レオナルド・ダ・ヴィンチvsモーツァルト 3

 モーツァルトが貧困に苦しんだ生涯は、多くの人々の妬みによって招かれた。

 二度目の人生でも、モーツァルトの才能は多くの人々から妬まれ、嫉妬の対象となったモーツァルトは再び貧困生活を強いられそうになったが、魔法の存在する世界に転生したモーツァルトには、反撃するための手段があった。

 人を陥れるのに躊躇い無し。

 人を貶めるのに躊躇い無し。

 人を穢すのに躊躇い無し。

 結果的にその人が侮辱に屈して死を選ぼうとも、罪悪感はない。あったのは曲を作るための必要な刺激インスピレーション

 作る曲は魔法の一種として認定され、その世界で唯一の魔導音楽家という称号を獲得するに至った。

 第一の人生を貶めたのは嫉妬だったが、第二の人生を成り上がらせたのもまた、他者からの嫉妬だったのである。

 故に、モーツァルトは嫉妬する。

 自分よりも才能ある者に。天才、鬼才と呼ばれる者達に。

 例え嫉妬の大罪として数えられ、大罪人の烙印を押されても。モーツァルトは嫉妬する。

 その先に、更なる高みたる音楽があると言うのなら。


  *  *  *  *  *


「“強制昏倒・諧謔間奏曲ヒューマー・インテルメッゾ”」

『も、モーツァルトの拍手がリズムを早めていく! まるで今まで歩いていた死神が、走り始めたかのようだ!』

 死神を従えしモーツァルトの足取りは軽く、狂喜乱舞と踊り狂う。

 そうしている最中でさえ、男はレオナルドを確実に殺す鎮魂歌を作っているというのだから信じられない。

 拍手しながら時に己を抱き締め、時に己の顔を掻き、時に指を鳴らしてあちこちに視線を向けて観客を恐怖させるモーツァルトは、歓喜していた狂喜していた乱舞していた。

 モーツァルトという人間の、奏でる拍手だけのソロコンサート。聞き入る者など一人もいない。誰もが耳を塞ぎたくなるステージに無理矢理同席させられているレオナルドは、攻撃をやめてからずっと、モーツァルトを見つめていた。

「そんなに見つめられると、恥ずかしいなぁ。何? このボクに見惚れちゃった? 聞き惚れちゃった? ボクの音楽に。ま、仕方ないよね」

 安い賃金で働かされた。

 貧乏な暮らしを強いられた。

 けれど決して、誰も虜に出来なかった訳ではない。寧ろその逆だったから、周囲に恐れられた。

 まるで神を信仰する信徒の如く、彼の音楽を聴いた者は忽ち虜となっていったから、周囲は彼を貧困という檻に閉じ込め、彼を表舞台に立たせる機会を奪い続けた。

 故に彼の鎮魂歌は有名なのだ。

 彼の楽曲は、死神にさえ愛される。

「“他が為の鎮魂歌レクイエム・フォー・ユー”。ノートに対象の名前を書く。藁人形に対象の一部を植えて釘で刺す。俗に呪い、呪殺と呼ばれてる術に、奴の能力は似てる。相手の体から発せられる音から、相手を殺す音を模索し、それらを組み上げて作った曲で敵を殺す。時間は掛かるが、必殺必中の呪殺異能だ」

「だから、レオナルドにぶつけた……転生した世界で、全ての魔法を極めたと呼ばれるあの人に、小手先の技は通じないから」

「そうだ。俺達の持つ駒の中で、レオナルドに勝てる可能性があるのは奴しかいねぇ。唯一問題があるとすれば、俺達は若干周囲より頭がいいだけの秀才で、俺達が計ったその相手が、人を超越した天才にして、万能の男だって事だ」

 して、その万能の男は不適にも動かなくなっていた。

 観客は皆、モーツァルトの手拍子に幻覚作用があるだとか、束縛の呪いがあるのではと愚考しているがそうではない。

 考えているのだ。

 万能の天才と呼ばれた頭脳で以て、この戦いに勝つための方法を考えている。

 相手が何をしようとしていて、どう勝とうとしていて、それを阻止するためにはどうすればいいのか。勝つためにはどうすればいいのかを考える。

 馬の彫刻を作る事になった際、レオナルドは実際に馬を解体して骨格から筋肉から、体の全てを理解した上で作り上げた。

 それからレオナルドは人間を描く事になった際、実際に解剖する訳にはいかないので、頭の中で解体し、解剖し、分析して描く能力くせを付けた。

 今となっては知らぬ者は少なかろう美女の絵も然り。

 だから今、レオナルドはとにかくモーツァルトという人間を分解し、解体し、解剖し、分析していた。

 一挙手一投足。言動。狂喜乱舞する体の隅々から言動に籠る声色の全てを材料にして、この戦いの勝利という結果を導き出す。

 それこそ、魔法世界でさえ万能の天才と呼ばれた男、レオナルドの真の力。名付けるなら――“天才の記す特記項目ダ・ヴィンチ・コード”。

「何だか退屈そうな顔だね。まぁ、今は間奏曲インテルメッゾだし仕方ない。だから……ここからは少しテンポを上げて行こうかぁ!」

 “強制昏倒・祈祷狂詩曲プレイ・ラプソディ”。

 テンポを上げると言ったが、手拍子の速度を上げるだけではない。タップまで使って奏でる音の数を単純に増やして来た。

 そして発せられる音に合わせて、レオナルドの全身にジャブの猛襲が如き衝撃が襲う。

 軌道も何もない不可視の衝撃がレオナルドの体を吹き飛ばし、着地させた先で片膝を突かせた状態でガードに徹底させる。

「ホラ! ホラホラホォラ! どうしたの? まさか何も出来ないの? ねぇ、何も出来ないの?! レオナルド・ダ・ヴィンチ!!!」

 爆ぜる空気の応酬に、殴られる。抉られる。打たれ続ける。

 試合が始まってずっと、モーツァルトが優勢な一方的展開が続く。

 下顎を揺らして脳を揺らし、拍手とタップによる音でストレスを与えて思考を阻害する。

 知恵こそが人間の武器。レオナルドに関しては猶更だろう。

 だから考える隙など与えない。考えるための力、原動力たる酸素さえ与えないために、手拍子もステップも激しさを増して、衝撃の数を増やし、威力を増していく。

 もう鎮魂歌を待つまでもない。

 モーツァルトの描く楽譜が間休符を描こうとした時だった。

 先に聞いたのは、攻撃を続けるモーツァルト。その後しばらく遅れて、レオナルドは観客へと目線をやる。

「頑張れぇ! ダ・ビンチィ!」

「頑張れぇ!」

「立てぇ、レオナルドォ!!!」

「おまえは我々芸術家の誇りなのだ! 立て、レオナルド!」

 一体、誰が作った。自分はそんなに不細工じゃない。

 最近金の近い道に困っていたので、適当にしておいた寄付先の子供達か。師匠ヴェロッキオ、ライバルと謳われたミケランジェロ。彼らの協力と共に作られたのだろう拙い像が、そこにはあった。

 寄付はただの気紛れだ。

 勝利に価値を見出したかったのと、自尊心を満たしたかったのもあるだろう。寄付金の行く先が貧困に喘ぐ孤児院の子供達のところだったのも、ただの偶然。狙ってなどいない。

 そうだ。

 最初から称賛されたい訳じゃなかった。

 ただ、好きで描いていた。好きで作っていた。

 書くのも作るのも、好きで好きで好きで好きで好きで、好きで堪らなくて続けていって、気付けば俺の周囲には多くの人がいた。

 誰かに強いられた事なんてなかった。仕事として芸術をやった事は無論あるが、嫌な物は嫌だと断った。それゆえに顰蹙を買う事も多々あったが、大勢の人が味方してくれた。

「ったく……師匠。俺はそんなに不細工か? ミケランジェロ。おまえは、彫刻においては俺より上と豪語していただろうが……」

 何が常勝。

 何が万能。

 俺は――レオナルド・ダ・ヴィンチはただの馬鹿だ。大馬鹿だ。

 ただ、誰よりも馬鹿正直に、やりたいことをやっただけの馬鹿だった。

「――?!」

 モーツァルトの手拍子が、ステップが止まる。

 久しく訪れた静寂の中で、レオナルドは獣が如く吠えた。

 言葉にもならぬ咆哮は会場を飛び越え、空を衝き、どこまでも高く伸びて、弧を描く形で戻り、レオナルドの中へと落ちていく。

「モーツァルト、だっけ? はっ! おまえが何をしようと、おまえが何を使おうと、おまえが何を企もうと、俺には関係ねぇ」

「え……?」

「だから、好きにやりな。他称天才にして万能のこの俺様! レオナルド・ダ・ヴィンチ様が、その上を行ってやるよ!」

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