モルガンvsドン・キホーテ 2

 “湖の乙女がアロンダイト・抱きし清き光ヴィヴィアン”。

 彼女がその剣を抜いて尚、ドン・キホーテは何の反応も示さなかった――いや、示せなかった。

 物語の一主人公でしかなかったからなのか。

 アーサーやモルガンと違い、実在するモデルがいないからなのか。

 転生するより以前に、まず死ぬなんて事があるのかわからないが、ともかくドン・キホーテは、転生した異世界で異形の姿を得た。

 主人公と同じ老齢ながら、連れサンチョのように現実を生き、驢馬ロシナンテの下半身を得て千里を駆け抜け、鏡もしくは銀月の騎士サンソン・カラスコの要素をも取り込んだ騎士として存在を確立させた。

 結果、ドン・キホーテを動かすのは老獪の騎士かメタフィクションを告げる現実かそれとも驢馬か。はたまた鏡と銀月の二つを刻んだ好敵手か。ドン・キホーテ自身もわからない曖昧模糊な存在となり、狂戦士と化してしまった。

 現実と理想。夢、夢幻を生きる騎士。それが今のラ・マンチャの騎士。ドン・キホーテという存在である。

「え、ちょっと待って? 何かカッコいい感じで言ったけれどつまり……ドン・キホーテは、現実と理想の勝手がわからないって、事……?」

「そうだ」

「じゃあ今も、現実で戦ってるのか夢の中で戦ってるのか、わかってないって、事……?」

「多分な」

 ガシッ、と両肩を掴まれた南條は、前後左右に揺さぶられる。

 その際安心院は何と言っていいのか、とにかく叫んでいた。

「大丈夫?! ねぇ本当に大丈夫?! どこが最終兵器なの?! どの辺りが最終兵器なの?! 荊軻が規格違い過ぎてスルーしてたけれど、こればかりは無理!!! 絶対無理!!!」

「大丈夫だろ」

「無理無理無理! 絶対無理ぃぃぃ!!! こればっかりは無理ぃ!!!」

 床を転げて訴える安心院を、南條は思い切り踏み付ける。

 ぎひゃ、と短い悲鳴を上げた安心院の体がの字に折れ曲がった。

「うるせぇなぁ、黙ってみてろよ。確かに荊軻とはタイプは違ぇが、あいつはあいつで……ヤる奴だぜ」

 周囲を見回すドン・キホーテは、先に自分で叩き落していた剣の中から刃毀れしていたり亀裂が生じていない物を選び出し、四本取って握る。

 四つの剣の切っ先を一点に重ねたドン・キホーテは、魔剣を掲げるモルガンへ、一直線に突進した。

 唯一無二と言っていいかもしれない。

 ドン・キホーテの逸話で最も有名な逸話にして、唯一の戦歴。ありもしない幻影に立ち向かったその姿は、一枚の挿絵として遺された。

 曰く――“風車姿の怪物殺しギュスターヴ・ドレ”。

『ドン・キホーテ迷わず突進! モルガンの魔剣を恐れる事無く突っ込んで行くぅぅぅ!!!』

「その程度……」

 午前中の日輪の騎士ガウェインを超える事はあるまい。

 ましてや今掲げる剣は、アーサーに次ぐ最強の騎士、湖の騎士ランスロットが腰に差すのとほぼ同じ。そこらの剣では、比べる事さえ烏滸おこがましい。

「やっちまえおふくろぉ!」

(愚息が……アーサーでもあるまいに、そう騒ぐな)

「どぅぅぅるぅあああぁぁぁっっっ!!!」

「ハァ……おまえも黙れ」

 “湖の乙女がアロンダイト・抱きし清き光ヴィヴィアン”。

 “風車姿の怪物殺しギュスターヴ・ドレ”――!!!

 四本の剣を一つに重ねた猛突進を、ただ振り下ろしただけの魔剣が受ける。

 玉座に座るモルガンは微動だにせず、魔剣に亀裂さえ生じず、四本の剣を砕かれたドン・キホーテの巨体が吹き飛んだ。驢馬ロバの半身となり、百キロを超えた体重が軽々と吹っ飛んで行く光景を、皆が呆然と見届けた。

『ふっ、飛んだぁぁぁっっっ!!! ドン・キホーテの体が宙を舞う! たった一振り、たったの一撃で、剣は壊滅! ドン・キホーテ渾身の一撃も、女帝モルガンには通じない!!!』

「終わった。終わったぁぁぁ……」

 椅子から崩れ落ちた安心院は、もう泡を噴きそうだ。

 常勝のチームから二勝ももぎ取った事など完全に忘れて、もう絶望一色に染まっていた。

 会場全体も、もうモルガン一色。チームレジェンズ一色。先の荊軻の圧勝も霞に消えて、常勝のチームは今までの勢いを取り戻しつつあった。

 しかしそんな中で、諦めぬ男が一人。

 第一試合。アーサー、芹沢戦と同様に、南條だけがこの試合を諦めていなかったのだった。

 チームルーザー総監督としてあるべき姿だとは思うけれど、それにしたってだ。モルガンは、アーサー以上の怪物だ。勝敗など、もう明らかではないか。

 なのに何故、そうも強気でいられるのかわからなかった。

 それは安心院だけでなく、チームレジェンズのポラリスもだった。

 向こうの監督席は何となくだが見える。片方が崩れ落ちたのは見えたが、南條らしき影が微動だにせず、机に足を乗せて観戦しているのも見えて、気が気でなかった。

 巴御前戦のギリギリでの敗北を、ポラリスは忘れない。

 ジャック・ザ・リッパー戦での圧倒的敗北を、ポラリスは忘れない。

「今度は何を画策してるの……南條利人」

「落ち着け。わざわざモルガンを引っ張り出したんだ。あいつなら絶対に勝つ。そうだろ? そのために兄がわざわざ動いてやったんだからな」

「わかってる。わかっています……けど、あの男の態度が私の気を逆撫でるのです。負けた試合もそうですが、勝った試合も私の気を逆撫でる事ばかり……! アーサーは片腕を失い、レオニダスの魔法は再度編むのに数ヶ月を要し、レオナルドは暫く休養をと工房に籠ってしまいました。何もかも、何もかもがあの人の采配のせいです。此度もきっと、何かしらの策略があるはず……そう思うと、私は……」

「そこまでの奴なのか。南條って野郎は」

「この結果を齎したのは、あの男の采配です。三対二……私達は二度も土を付けられた。土を付けたのが、あの男なのです。アルタイル」

「へぇ……」

 アルタイルも第一試合から見てはいたが、力押しと見せかけておいて、第三試合からは魔法、異能での戦闘を主に、荊軻戦は完全に彼女自身のポテンシャルを生かして来た。

 まさかまた力押しに戻った訳でもあるまい。

「何を考えてるんだろうなぁ、奴は」

「面白がらないで下さい」

 立ち上がるドン・キホーテに、モルガンは一切期待などしていない。

 何を恐れ、何を警戒する必要があるものか。

 どうしてもと言うから出たものの、目の前の老獪がそこまでの脅威になり得るとはとても思えない。

 突進するしか能のない騎士擬き。

 もう一度魔剣を振り下ろせば、それで終わる。

「どぅぅぅ……」

「立つか」

 悪足搔き、とは思ってはいまい。

 不撓不屈。七転八起。雑草魂猛々しい根性が故に立つ――だなんて美化は幾らでも出来るが、ただ諦めが悪いだけだ。いやそもそも、狂戦士に諦めるという概念があるのか否か。

「もういい。そも、貴様如きが私に敵う事などあり得ぬ話だったのだ。この一撃で、もう終わらせる」

「ぐぅるぁぁぁ……」

『な、なんだ……?』

 高々と、二本の腕を上げる。

 空を掴む両手は何も握ってないが、手の形だけは剣を想起させて、実際、ドン・キホーテが何か持っているのではと愚考した者もいた。

 何も掴んではない。ただ、だ。

「な、何をしてるの……? ねぇ、南條」

「黙って見てろ。今、あいつは掴もうとしてるんだ」

「掴む、って……剣、を?」

「まぁ正確には、だな」

 観客席の円卓らも、ドン・キホーテが何をしようとしているのかわからなかった。

 レジェンズで唯一、理解出来たのはただ一人――騎士の王、アーサーだけだった。

 モードレッドが嘲笑い、ガウェインとトリスタンが訝しみ、ランスロットが顔を覗く中で、アーサーだけはドン・キホーテの手がなぞる線のような物が見えていた。

「さっさとね。騎士擬き」

 “湖の乙女がアロンダイト・抱きし清き光ヴィヴィアン”。

 高々と掲げた魔剣を振り下ろす。大地を割る一撃が、構えたまま突進して来るドン・キホーテへと叩き付けられた時、立ち上る白い戦塵がドン・キホーテの姿を覆い隠した。

 故に最初に気付いたのは、立ち込めた戦塵の隙間を最初に覗けたモルガンだった。

「何を、貴様……!」

「「まさか……!!」」

 奇しくも、次に気付いたアーサーとランスロットの言葉が重なる。

 晴れた戦塵の中、モルガンの魔剣を受け止めたドン・キホーテの姿が会場全体の言葉を驚愕と共に奪い去った。

 甲冑は罅割れ、籠手にも亀裂が生じていたが、紛れもなくドン・キホーテが魔剣による一撃を真正面から受け止めていた。

 それは、ドン・キホーテだけの御業。

 物語に綴られた主人公だからこその妙技。

 奇しくも、騎士の物語に描かれたモルガンだったからこそ出来た技だったのかもしれない。

 かの老獪が読み耽った騎士道物語の中に、かのケルト物語がなかったとはとても思えない。騎士の中の騎士と呼ばれし者達の物語を、知らなかったとは思えない。

 老獪もまた、物語の中の登場人物。だからこそ出来た御業。

 チームルーザー総監督、南條がモルガン相手に見出した唯一の勝機。

 曰く――“郷士にして騎士なる狂気イダルゴ・アロンソ・キハーノ”。変転、“湖の乙女がアロンダイト・抱きし清き光ヴィヴィアン”。

 空を掴んでいたドン・キホーテの手に握られしは、モルガンが持つのと同じ魔剣。若干の色素の薄さはあり、完全なる模造品であったものの、紛れもない魔剣が彼の手に握られていた。

「どぅぅぅるるる……」

「貴様、そこまで死に急ぐか……!!!」

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