第7話 葵の上の出産の話2(『葵』『物の怪の出現』『葵の上と物の怪)

 ごくりと唾を飲み込む。そうして兄は語りだした。


「まだ、生まれるほどの時ではないと思って、みんなが油断していた時だった。急に生まれると兆候が見えて妻が苦しみだしたんだ。」


 私はうなずく。兄が続ける。


「もともとたくさんの祈祷をしていたが、さらに強力な祈祷をするようにしたんだが、前から執念深いと思っていた物の怪だけがどうしても離れなかった。」

「そんなに執念深い物の怪が・・・」

「ああ。尊い修験者たちも珍しい、普通でないことだと持て余していた。だが、祈祷は効いてはいるのか、その物の怪は苦しんでいた。そして、妻の口を借りてその物の怪が言ったらしいんだ。「少し祈祷をゆるめてください。源氏の大将に言うことがある。」と。」


 怖いよ。物の怪に話したいとか、一生言われたくない。


「まあ、おそろしい。」


「ただ、その時は私も、左大臣も大宮さまも物の怪が言ったとは思っていなくてね。何か遺言があるんだと思ったんだ。」


 それはそうだ。


「それで?」

「ああ。加持の僧たちが静かに、法華経を詠まれるのを尊く感じながら、妻の近くの几帳几帳の中に入っていったら、とても美しい姿で、お腹だけ高くなって寝ていたんだ。その様子はもし、赤の他人であったとしても動揺してしまったと思うよ。亡くしてしまうのは惜しく悲しいと思った。白い衣に黒髪が対照的で映えてね。髪の毛も長くふさふさとしているのが添えてあってね。普段よりもかわいらしくて、あでやかで美しいと思ってしまったよ。」


 苦しんでいる妻を見て美しいですか。その感想はどうなのだろうか。


「それで、どうされましたの?」

「彼女の手を取ってね、「わたしにつらい思いをさせるのですね」と言って泣くと、こちらをいつもと違う様子で見つめてくるもんだから。とても愛情を感じてしまったよ。」


 あれ?物の怪どこ行った?


「はあ・・・」

「それで、あまりに激しく泣くものだからね。両親のことが気になるのかな。とか、私とのことを名残惜しく思ってくれているのかな。とか思って、「何事も思いつめなさるな。きっとよくなります。もし万が一のことがあっても、深い縁のある相手とは来世で巡り会えますよ。」といったんだ。」


 慰め方・・・死ぬ話とかしないで上げてほしい。


「そうなのですね。」

「ああ。でも違ったんだ。そうしたら、彼女は、いや、彼女の口を借りた物の怪が「いえ、そうではありません。祈祷が苦しいので止めてくださいと言いたくて・・・。こんな風に来るつもりはありませんでした。物思いをする者の魂は身を離れてさまようものなのですね。」と言って、「なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま」と詠んだんだ。」


 わたしの魂を引き留めてください。お忍びの関係の夫。

 ひぃ!あなたの愛人ですよね!


「おにいさま・・・お心あたりは?」

「ある。あの声は左大臣の姫の声ではない。あの声や雰囲気は六条の御息所だ。」

「っ!」


 わたしは息をのむ。


「今までも、物の怪が御息所だという噂があっても打ち消していたのに、それが目の前に存在してとてもいやだったよ。」


 いや、いやって。そんな・・・


「それで?」

「そう、それで、「誰かわからない。はっきり言いなさい。」言うと、御息所だとわかるように伝えてくるんだ。女房たちが近付いてくるのでもいたたまれない気持ちになったよ。」


 うーん。なんというか、悪いのはあなたですよ。源氏の君。と誰か兄に言ってほしい。私の役目なのだろうか?でもなんと言えばいいのだろうか。

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