レオニダスvsスパルタクス 4

 およそ一八〇〇度。

 鉄さえ溶解する温度を体内に宿したレオニダスの足下が、赤く溶ける。

 若干沈んだ肉体は大量の汗を掻き、元々筋肉質で脂などないに等しい痩躯からなけなしの脂が抜けて、痩せぎすの体となってしまったレオニダスだが、弱体化してしまった印象はまるでない。

 寧ろ太陽さえ呑み込んだような姿となったレオニダスに対抗するには、今まで一方的に押していたスパルタクスでさえ力不足にしか見えなかった。

「さぁ、来い!」

 来いと言われても、今のレオニダスの体温は鉄をも溶かす。

 そこに生身の人間が突進したところで、出来る事など何もない。出来てせいぜい悪足搔き。そう思っているのは、観客席の人間だけだった。

 それこそ、レオニダスは信じてさえいた。

 スパルタクスならば、絶対に向かって来ると。

 そして男は観客の予想を裏切り、レオニダスの信じた通り、我が身一つで突貫して来た。

『スパルタクス猛進! 近付くだけで焼かれる熱波に晒されながら、進む進む進むぅ!!!』

「くっ、かっかっかっ。よくもまぁ進めるな。太陽に向かって走っとるようなものであろうに」

「……どうした皇帝ネロ。何か、言いたげだな」

「は。恐れながら申し上げます、初代様。この身も異世界転生を経験し、この世界に舞い戻って来た身。そして我が身に与えられた異能は我が逸話に習い、同じ敵に三度殺されなければ決して死ぬ事はないと言うものであります」

「ウム。我らのチームが敗北しないのも、汝の異能あってこそ。して、汝の異能が汝の懸念とどう繋がる」

 観客席でただ一人、別の角度からこの戦いを見ていた皇帝ネロ。

 その理由は、今に述べた通りの彼の異能の内容と、前進し続けるスパルタクスの体にあった。

「私の異能は、相手の攻撃を受ける度にその耐性を得る。スパルタクスにもそれと同じ――いえ、酷似した何かしらの異能があると推測されます」

「早い話だ、ネロ陛下。その言葉が意味する物は、何だ」

「……この勝負。勝敗の行方はまだ、わからないという事だ」


 *  *  *  *  *


 敵の数はおよそ二〇万。

 対するこちらはたったの三〇〇人。連合を組んだ他国の七千もの兵が撤退する中で、我々だけがその場に残った。

 新しき夫と結婚し、健やかなる子供を産めと妻に遺し、我らだけが信念を貫き通した。

 決して撤退する事なかれ――それがスパルタの戦士の掟。

 投降を求めた敵国の王に対しても、レオニダスはただ一言で以て返した。

来りて獲れモーロン・ラベ!!!」

 結果、レオニダスは殺され、体は敵国の連合に次々と斬られて奪い取られ、首は晒しものとされたが、その戦いで、三〇〇のスパルタ人は二万もの敵兵を殺してみせた。

 槍が折れても剣がある。

 剣が折れても拳がある。

 拳が砕けても歯があった。

 そんなスパルタ人が次の戦いには一万人。たかが三百にさえ翻弄された敵国の兵は瞬く間に滅ぼされ、レオニダスの仇は討って取られた。

 異世界に転生したレオニダスの耳には届かぬ事であったが、此の世に戻って来て知った。

 死せる孔明は生ける仲達を走らしたが、死せるレオニダスは敵国をも滅ぼしたのである。


  *  *  *  *  *


来りて獲れモーロン・ラベ!」

「「「来りて獲れモーロン・ラベ!!!」」」

来りて獲れモーロン・ラベ!」

「「「来りて獲れモーロン・ラベ!!!」」」

 レオニダスの雄たけびに、三〇〇のスパルタ兵らも続く。

 繰り返されると共に熱量も上がっているかのようで、赤く燃える肉体がより赤い煌めきを宿して燃え盛っていた。

 天を衝かんと伸びる火柱は、さながら噴火する火山。溶けるフィールドは溶岩帯と化して、スパルタクスの歩みを止める。

 それでもあくまでレオニダスは言う。来りて獲れモーロン・ラベ――獲りたいのならば来てみせろと。

 なんとも酷、いや過酷。

 如何にスパルタクスと言えど、溶岩の中は進めない。レオニダスが進軍を始めれば、すぐさま灼熱によって骨も残さず溶かされ、跡形も無く消え去るのみ――と、誰もが思っていた。

 他ならぬ、レオニダスを除いては。

「さぁ来い!」

「……行くゾ」

 猪突猛進。観客席から悲鳴が上がる。

 魔法、異能による強化なし。防壁もなければ障壁もなし。丸腰も同然の状態で、煮え滾る戦場へと一歩、また一歩と歩を進める。

 鼻を突く人肉の焼ける臭い。

 一歩進むごと上げる悲鳴じみた咆哮とが、ただでさえ混乱の中にある観客席を更なる混乱へと陥れた。唯一、南條だけがこの状況を嬉々として受け入れる。

「笑ってる場合?! このままじゃスパルタクスが! スパルタクスが!」

「何を言ってやがる! ここからが奴の本領だぜ、安心して見てな、安心院!」

 勇猛果敢と命知らずは、似て非なるもの。

 勇猛果敢は、少なくとも限りなく掴み取れる機会の多いチャンスを狙って動くものだが、命知らずは単に自分自身のプライドのみで動く。

 前者か後者か。人さえ灰燼に変える炎を抱いたレオニダスには、それがすぐにわかる。そもそもこの形態にさえならないのだが、なれば一目瞭然だ。

 まず後者から始めに言うが、これはまず最初に他の方向へ一瞥を向ける。

 他に何か手は無いかとない物ねだりをするか、逃げる方向を探しているかのどちらかだ。とにかく、自身の手元には対抗策がない事が窺える。

 そして前者は、ひたすら前を向いている。それこそ今のスパルタクスのように、一瞬も目を離したりなんかしない。向かって来るかどうかは別として、視線だけは外さない。だから猛進して来るスパルタクスにもまた、何かしらあると見るべきと判断したレオニダスは、自らが先に攻勢に出た。

「受け切れるか?! スパルタクス!!!」

 受ける受けないの話ではないし、耐えられるかどうかの問題でもない。

 一撃必殺。絶対に回避しなければならない紅蓮の鉄拳。レオニダス曰く、名すら焼き消された焔の一撃。

 それをスパルタクスは、腹部中央。腹のど真ん中で受け止めた。

 腹に刺さった拳が内側からスパルタクスの身を焼く。外見からでは到底見えないが、掴まれた胃袋とそれに近しい臓器の一部が焼き尽くされ、機能停止まで追い込まれた。

「終わりかな? うん」

 さすがに、これ以上の戦闘続行は望めまい。

 安心院が、ポラリスが、観客全員が、南條さえもさすがに無理かと察したつもりになっていた中で一人、全員の予想を裏切り、斜め上に行った男がいた。

 男の手は力強く、己が腹を貫く腕を握る。

「ヤット……見つけたゾ。オマエの、破壊すべきチカラ……!」

 誰が予想出来ようか。誰が想像出来ようか。

 頭部半壊して尚戦った芹沢も化け物だが、それ以上の化け物だ。臓器を焼かれて未だ立っているだけでも奇跡だと言うのに、拳を振り被っている。

 異能を顕現。奇跡を発現させようとしている。

「面白いぞ、うん! よぉし……来い! スパルタクス!!!」

 両腕に施されたのは、異能破壊の効力を持つ魔法の刺青タトゥー

 大きく膨張した腕の繰り出す拳が風を切り、岩をも溶かす体を殴り付ける。

 骨の軋む音。肉の切れる音。細胞の砕ける音とが混ざり合った不快音が、会場に響き渡った。

  

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