ジャック・ザ・リッパーvs荊軻 3

 荊軻が部屋から飛び出すと、追いかけるようにしてジャックもガラスを割って飛び出した。

 部屋の中では何も見えなかった観客も、ようやく二人の姿を目視する。

『表に出てきた殺人鬼二人! 珍しくジャックが荊軻を追いかける展開! 部屋の中で何が、何が……あ?!』

「ねぇ、見間違い?」

「よく見えないけれど、でも……」

「いや、間違いない!」

『か、影が! ジャック・ザ・リッパーの影が、なくなっているぅ!!!』

 急ぎ、ドローンカメラにて追跡。

 二人を追いかけて追いつく事は出来ないが、各場所に待機させて二人の攻防を映す。

 するとどうだ。

 道を疾駆する荊軻を追いかけて走るジャックの姿が、窓ガラスに映っていないではないか。これではまるで本当の、悪魔。

 だが今の今まで、ジャックの姿が映らないなんて事はなかった。影だってあった。

 この場合における可能性は二つ。

 ジャックの本性が荊軻によって暴かれたか。ジャックの影が荊軻の異能ないし魔法によって奪われたか、だ。

 正解は後者だが、観客らにそれを知る術はない。

 レオナルドの勝利で多少の余裕を取り戻しつつあったポラリスも、こればかりは動揺を隠しきれず、目じりの血管がブチ切れた――光景を想像する南條なんじょうは、ケタケタと笑っていた。

「ポラリスの野郎、今頃ストレスフルで白髪になってんじゃねぇのか?! ケッケケ! いい気味だ!」

「でも影を切り取る、だなんて……一体、どんな異能。いや、魔法?」

「異能だそうだぜ。まぁ俺も、全容は知らねぇが」

「え。この物語の解説役みたいなポジなのに?!」

「そりゃあ安心院あんしんいん。てめぇだってまだ、死にたくねぇだろ?」

「は、はい……すんません……」

 低く凄んだが、南條は特別怒った訳ではなかった。

 今のはただの警告だ。荊軻の能力を探ろうとするな、という警告。

「荊軻の能力は俺も知らねぇ。っていうか、。荊軻の能力の神髄は、愛用しているあの匕首にあるらしい事は教えてくれたが、詳細を語ると匕首の異能が勝手に発動。相手を必ず殺すらしい」

「怖っ! 何それ! 見ただけでアウト、みたいな怪談に出てきそうな……!」

「まさしくそれだ。だからもし、ジャックが荊軻の能力の全貌を知ったとき、奴の命は確実に尽きる。そう、確実にだ」

 逃げ回る荊軻。

 追うジャック。

 ジャックは当然先ほどの発言から、夜明けが出るまで粘るのが狙いだと思うだろう。

 それもまた、荊軻の策。焦れば焦るほど、人の視野は狭くなる。思考回路はより速く回ろうとして、別の事柄を後回しにしようとする。

 だから見落とす。

 自分がこの戦いのために仕掛けた、罠の数々に。

 足を引っかけた場所の上階から割れた窓ガラスが落ちて来る。躱しきれる量に設定していないジャックは身を切られながら、全身に切り傷を付け、ガラスの破片を刺しながらも走り続ける。

 相手が罠を利用しようとするのなら――先に考えたジャックは鋏を投擲。幾つかの罠を先に作動させ、鋏を回避した荊軻の逃げ道を塞ぐと同時、身軽になった体を加速。両手にナイフを揃えて、扇状に広げてから一挙に投擲した。

 が、荊軻は地面に大の字で張り付いてナイフを回避。直後に両手足を付けて跳躍。建物の屋根上まで飛び上がって、いつの間にか取っていたナイフの一本をあらぬ方向に投げ、糸を切った。

 作動した罠によって生じた爆発が時計塔を破壊。倒壊する瓦礫の山が、ジャック目掛けて襲い掛かる。

『ジャックが……時計塔の下敷きに! 生き埋めだぁ!』

 が、すぐに出て来る。

 高々と拳を突き上げ、瓦礫を掘って駆け上がって来たジャックは高く跳躍し、屋根上を駆ける荊軻へと飛び掛かった。

「“壊し屋ジャックジャック・ザ・ブレイカー”」

 壊し屋になったジャックは、己が膂力だけで瓦礫を壊す。

 先に戦った芹沢や、怪力を誇るレオニダス。スパルタクスらと比べてしまうと劣ってしまうが、さすがに女武者の巴やブーディカは超える。

 膂力からなる速力を駆使し、荊軻のすぐ後ろまで迫ったジャックが見たのは、いつの間に取り外して来たのだろう外灯の仄暗い灯りが、一挙に燃え広がって、炎となった瞬間だった。

 正確には、外灯を奪取した荊軻がジャック目掛けて投げ、ジャックが砕き割った瞬間と同時に酒を霧状に吹きかけて引火。拡散させただけの事だが。

 それで充分、時間は出来た。

 膂力が削がれる。

 筋肉の芯から力が削がれ、せっかく会得した力が衰えていく。

 力の虚脱感に苛まれていると、荊軻の金的が炸裂。ジャックの股間を蹴り上げた脚で、また屋根上を走って行く。

「こ、んの……舐めるな、よ……クソ、がぁっ……!」

『これはまた、どういう事だ! 破壊の化身と化したジャック! その肉体が、萎んでいるぅ!』

 実況が騒ぐので見てみると、確かに膂力を増して筋力を増強させたはずの体は萎んでいた。

 自分自身、戦いの最中だったから気付かなかった――いや、気付かなかったでは済まされない程の変化があったはずなのに、気付けなかった。

 金的含めた挑発行為のせいか。それとも。

「あの匕首に、何が、ある……?」

 ジャックの戦いを見るチームレジェンズ。特にルーザーの面々と戦った三名もまた、荊軻の匕首にこそ鍵があると踏んでいた。

 ストリートファイトだけに、戦いの詳細は全てカメラに収まる映像でのみ伝えられる。

 故に他の戦いと同じだけの情報が、周囲には渡って来ない。ジャックのストリートファイトを受諾したのも、ルーザー側にメリットがあってこそだろうと、第四試合を終えたばかりのレオナルドの糖分を欲する脳は考えていた。

「ポラリスのところへ行ってやらんでいいのか?」

 チームレジェンズ参謀を務めるモルガンが、後ろからチョコレートを差し出す。

 渡されたチョコレートを包む銀紙諸共口に入れて咀嚼。器用に銀紙だけを口内で丸めて吐き出したレオナルドの義手の上で、丸まった銀紙が燃え尽きる。

「俺様が行ったところでどうなる。慰めにもなりゃしねぇ。俺様はもう勝ったんだ。今回の仕事はそれで終わりさ。全てはあの匕首の能力と、それにあの殺人鬼がどう対応するか次第だ」

 荊軻の匕首に何かがある。

 それは徐々に伝播し、気付けば全員が何かしらの予測を立てる様になっていた。

 力の無力化。存在の添削。人そのものの改竄。

 あらゆる予測、予想を立てる者はいたが、どれも仮設の域を出ない。

 当然だ。

 だからこそ、荊軻は一生の敗者に相応しい。

 真の勇者、英雄、勝者はその生まれから死に様まで雄大に、偉大に語られるものだが、敗者は何も持ち合わせていない。出生すら、血筋すら、生き様さえ不明。人から人へと伝わっていった口伝を元にした、単なる噂程度でしかない。

 芹沢鴨も、スパルタクスも、ブーディカも、モーツァルトも、真の勝者と比べれば霞むような存在だ。

 だがそのような存在にこそ、南條なんじょう利人りひとという存在は勝機を見出した。その始まりこそが荊軻であり、最初に南條と手を組んだのも、荊軻であった。


  *  *  *  *  *


「よぉ。派手にやったな」

 彼女の足下に転がるのは、いわゆるヤクザ者だ。

 死んではないが、皆揃って虫の息。どちらが先に仕掛けたかは知らないが、どちらが勝者かは言うまでもない。

「転生者だろ、おまえ。名前は」

「……荊軻」

「ケッケッケッ! 皇帝暗殺未遂の暗殺者か! いいな、そりゃあ!」

「何だ。貴様も、拙を馬鹿にする輩か? こいつらと同じように」

「ケッケッケッ! 馬鹿にする? おまえを? 違う違う。俺は、おまえに決めたところだ」

「決めた……?」

 それは、荊軻からしてみれば久方振り過ぎた。

 自分を求めて伸ばされる手。隣を求められる手は、とても大きく見えて。

「俺のとこに来い。今度は俺と、歴史を作ろうじゃねぇの」

「……っ、何を言うかと思えば。面白そうな話でありんすね」


  *  *  *  *  *


「“殴り屋ジャックジャック・ザ・ビーター”」

 追い付いた――いや、罠の少ない位置にまで走って待っていた荊軻に追い付いたジャックが、両手にメリケンを付けて乱打を繰り出す。

 風を切って出される拳の応酬を躱し続ける荊軻だが徐々に後方へと追いやられ、遂にガラスのない壁を背に追い詰められた。

「“刺し穿ちジャックジャック・ザ・ピアサー”」

 右手の手刀が、黒く染まる。

 首を傾げて躱した荊軻のすぐ後ろの壁を貫き、亀裂を生じて倒壊させた。

 同時、ジャックは彼女の足を踏む。共に建物の下敷きになる気のジャックは一切退かず、荊軻が脚を蹴ろうと金的を決めようと退かぬまま、両者共に倒壊する建物の下敷きとなった。

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