ジャック・ザ・リッパーvs荊軻
ジャック・ザ・リッパーvs荊軻
殺人鬼、対、暗殺者。
両者が対峙するのは必然とも言えたが、偶然とも言えた。
目には目を歯には歯を。殺人鬼には殺人鬼を。
毒を以て毒を制す作戦は、過去、ジャック・ザ・リッパーと対峙したチームが決まって考え付く手段だったからである。
しかし、如何に多くの人間を殺せども、ジャック・ザ・リッパーと他の殺人鬼とではまるで格が異なる。
当然と言えば当然の話だ。
娼婦から生まれた悪魔の子。犯罪界のナポレオンの解き放った刺客。常軌を逸したただの通り魔。夢遊病の貴族。
様々な顔を想像された彼、もしくは彼女は、逆を言えば何にだってなれる。
女だろうと男だろうと、若人だろうと老人だろうと何だろうと、悪魔にだってなれる。
いたずらか思い付きかそれとも真実か。たった一通の手紙から始まった逸話が、彼をそのように振舞わせる。
今回もまたどのような形で敵を殺そうかと、ジャックの頭はそればかりで回っていた。
「これで、何人目になるでしょう、か……他国の殺人鬼を、殺すのは」
火を灯した葉巻を吸い、紫煙を噴く。
紫煙は会場が炊いたスモークに紛れて溶け、ジャックの姿をより深い霧の中へと誘っていく。
「私の相手は殺人鬼。殺し屋。狂人ばかり。きっとあなたも狂っているのでしょうけれど、私からしてみれば、関係のない話です、ね。狂っていようとまともだろうと、所詮は肉塊、なのですか、ら」
「……狂ってる? まとも? ヒッ、うぅ。知らん。俗世が私をどのように語り継ごうとも、俗世が私を何と呼ぼうとも、私は……知らんっ! ヒッ!」
「もしや……酔ってらっしゃ、る?」
まさか、と誰もが思った。
相手が相手な上、戦闘の前に飲酒だのと、自分の寿命を早めているようなものだ。
しかし、荊軻は紛れもなく酔っていた。足取りはフラフラとおぼつかぬ千鳥足。視線は泳ぎ、定まる事はない。
そしてフラフラとした足取りで一歩、二歩と進んだところで建物の隅に駆け寄り、思い切り胃の腑の中に入れていた酒を嘔吐した。
一瞬、ジャックの攻撃かと観客は思わされたがそうではない。ジャックもまた、観客と同じで呆然と彼女を見つめている。
「わかってる、わかってる……ゼェ、ハァ……勝負、勝負だろ? やってやるさ……やってや、るぅあぁぁぁっ!」
どんだけ飲んでいたのか。何も食べていなかったのか、酒ばかりが胃液と共に吐き出される。
その細い体躯のどこにそれだけ仕舞い込んでいたのか、疑問符が浮かぶ量の酒を撒き散らすように吐いた荊軻はまたフラ、フラとよろめいて、仁王立ちのまま動かなくなってしまった。
「ゼェ、ハァ……あぁ、あ! まったく……すっかり、吐き出してしまった。安酒とはいえ、もったいない事をしたな……ゼェ。まぁ、いい。すぐに飲み直そう」
変わった奴だ。
ジャック・ザ・リッパーの荊軻に対する第一印象は、それに限られる。
大体、自分と対峙するような奴は血だ肉だ、どうやって殺してやろうかとあれこれ言ってくる奴ばかりだったのだが、荊軻は一言も言わない。
武器を舐めてみせたり、不適に笑ってみせたり、常人では駆動させまい領域に体を動かしてみせたりと、とにかく人ならざる事をやってみせる。
が、荊軻は今、ただ嘔吐しただけだ。
武器を吐き出すでもなく、ただ飲み過ぎた酒を嘔吐しただけ。
彼女の武器は、襟の後ろからゆっくりと抜き出された。
その昔、皇帝暗殺の際に特注で作らせたとされる
が、そんな業物も今や荊軻の唾液と胃液とに塗れて、とても人を殺すために作られた暗器には見えなくなっていた。
「じゃあ早速やろう。次は酒を特注で用意させる」
やる前からすでに息が上がっているではないか。
深刻なダメージを負ったわけではあるまいが、勝手に疲弊して勝手に覚悟を決めて、勝手にやる気になられても困る。
やるにはやるが、序盤からペースを崩された。
「まぁ、いいで、しょう。ようやく準備が整った、ようです、し。始めま、しょう」
“
殺人鬼はまともに対峙も対決もしない。
初手は逃げ、隠れ、潜む。
ジャック・ザ・リッパーの姿は吸血鬼の如く霧に溶け、影さえも霧に紛れて感知出来ない。
四方八方が霧に包まれた都市そのものが、まさしくジャックの食卓。あとは好きなタイミングでフォークを、ナイフを突き立てるだけの事。
卑怯などとは言わせない。卑怯と言われればそれは賛辞。
殺される前の戯言など、ジャックにとって気に留める事でもない。
「さぁ、逃げるなり、隠れるなり、お好きに、なさい……あなたが何をどうするか、見もの、です、ね……」
「何を、どうするか、か」
一秒、二秒と考える。
戦いの中では生死を争う秒数の中、考えに考えた荊軻の取った手段は。
「とりあえず、
まず、トイレを探すことであった。
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