塚原卜伝vs蘆屋道満 7

 ポラリスは必死に悲鳴を上げまいと口を押えていた。

 今まで擦り傷一つ負わなかった卜伝が負傷しただけでも充分に驚かされたと言うのに、致命傷に届かなかったとはいえ、初めて重傷と言うべき傷を負わされた事には驚愕を禁じ得ず、悲鳴さえ上げそうになった。

 辛うじて抑えたが、食いしばる歯が軋んで、自ら噛み砕いてしまいそう。

 確実に勝てる。彼なら信じられると送り出したはずなのに、気付けば立ち上がって、前のめりに体重をかけて、卒倒してしまいそう。

 痛い、痛い、痛い。

 体には傷の一つも負ってないのに、体が軋んで壊れてしまいそう。

 もうどうしていいのかわからず、どうしていたらいいのかわからず、椅子という存在を忘れたポラリスはその場で両膝を突き、最早戦いを見届ける事が出来ない目を閉じて、両手を組んで祈り始めた。

「卜伝、お願い……卜伝……」

 変わって、チームルーザーの南條と安心院。

 勝利の兆しが見え始めたのと同時、二人は一種の不安に駆られていた。

 芹沢の時も、スパルタクスの時も、モーツァルトの時も、行けると思った瞬間覆された。

 常勝を誇る戦士達は、どれも一撃で戦況を引っ繰り返せる異能ないし術技を持った者達ばかりだ。故に油断など一瞬も出来ない。してはならない。

 このまま戦いのペースを掴めるか、否か。

「このまま、行けるかな……?」

「ケッケケ! このまま、行くしかねぇんだよ。勝つためにはな」

 まさか決めきれないとは思ってなかった。

 貴人は十二天将最強。この武器で繰り出せる一撃もまた、道満にとっての切り札であった。

 故に今の一撃で、完全に仕留めたつもりだったのだが――

「間一髪、逃げられるとは……さすが剣聖」

「何がさすが、だ……斬り殺すぞ」

 だが、思っていた以上の傷を負った。

 見えない世界にも徐々に慣れて来たものの、予想していた以上にやりにくい。

 何も見えない洞窟で千日もの瞑想を続けた身だが、悟った目を失えばこうも脆いのかと自責したくなる。自暴自棄にもなりたくなる。

 いっその事、このまま殺されてしまえばいいのにと、我が命ながら冷たく感じられる。

 だが、それ以上に負けたくない。勝ちたいと考える心があった。一介の剣士として、一人の剣客として勝ちたいと思う感情があった。

 いつ以来か。

 初めて剣を握った日。初めて剣撃を繰り出した日。初めて戦う術を得た日。剣客になろうと夢見た日。自分が、剣客の端くれになった日だ。

 塚原卜伝という剣客が、目覚めるきっかけになった日だ。

 実父と義父に稽古を付けて貰った日に、勝利に餓える獣となった。

 今、当時以上に餓えた獣が目覚めようとしている。塚原卜伝という獣が。

「よろしい。では、粉微塵に刻んで差し上げましょう」

 深く引いた剣に、禍々しい力を注ぐ。

 魔力と呼ぶには毒々しい力は、呪いと呼んでも過言ではない。それらを解き放つ刺突の連弾が、風を切って飛んだ。

 “貴人斬衆きじんざんしゅう”――!!!

 放たれる中距離攻撃に対し、卜伝は接近する。

 迫り来る刺突斬撃を紙一重で躱しながら肉薄する卜伝の剣は折れていたが、構わない。寧ろリーチが短くなった分、より近い接近を試みる。

 壱に無間むけん。弐に縮地しゅくち。参に雲耀うんよう

 他の剣術流派に生きる剣士らは、きっと驚く事だろう。それぞれの流派における最強最速の一撃を、卜伝が体得しているのだから。

 が、相手は陰陽師、蘆屋道満。

 相手が剣士なら勝ちも必至の一撃でも、理を異なる物とする術の世界では、必至などという確約された一撃はない。幻影を掴ませる事も、本来届かぬはずの防御を届かせる事も、出来てしまえる。人の膂力では補えぬ神秘なのだから。

「“玄帝玄護げんていげんご”」

 辛うじて届いた切っ先を、黒い盾が受ける。

 受けた剣撃を倍の力の衝撃波に変えて弾き、卜伝の体を軽々と吹き飛ばして、壁に衝突。吹き飛んだ体は力なく、水の中へと落ちていった。

「おやおや。少々加減を間違えましたか。しかし、そのまま溺死されても面白みに欠けますね」

 黒い盾が、小さな粒になって分散。

 水の中に飛び込むと、赤く発光して熱を持ち始めた。

「“玄帝爆符げんていばくふ”」

 水の中で熱を持った塵が爆発。塵の小ささからは想像も出来ない威力の爆発で、巨大な水柱が何度も上がり、観客席を水浸しにしていく。

 水上はそれで済むものの、水中は連続爆発による衝撃と熱で滝つぼ同然と化し、終わらぬ爆発がかき混ぜ続けていく。

 水中で呼吸も身動きもままならない卜伝に抗う術もなく、観客の大半がこの戦いの終わりを察していた。

「道満、ちょっとやり過ぎじゃ……」

「ま、術の手ぬるさで返り討ちにあった奴だからな」

 だが南條から見ても、この攻撃は悪手だった。

 大量の攻撃と水柱とで、道満の視界も鮮明ではない。

 刀が折れている以上、かなりの接近を許さない限りは大丈夫だろうが、不意打ちされる可能性を考慮すれば無駄に水飛沫を上げる必要はない。

 さすがに杞憂か。

 もう勝ったのか。

 最後の戦いというだけあって、さすがの南條も判断を迷う。

 戦いを見られないポラリスはただ祈るばかりで、判断も何も出来ていない。

 双方の監督が戦いの行方を見定め切れずにいたその時、道満の立っていた足場がホールケーキをピースで切り取るように切断。連続爆破よりも巨大な水飛沫を上げながら沈み、道満は空へと追いやられた。

 何が起こったのか。

 判断を迷う道満の体勢が崩れた瞬間、振り返った道満の視界の中に映ったのは、斬り落とされた片翼と、両断された玄武の盾であった。

 何とか無事着地した道満の目の前に、水飛沫に打たれる卜伝の姿が映る。

「あの爆撃の中、どうやって……」

「わからないか? わからない、だろうなぁ。俺も、未だわからん」

「何を――」

「そうさ。ずっと、わからないままにしてた。わからないままでも勝てたからな。結局斬れれば問題ないと、先送りにし続けていたが、わかってしまってば、よもや……このような物を、授かれようとは」

「卜伝……!」

「あんの野郎……!」

「嘘、でしょう……?!」

 祈っていたポラリスは、奇跡を見た。

 勝利を目前にしていたはずの南條と安心院は、勝利の道へと続く扉がまた閉ざされたように見えた。

 何が起こったのか。何がどうしてそうなったかなどわからない。

 唯一言える事は、千日もの瞑想にて悟りを得たが如く、過酷な戦いを強いられた中で、塚原卜伝という勝利に餓えた獣はまた人を逸脱した領域に足を捻じ込んで行ったという事だ。

「これが魔力。これが魔法。これが、か……」

 暗闇の中に引きずり込まれたはずの卜伝の双眸が、寒色系統の色を混ぜた輝きに満ちる。

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