第35話 呪縛と破局
僕は二年ぶりに実家の門の前に立っていた。
誰も引き連れていない。
一人で追い出されて、一人でこの屋敷に戻ってきた。
父の仕事は順調なのだろう。
広大な庭園が拡張され、新しい館が二つも増えている。
門の前には僕が生まれる前から家人として働いている老紳士が待ち構えていた。
まるで僕が来るのを知っていたかのように。
彼は家の裏口から僕を客間に通してくれた。
落ち着かなかった。
自分が住んでいた場所とは思えないほど居心地が悪い。
何故来てしまったのか。
見なかったことにして、何も知らないことにしてみんなのいる家に帰れば幸せだったのに。
後悔する気持ちが湧き上がっている最中、ドアが勢いよく開け放たれた。
「ああっ! ウィンちゃん! 帰ってきてくれたのね‼︎」
母さんは目に涙を浮かべて僕に抱きついてきた。
以前に増して衣服は豪奢なものとなり、香水の匂いが強まっていた。
使用人が運んできた紅茶の載ったテーブルを挟んで僕と母さんはソファに座っている。
母さんはウキウキとした顔で僕に笑いかけながら今の家の状況を話してくれた。
僕が出ていった後、父はダンジョン探索の事業に乗り出したらしい。
自ら用意した私兵を使ってダンジョンを探索する、いわば民間の冒険者ギルドだ。
原則、ダンジョンは国で管理されており、冒険者の採集品は冒険者ギルドに卸さなければならないルールになっている。
これはダンジョンが生み出すレアアイテムを国や貴族が取り逃さないためだ。
冒険者としても簡単に換金することができるこの仕組みは歓迎すべきものだが事業として参入している商会としてはそうでもない。
その商会の不満のガス抜きをさせるために国や領主が行っているのがダンジョン探索権の売買。
この権利を取得することで商会はダンジョンを独占的に探索する権利を有し、採集品を全て自分の懐に入れることができる。
統治者側からしても増え続けるダンジョンをすべてギルドだけで管理するには限界があった。
冒険者の中にもギルド以上の厚遇を受けられる商会の専属冒険者を目指すものも多い。
まさに三方よしの施策なのだ。
「でね、旦那様が新しいダンジョンの探索権を買い取ったの。今、各地のギルドから有望そうな冒険者をスカウトしているところなの」
「それでヒッチと仲が良かったのですね」
ヒッチの名前を出した瞬間、機嫌がよかった母さんの顔からスッと熱が引いた。
「ああ、そこまで知られちゃったのね。やり手と聞いていたけれどこんな子どもに尻尾掴まれているようじゃ期待はずれね」
家族の中で唯一僕に優しくしてくれる母さん。
だけどそれは優しい人間ということではない。
キャデラック商会の内務を牛耳る冷酷な経営者だ。
母さんの頭の中にある相場情報ではヒッチ株が急速に値下がりを起こしているのだろう。
不機嫌を隠そうともせずにテーブルにあったタバコの煙管を手に取った。
「母さんが彼女に手紙を送ったということしか知りません。先程の話が理由と言われれば、納得します。ですが、それ以外にもやり取りをなされていたのではありませんか? たとえば……僕の近況であったり」
僕の問いかけにうなずきながら母さんは煙草をふかし始めた。
くゆらせた煙が立ち込めると同時に不穏な空気が降りてきた。
「ウィンちゃん。旦那様はあなたを追い出したけれど、私が必ずこの家に引き戻してあげるわ。あなたには天賦の才があるもの。トーダイの特待生に選ばれるほど優秀な子どもを私が手離したりするものですか」
「もう、この家に戻るつもりはありません。仲間がいるんです。僕は彼らのために自分の力を使いたい」
驚くほど自然と言葉が出てきた。
それくらい実家に引き戻されるのが嫌だった。
母さんには感謝している。
家を与え、援助もしてくれた。
そんな優遇を受けて冒険者を始められる者はまずいない。
だけどそれらすべてが母さんの目が届く範囲に僕を縛り付けるためのものだったのなら、鳥籠に囚われていたようなおぞましい気分だ。
「仲間……ね。友達ができずに追い出されるようにしてトーダイを辞めたあなたがそう言うなんて、随分信頼しきっているのね」
「信頼しなきゃ仲間じゃないでしょう。冒険者は互いの命を預け合うんです。僕は彼らを救い、彼らに救われた。今の僕にはこの家の暮らしより仲間と過ごす毎日の方が大事です。今日はそれを伝えたくて参りました」
ソファから立ち上がり、この場を去ろうとした。
瞬間————ガンっ‼︎ と母さんがキセルでテーブルを叩いた。
「勘違いしちゃダメよ。仲間というのは契約にすぎないのだから。自分の利になる間は親しくするけどそうでなければ切り捨てる。おとぎ話でも英雄譚でも、冒険者パーティの追放話なんて食傷気味になるくらいあるでしょう」
「アオハルのみんなは違う。自分勝手でやかましくて強引なヤツばかりだけど強い絆で結ばれた本当の仲間です」
「そりゃあ彼らはねえ。異端の神を崇拝する怪しげな孤児院で育てられていれば寄せ集まって生きるしかなかったでしょうよ」
「僕の仲間を愚弄しないでください!」
「あなたの、じゃない」
ヌルリ、と粘液塗れの手に首をなぞられるような気持ち悪さを感じて鳥肌が立った。
母さんの目に嗜虐の念が宿る。
「あなたは彼らのパーティに混ぜてもらっているだけ。あなたを加えることで利になるから一緒に過ごしてくれているだけなのよ」
「そ、それが悪いことですか⁉︎ 僕は曲がりなりとも経験のある魔術師だったから新人の彼らを指導した。今はレベルも上がって、強力な魔術も使えるようになった。僕の存在は彼らの利に」
「彼らはあなたの力を欲していたわけじゃないわよ。だって全部私が仕組んだことですもの」
…………なんだって?
「二ヶ月ほど前かしら。ヒッチにあなたのことを相談したの。『そろそろ旦那様にウィンちゃんを家に戻すよう説得する材料が欲しい。冒険者として実績を上げるのが一番だけれど、良い方法はないかしら』って。すると彼女は『御子息が苦労なさっているのはソロでパーティが組めていないからです。魔術師は本来パーティバトルでこそ真価を発揮する職業です』と。だから私は彼女に資金を渡したわ。この意味が分かるわよね。あなたの仲間は私が用意したお金でヒッチが買ったの」
……後頭部をいきなり殴られるような衝撃を感じた。
足下がぐらりと揺れて、上手く息が吸えない。
「新人パーティには大金だったでしょうね。冒険者は初期投資がかかる仕事。借金なく稼業を始められるなんて美味しい話だったでしょうよ。しかもあなたに取り入れば寝床まで確保できる。ちょっと色香を振り撒いたり、親切にしたりしても全然割に合う。とても強かで賢い子たちよ。あなたのお仲間は」
嘘……だ。
きっと母さんは嘘をついている。そうだ、僕を引き戻すためにこんな嘘をついているんだ。
……だけど、本当だったら?
みんなは初期装備を自前で持っていた。
剣や槍は決して安くない。
それに連日連夜飲み歩いていた。
孤児院出身の15歳程度の子供にどうしてそんな金があった?
いや……もし本当にそうだったとしてもそれはキッカケに過ぎない。
最初はカネのためだったかもしれないけれど今は僕のことを仲間として認めて――――
「ウィンちゃん。ダメよ、甘いことを考えては。あなたが楽しいのはみんながあなたを楽しませようとしてくれたから。世の中にはね、そういうことが体に染み付いている人たちがいるの。楽しそうに喋ってよく笑って溌剌とした太陽みたいな人たち。そのそばにいれば温かいように思えるけどいつまでも続かないわ。人間は自ら勝ち取って手に入れたものしか自分のものにならないの。人の絆もそうよ」
真綿で首を絞めるように母さんは僕に語りかける。
母さんにとって僕は所有物なのだろう。
僕が本当の意味で自由になることを許さない。
「母さん……今、あなたがおっしゃっている言葉がどれだけ僕を苦しめているか、悲しませているか、分かりますか?」
「良くない感情は一時のものよ。私も旦那様もそれはそれは悔しい思いや辛い思いをして生きてきた。でもその度に心が鍛えられ、今の権勢がある。ウィンちゃん。あなたも大人になりなさい。ウチの商会の専属冒険者として我が家を支えるの。仲間はそこで作ればいいわ。お嫁さんだってちゃんとした家の貞淑なお嬢さんを用意してあげるわ。あなたが今のままの生き方では手に入れられないものが我が家に帰ってくれば手に入るのよ」
……語るに落ちたな。
「ハッ……自分の力で得たものでなければ自分のものにならない、と言った口で何をほざく」
「ウィンちゃん?」
「母さんは何も分かっていない‼︎ アイツらはちょっと金もらったくらいで陰険な嫌われ者に優しくしてくれるほど単純じゃないんだよ‼︎ ニールはいつも喧嘩腰で僕を怖がらそうとするし、ドンはメシのこと以外どうでも良さそうだし、アリサはたしかにエロいけど奔放過ぎてドン引きだし、グラニアは冷めてて勘違いなんかさせてくれないし、クイントは調子のいいことばっか言ってる女たらしだし、レオは…………」
レオは真っ直ぐだ。
僕が初めて他人に憧れた。
羨みや妬みじゃなく、純粋に彼に惚れた。
あんな風に生きられたのなら、って。
だからレオは母さんの言うような汚い策略に手を貸しはしない。
「もし…………レオがお金のために僕に付き合ってくれていたのなら、僕はもう何も信じない」
どぷん、と心臓が黒い水の中に沈んだ音を感じた。
「ウィンちゃん……?」
溢れ出してくる不安、恐怖、妬み、虚無、怒り、悲しみ、寂しさ、絶望…………
それらはすべて黒い魔力に変わる。
光を飲み込む漆黒のオーラ。
僕の中に溜まることなく溢れ出て――最後は爆発した。
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