第16話 何もない男と全て失った男

 気がつくと周りはすっかり暗くなっていた。


「よし、そろそろメシにするか」

 ルーカスは手早く薪を組み、手のひらから小さな火球を出した。その火球をポイっと薪の中に投げ入れると途端に火が着いた。


「次は魚だ」

 そう言ってルーカスは余った薪をひとつ手に取った。すると薪は、ルーカスの手から数センチほど浮いた。神坂が両腕でやっと抱えられるくらいの大きさの薪が、みるみる細く削られて棒状になっていく。あっという間にそれが何本か出来上がった。


「こんなもんかな」

 できたのは木製の串だった。ルーカスは串に釣った魚を一匹ずつ刺していく。神坂もそれに習って魚を串に刺した。その後、串を焚き火の側に並べていく。


「後は待つだけだが、ここからが長い。オルタフィッシュは焼くのに時間がかかるからな」

「そうなんですね。あの……、ルーカスさん」

 遠慮がちな様子で神坂は口火を切る。


「ん? どうした?」

「どうしてそんなに、俺の面倒を見てくれるんですか?」

 神坂はずっと疑問に思っていた事を素直に聞いてみた。


 ルーカスは少し笑ったような、寂しいような顔で静かに語り始めた。

「そうだな、昔の話になるんだが。俺は親も兄弟も早くに亡くしてな。ずっと一人で旅をしてきた。様々な場所へ行って、多くの景色と人間を見た。そこでいろんな出逢いがあって。そんな俺にも家族と呼べるような人がやっとできてな。でも、死んじまった。俺の目の前で。それからなんか、何やっても退屈でな。そしたら、道に倒れてるシンを見つけたんだ」 

 

 もし、あの人が今も生きていたら。


 もし、二人の間に子どもを授かっていれば。


 ルーカスは真剣に話を聞くシンの顔を見ながら、そんなことを考えていた。


「ルーカスさん……」

 なんて辛そうな顔をしているんだろう。悲しみがこっちにまで伝わってくるようだ、と神坂は思った。

 

 それにくらべて、俺は……。


 何が『生きるのに疲れた』だ!


「シン……、お前」


 神坂の目から一筋の涙が溢れ落ちていた。


「すみません、俺」

 ルーカスは優しく微笑みながら、シンの次の言葉を待った。


「俺、逃げてきたんです。俺は以前、ここからずっと遠い場所で暮らしてました。両親も健在で、友達にも恵まれていて。仕事も特に不満とかなくて。それでいいと思ってたんです、ずっと。でも、ある日気づいたんです。周りはみんな恋人作ったり、結婚したり、子どもが産まれたり。俺の知らない間に、みんな大人になってました。いつのまにか俺、一人になってて。何も変わってないの俺だけだなって。そう思ったら、何もかも嫌になって。逃げ出したんですよ。全部、放り出して。それで気がついたらあそこで倒れてました」


 ずっと黙って話を聞いていたルーカスが、ゆっくりと口を開いた。

「なぁ、シン。逃げることって、そんなに悪いことなのか? 俺は逃げることは生きていくために必要な手段のひとつだと思っている。俺も若い頃は、よく逃げてた。逃げることで救われることもあるんじゃねぇのか? シン、逃げることを悔やまなくていい。逃げるべきだと思ったら、迷わずそうしろ」

 神坂はルーカスの目をしっかり見ながら、力強く頷いた。


「そろそろ食べ頃だ。ほら」

 ルーカスはこんがり焼けた魚に持っていたスパイスをかけてシンに手渡した。シンがそれをひと口頬張る。


「……おいしい」

 

 こんなに上手いものを食べたのはどれくらいぶりだろう。神坂はもう涙を自分では完全に抑えきれなくなっていた。


「シン、上を見てみろ」


 神坂はルーカスに言われるまま上を見たが、涙でよく見えない。目を擦ってもう一度見てみると、そこには満天の星空がどこまでも広がっていた。


「これは……。凄いな」


 この時の景色を、忘れないように。


 神坂はその目に焼き付けるようして、いつまでも空を眺めていた。

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