巴御前vsブーディカ 2

 女王ブーディカは、スパルタクスと同じくローマに因縁を持つ。

 夫である王の死後、王の遺言を蔑ろにされ、本来受け継がれるはずの地位も名誉も栄光も、全てを奪われた挙句、自分は鞭打ちにされ、二人の娘は凌辱された。

 憤怒したブーディカは、同じくローマを敵とする部族らを纏め上げ、勢いそのままに前進。結果としてローマ有する三つの国を滅ぼし、八万もの人間を虐殺した。

 だがあくまで、ブーディカは指導者として語られる。

 本当に?

 奇しくも勝利の女神と同じ名を冠し、国は蹂躙され娘達は凌辱され、激昂する女王はただ導くだけであったと。

 本当に?

 後、彼女による反乱を鎮めたローマは考えを改め、ブーディカを女傑として称えたと言う。

 指導もまた才能。しかし、それだけで屈強なるローマが考えを改めるだろうか。

 彼らは恐れたのではないだろうか。ローマは見てしまったのではないだろうか。勝利の女神と同じ名を冠した女、女王ブーディカという復讐者の姿を。

 彼女と言う復讐鬼を起こしてしまった事を、後悔したのではないのだろうか。


  *  *  *  *  *


 第三試合開始、一時間前。

「第三試合。相手は十中八九、勝率の高い転生者で来る。今、会場に流れつつある俺達の勝利への可能性を跡形も無く粉砕したいがために、奴らは確実な一手を打ってくる。だから、俺達はおまえという勝利に賭けるぜ、ブーディカ」

 チームルーザー監督室に呼ばれたブーディカは、終始無言だった。

 元々口数は極端に少なかった。まともに声すら聞いた事がなかったくらいに。

「てめぇなら勝てる。モルガン辺りが出てきたらわからねぇが、少なくともまともな相手ならてめぇの勝ちだ。やってくれるな、ブーディカ」

「……もし」

 この時、安心院は初めて、彼女の声を聞いた。

 復讐者アヴェンジャーと呼ばれるには何とも優しく、玲瓏な声色をしていた。

「もし、私が勝ったなら……私の望みを、聞いてくれますか」

「あぁ。転生者のあんたらと違って、俺には手引きする事しか出来ねぇが……言ってみるだけ言ってみな。案外、叶うかもしれねぇぜ」

「なら、私は――」

 そして、今に至る。

 振り上げた刀剣を降ろし、また、足元に突き立てる。

 最初の姿勢に戻ったブーディカに矢を向ける巴の目を、穴が空く程に見入る目の中には、幾つもの矢印があった。

 流星の様に一方を描く矢印は、一定時間を過ぎると瞬く間に消えて、代わりに別の矢印がまた一瞬のうちに描かれる。

 “勝利への糸口ヴィクトリー・ベクトル”。

 女神アンドラスタの気紛れかは知らないが、勝利の女神が示す道は刻一刻と変わる。

 それらを一つ残らず取り尽くす事は出来ないが、取りこぼす量を限りなく減らす事は出来る。縮地、雲耀、剣の世界でそう呼ばれる速度を超えた世界。

 “女神速ゴッデス・スピード”。

 身体能力に恵まれている訳ではないブーディカは、異世界に行ってもそれは変わる事無く、俗に言われる神速の域には至らなかった。

 が、神速の次――男神の戦神の次に並ぶ速度までには、何とかして届いた。

「今度はどうだ」

 矢は先と同じ四本。

 だが、軌道が先より大きく曲がっている上に速い。

 が、一つの手で四本もの矢を握るため、矢を握る指によって速力、攻撃力は変わる。幾ら怪力の持ち主であろうと、小指の力と人差し指の力が違うのは当然の如く変わらない。

 こちらから見て右斜め上。次に左斜め上。右側面。左やや背面側。

 四つの来る順と、打ち落とすために描く剣の軌跡は、既に瞳の中にある。後は戦車を引く馬の手綱を操るが如く、矢を弾くよう、剣を動かすだけの事。

 ただ、それだけだ。

『巴御前の矢が、また弾かれたぁ! しかも速い! 速い! 速ぁい!!! こっちの実況も目も追い付かねぇ! 巴御前には、果たして見えてるのかぁ?!』

 見えてはいる。

 前世の世にも、神速を謳う剣術を操る剣士はいた。

 転生した異世界でも、転移の術によって速度を無視したような敵とも戦ったし、人の目には追えない領域の速さの中、生きる者達とも戦った。

 だから目は慣れている。が、体が追い付かない事がよくある。今回もそうだ。

 矢がダメなら剣でと思ったが、間合いに入れば速力で勝るブーディカに勝てる道理もない。薙刀、槍の類でも、おそらくはダメだろう。

 ならば――

「巴、まさか……」

「ほぉ。もう外すか」

 ポラリスは驚き、モルガンはブーディカに対する評価を改める。

 両腕を覆う巴の籠手は、防具としての意味合いだけを持たない。いわゆる枷だ。鬼の子とさえ云われ、敵の首を引き千切ったとされる巴の怪力を抑えるための枷。

 今、その枷たる籠手を外す。

 そして番えていた矢ではなく、一番近くにあった刀剣の一つを掴み取り、柄を弦にかけて大きく引っ張り出した。

 刀剣の重量は物によるが、少なくとも矢の重量を下る事はない。それを弓で放つなど本来出来るはずもないのだが、巴の怪力と彼女に合わせて作られた強弓は文字通り力尽くで可能にする。

 ブーディカの“勝利への糸口ヴィクトリー・ベクトル”を固有能力とするのなら、これが巴の固有能力――“壊理鬼かいりき”。

 魔法、異能の類さえ壊す純粋なパワー。それが彼女の持ち味だ。

「ブーディカとやら。次は、そう易々と弾けると思うなよ」

 異能だろうと魔法だろうと、生まれ持った膂力だろうと破壊する力。

 巴は未だ、ブーディカの魔眼とも呼ぶべき能力の全てを把握し切れていなかったが、もはやどんな力であろうと関係はなかった。

 弓が、変形しそうなくらいに折れ曲がる。弦はと鳴き、刀を矢として持つ手には夥しい数の血管が膨らみ、浮かび上がっていた。

「壊れろ」

 解き放たれた刀が真っ直ぐに、ブーディカへと解き放たれる。

 ブーディカのベクトルは真っ直ぐに向かって来る刀へと向いて、打ち払う寸前で、瞬く間に掻き消えた。

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