた。
「お菓子、何がいい? 和菓子と洋菓子どっちが好き? あ、ラスクあるよラスク。食べる?」
はあ……とみっきーはすっかり圧倒されている。ユウ先輩はぴょんぴょんと跳ね回ってお菓子を用意する。なんだか全体的にうさぎみたいな人だ。
あっという間にローテーブルがお菓子でいっぱいになった。まひろがいつか持ってきていた和菓子のアソートから、箱入りのラスク、クッキー、ざらめのついたゼリーみたいなお菓子、等々。学校にお菓子はご法度――名目上は少なくともそうだ――だったが、意に会する様子はない。冷房もきいているし、なるほどなかなか居心地は悪くない。
ユウ先輩は紅茶まで出してくれた。にこにこと俺たちに対峙するユウ先輩の傍らで、同じく楽しそうにこちらを眺めている三年生の男子が、新聞部の部長。こちらも朗らかそうな人だ。「受験生なのに勉強しなくていいんですか」と訊くと、「息抜き、息抜き」と老獪に笑う。
「んじゃ、お話を聞かせてもらおうかな」
ユウ先輩がラスクの袋を開けた。
「なるほどー、これは興味深いですなあ」
話を聞き終わったユウ先輩は、爛々と目を輝かせていた。暢気なものだ。まひろも同じことを思ったのか、「他人事だからそんなこと言えるんですよっ」と噛みつきにいく。「ステイ、ステイ」と宥められているのを見ると、犬扱いと言うのもむべなるかな。
「みっきーくんはサイコメトリができるのかもね」
「サイコ……?」
「モノから情報を読み取るっていうの? 一種の超能力」
当たり前のように言い切られる。
「アメリカだと犯罪捜査とかにも使われてるらしいよー、モノの残留思念を追って、行方不明者を追跡すんの。痺れるよねー」
ユウ先輩はうっとりと頬に手を添える。そういうのって映画の中だけの話じゃないのか。
「……で、みっきーがそれだと?」
俺が話を向けると、ユウ先輩はぱっと表情を切り替える。
「かなって。なんでもトランプがべらぼうに強いんだって?」
合宿の夜のことを思い出す。ポーカーでは必ずスリーカード以上だった。ブラックジャックもほとんど二十一近辺だった気がする。初っ端から俺がドヤ顔で二十を出したら、申し訳なさそうに二十一を出されたから覚えている。おかげでまひろにはげらげら笑われた(ちなみにまひろは二十六だった)。
「あと、妙に勘が鋭いところがあるとか」
「……その辺は気のせいで片付く範疇じゃないですか?」
「でもさー、『学校』での話を聞くと、やっぱサイコメトリっぽいんだよな。怪現象を見て、なんかしらの記憶を見た。それって、過去の思念を見たんじゃないかな?」
「霊が見せたという可能性は?」
言って、「霊」という言葉を当然のように使ったことが苦々しくなる。ユウ先輩は特に気に留めない様子で、
「そうだったら、三人ともが同じものを見てそうじゃない?」
うっかり納得しそうになるが、それでも疑念は残る。
「あの……」
言いにくそうに切り出したのは、みっきーだ。
「触らずにモノをねじる、っていうのも超能力の一種なんですよね?」
「そうだね。PKの一種だと考えると、大雑把に言えばそう」
みっきーの言いたいことをなんとなく察した。みっきーが仮に超能力少年だったとすれば、人をねじ切ることもできたのではないか、ということだろう。案の定みっきーは言った。
「僕はその子と同じことをしたのかもしれないと思ってるんですけど」
「んー、それはないんじゃないかな」
ユウ先輩はやけにきっぱりと否定する。
「超能力って言っても大きくは二つあるの。物体に影響を与えるものと、知りえない情報を知れるものと。超心理学では、前者をPK、後者をESPって呼んだりするんだけど、この二つが同居するのは、あんまりないんだよね」
例えば、とユウ先輩はティースプーンを持ち上げる。
「PK、念力の有名な例は、スプーン曲げだね。PKも大別すると、金属に影響を与えるもの、生物に影響を与えるもの、静止物を動かすもの、とかいろいろあるんだ」
ユウ先輩の言うところによれば、超能力者を謳う人間でも、ほとんどの場合、使える能力はごく限られているらしい。
「やっぱり超能力者っていっても人間だしさ、万能ではないわけだ。オールマイティな人は本当に少ない。あたしたちもほら、勉強はできても絵がてんでだめとか、英語はできるけど古文は苦手とか、そういうの、誰でもあるでしょう? 得意分野とそうでないのがあって当たり前。――ちなみにみっきーくんは、このスプーン曲げれる?」
急に名指しされたみっきーは、難しい顔でスプーンを凝視する。ピクリとも動かない。
「……そもそもスプーン曲げとか本当にあるんですか?」
俺が言うと、ユウ先輩は「あるよ」とさらりと言ってのける。
「ちょっと昔に有名な人がいたんだよね。その頃ってテレビの影響の広さは今よりバカにならないし、感化された子供たちが何人も出たりした」
「へえ……」
「ちなみにあたしもできるよ」
突然の告白に、一同がにわかにざわついた。
ユウ先輩はスプーンを下ろし、うぅん、とかなんとか言って眉根に力を込めた。「ほら」と差し出されたスプーンは確かに曲がっていた。オーディエンスが「おお」と声をあげる。俺だけがすっかり白けた気分でいる。
「……それ、手品でしょう。机の角を使ってた」
「ありゃ、ばれちった」
目線の高さの問題だろう。俺の位置からは押し当てたのが見えた。部長もきっと気づいていただろうが、わかっていて面白がったのだろう。
なんだよお、とまひろが露骨に肩を落とす。
「そんなことしても説得力なくなるだけでしょ……」
俺の溜息に、「ちょっと驚かせてみたくなったんだもんっ」とユウ先輩は唇をとがらせる。
「なんでかなー、あたしはこんなに超能力ラブなのに、てんでだめなのよね。一方的な片想いだわっ。悔しいなあ」
ユウ先輩は曲がったスプーンをぶんぶんと振る。……ていうかそれ、学校の備品なんじゃ。
「まあ、全部をこんな風な手品だインチキだっていう人もいるし、実際に超能力者を騙って金儲けしようとした人だっていっぱいいたわけだけど。その中には少なからず本物もいたんじゃないかなー」
なんだか微妙な雰囲気になる。とにかく、とユウ先輩は居ずまいを正した。
「類似した力――同じPKとか、そういうのならともかく、本来まったく別の領域にあるESPとPKが同居するのは珍しい。それに、生きている人を引きちぎれるような強い力なら、普段から何かしらの形で自覚していると思うんだ。でもみっきーくんにはそれがなさそう。土壇場で咄嗟に、っていうセンもなくはないけど、二人がたまたま同じ能力を同じ規模で持ってた、っていうのも妙でしょ。それよか、少なくとも生前からPKもちだった彼女の仕業だって言った方が、説得力があるんじゃないかなって」
よって、みっきーの同級生や親を殺したのは、件のラスボスだと考えた方が、より自然というわけだ。
「あ、そっか。だから強いんだろうなあ、彼女は。強烈な感情をこの世に残してるだけじゃなくて、もともとが凄まじいエネルギーをもった子だったんだ」
まるで貞子だねえ、とぶつぶつ。
みっきーは納得した風ではあったが、どこか表情は暗いままだ。それを察したのか、ユウ先輩は急に真顔になった。
「あのね、あんまり同調しない方がいいよ」
みっきーは叱られた子供みたいに目を伏せる。
「そういうつもりはないんですけど……」
「みっきーくん優しそうだからねえ。その上彼女の同情的な過去まで見ちゃってる。……けどね、引っ張られるのはよろしくないよ。そもそも君が彼女に気に入られちゃってるのは、どこかに親和性があったからなんだ。感情とか、体験とか。それがどんどん彼女の方によってくと、取り込まれちゃうかもよ、君」
いよいよみっきーはうつむいてしまう。なんかこれあたしがいじめたみたいだなあ、とユウ先輩が気まずそうに言った。
「ごめんね、ちょっとキツい言い方しちゃったね」
「違うんです。……しっかりしなくちゃいけないなと思って」
そうは言うが、どことなく塞いだ様子だ。
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