第25話 昭和台中市~干城町今昔:軍人町から住宅地へ

 關聖帝君廟南天宮と三官大帝廟青龍宮の建つ干城町は、日本時代から戦後に掛けて、長らく軍隊の駐屯地だった場所。

 日本時代が始まった直後の明治28年(1895年)に「臺中駐屯大隊」がこの地にやってきます。

 建設途中で放棄されていた臺灣省城の建物のうち、東大墩集落に近く背後に城壁もある小北門付近の「元誠考堂」と「儒考棚」は既に「臺中縣廰」を始めとする行政部門の入居先と決まっていたため、駐屯大隊は臺灣省城の真ん中辺りに位置していた「臺灣縣廰」の空き家に歩兵等第四、九大隊を入居させました。ここは後に敷設される臺灣縱貫鐵道の線路の南側、老松町から有明町のそれぞれ一、二丁目にあたる辺りで、後の製酒工場の倍近い広さです。

 また西門を出たところには、後に刑務所の建つ辺りに清代の「武營」があり、砲兵第二大隊がここに入居しました。この清代武營は真北を向いて建っており、その東西北の三辺は、後の臺中刑務所の建物の形状とほぼ重なります。明治36年(1903年)にこの場所で刑務所を建てる際、武營の遺構が再利用されたのかも知れません。

 しかし空き家となっていた大きな建物はこのくらいだったため、城内の廟も流用されることとなりました。「臺灣縣廰」に近い、後の大正橋通の上部分に幸町通から綠川通あたりまで、ブロックでいうと幸町と寶町、明治町と大正町、千歳町と榮町のそれぞれ一丁目を占めるほどの広大な境内を持っていた「林文察専祠」では、建物には臺灣守備混成第二旅團司令部が置かれ、境内には騎兵第二中隊、第十四憲兵隊本部がそれぞれ陣を張った他、補給倉庫と衛戍病院分病室が設置されます。大正町通沿いを臺中公園方面に進んだ大正町二丁目と三丁目あたりにあった「孔孟堂」には工兵第二中隊が入居し、高砂町の「孔子廟」と「城隍廟」はどちらも衛戍病院として使われます。

 その後、台中市の都市計画が始まると駅にほど近いエリアに駐屯地が置かれることに決まり、町の名前は干城町と定まりました。


 駅前の新民街から建國路を北上し雙十路一段、精武路と線路で囲まれた一帯がだいたい当時の干城町。

 一番南側にあたる新民街と八徳街、大智北路と建國路に囲まれた五角形のブロックは、南下してくる建國路の延長線が橘町との町界線になっていました。

 東側の線路方向は、昭和11年にはまだ地形に沿って漠然と線路沿いが大字東勢子、やや西側が干城町という区分でしたが、その後、将来の進化路となる道が開通して、線路沿いの南京路から精武路までを結んだことで、この道の真ん中から南の方であれば、東側が大字東勢子、西側が干城町とわかりやすくなっています。


 1900年代初頭から始まった干城町駐屯地の整備は、途中で日露戦争発生による工事中断を挟みつつ進行し、明治39年(1906年)の年末に兵舎四棟や憲兵分遣隊の宿舎、練兵場、射撃場などが完成しました(なお市内の陸軍墓地もこの時に完成しています)。

 明治43年(1910年)には野戦砲兵大隊の兵舎を改築した干城町病棟が完成し、衛戍病院が高砂町から引っ越してきたことで、軍の施設は全てこの干城町に集約されます。

 駐屯大隊は明治40年(1907年)に「歩兵第三大隊」と改称。歩兵第三分隊には第9中隊、第10中隊、第11中隊、第12中隊、機關銃隊が所属し、機關銃隊は台北に駐屯していましたが、それ以外の四隊はこの干城町に集っていました。

 戦後も干城町は國民党軍の陸軍干城營區として使用されていましたが、營區は1979年に高雄へ移転。以降は再開発が進んでいます。


 この町で昭和11年と現在を繋ぐ唯一の建物が、干城町市場。

 櫻橋通の第一市場、新富町の第二市場、敷島町の第三市場に次いで四番目に開設されたため「第四市場」と通称されたこの市場は、歩兵第三大隊と、すぐ傍の泉源街の踏切を越えて高砂町からやってくる製糖工場関係者をターゲットとして昭和7年(1932年)に設けられました。

 高砂町の工場敷地の北側は社宅になっていて、家族連れで赴任してくる社員も多く暮らしています。また旱溪集落もほど近く、更に旱溪街には当時トロッコ軌道があって郊外の農村から農作物を運んでくるのにも便利でした。一方で干城町側はこの市場を含めた今の進德路と進化路の間が、南側から人口密集地化していきます。

 戦後も陸軍干城營區と高砂町の製糖工場を主な利用客層として運営していたこの市場は、陸軍干城營區が高雄へ移転すると衰退が始まり、1993年に製糖工場が操業停止したことでとどめを刺されます。近年では業者が全て撤退して廃墟化していましたがその後、市場の建物は建設当初のままいっさいの改変が加えられていないと判明。2014年に文化資産に登録されたこの市場は、文創園區化するための整備が2018年から進められ、2021年12月4日に若手の文創クリエイターを応援する文化基地としてオープンしたばかりです。


 雙十路と自由路三段、自由二街、公園東路に囲まれた区域が、日本時代には「臺北衛戍病院臺中分院」が建っていた辺り。この病院に関しては戦後の消息が一切不明です。台中市内の國軍病院に引き継がれたという訳でもなさそうなので、空襲に遭って廃止されたなどの事情があったのかも知れません。


 病院を過ぎると雙十路にはトロッコ軌道があって水源地公園の更に北にある北屯の集落まで続いていました。

 臺中公園の北で精武路に入り、そのまま東へ進んでいくと、線路の手前には煉瓦工場があります。

 精武路と進化路、進化路168巷と線路で囲まれた辺りを敷地としていたこの工場は「臺灣煉瓦株式會社臺中工場」。台湾一の煉瓦会社であちこちに工場を構え、当時の市場占有率は7割を超えていました。このため、「TR」と商標のついたこの会社製の煉瓦は、台湾各地の歴史建築物で目にすることができる建材となっています。

 煉瓦の生産販売を始めたのは、台北の建築請負業「鮫島商行」という会社でしたが、社長が急死してしまい、人夫頭だった後宮信太郎さんがその事業を引き継ぎます。その後大正2年(1913年)に「臺灣煉瓦株式會社」と名を変えたこの会社が大成長を遂げたことで、信太郎さんは「煉瓦王」と呼ばれるようになり、これ以降様々な事業へと進出していきました(このため信太郎さんは台湾随一の借金王でもあります)。

 戦後は「台灣省工礦公司台中磚廠」として事業を継続し、1959年の航空写真でもまだ工場の存在が確認できますが、今は既に住宅地でしかありません。

 臺灣煉瓦株式會社の工場の内、高雄にあった工場は國定古跡「中都唐榮磚窯廠」として現存。この工場が操業を停止した1985年頃に台湾の建築バブルがはじけ、国内の建材需要が廃れたことで煉瓦工場の廃業へと繋がっていったそうです。


 さて、では虎爺を訪ねに行きましょう。

 台中を舞台とした楊双子先生の小説『綺譚花物語』及び、星期一回収日先生による同作のコミカライズに於ける第四作『無可名狀之物』で小説家志望の自称「ニート」な阿貓と大学院生の羅蜜容が訪ねた干城町の虎爺がいる廟は、どちらも自由路三段沿い。大正町の七丁目から東に延びるこの道路は日本時代には影も形もなくこの辺りには広大な演習場が広がっていました。

 路地の奥、「三官大帝廟青龍宮(台中東區青龍宮・三官大帝廟)」の「三官大帝」は、後壠子で取り上げた忠信市場の「三官大帝廟」に祀られているのと同じ、天官地官水官のトリオな神様。

 この辺りも暗渠の多い地域なので、それもあってこの神様が祀られているのかも知れません。

 戦後の1950年代から1960年代頃に地元の住民が「東勢仔三官壇」から三官大帝を勧請して祀ったのが始まりで、その後、他の神様ともども尚武路45巷15號に安置されます。この時点ではまだ干城町には陸軍干城營區があったため、この安置場所はだいぶ公園寄りで、干城町の端っこでした。

 その後、1978年に練武路133巷6號に「青龍宮」が建立されます。干城營區の高雄移転までにはまだ一年ありますが、既に一部では移転が始まっていたのか、この時の廟の建立場所は今の廟から見て斜め向かいのブロックでした。その後、1988年には新たな廟が練武路145巷8號に完成して今に至っています。

 この辺りは路地が細いため、この廟の姿はストリートビューで見ることができません。


 ここからかなり東に進み、進化路との交差点に差し掛かると、「南天宮」と書かれた大きな門が見えてきます。この牌樓を過ぎ日本時代の大字東勢子へと確実に踏み込んだ先で、ビルの上に關帝様がドドンと座っておられるのが「關聖帝君廟南天宮(台中東區南天宮・關聖帝君廟)」。

 阿貓と蜜容はこの像を正面から見ているので、南京路側の自由路三段314巷側から来ています。この路地に入ったところにもやはり「南天宮」と書かれた牌樓が建っていて、二人がいるのはその下。恐らく、まだ整備中だった干城町市場を先に見て、それから南天宮、青龍宮と廻り、臺中公園へ向かっていくルートかと。


 この廟が建てられたのは戦後の1952年。台中市内の關帝様は新高町の太平路南で取り上げた、やはり虎爺のいる善修宮の方が先にできていましたが、規模はこちらの方がかなり大きく、善修宮はややお株を奪われた形になったとか。

 当時でも既に台中市最大の關帝廟だった(と言ってもたぶん市内にまだ二つだけ)南天宮は、その後、1980年に六階建てのビル状態になり、更にそれを台座にして巨大關帝様の像を作成。1984年の完成以来、この像は南天宮のシンボルになっています。そして六階建ての廟の中には様々なご利益を持つ神様が多々祀られて、ご利益のデパートのようになっています。

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