第41章 2015年 ~あなたは、へヴィメタルを愛していますか?-1

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「――そうしておれは、生まれ変わった。男の『水瀬春紀』として」

 水瀬春紀は表情を変えることなく、語った。

 いつもの榛原家のリビングルームが、いつになく張りつめた空気になっている。

 ちらと確認すると、胡桃ですらソファに座ってはいるが居住まいを正して、ただ水瀬春紀の話に聴き入っている。

「それで君はその……男になった――と、そういうわけかい?」

 ユグドラシルが、言葉を選びながらなのか、とぎれとぎれに口にした。

「そうだ。まあ、それでも信用してもらえないかと思って、証人をつれてきたわけだけれども」

 水瀬春紀の隣には、田中零がいた。元〈キング・オブ・メタル〉のボーカルをしていた男性だ。今はスタジオのスタッフ兼、音楽バーのオーナーをしているとのことだ。


「俺が保証するよ。水瀬春紀は、女だった。それも絶世の美女だった」

 少しおどけた調子でいう田中零に、水瀬春紀は苦笑しながらも、

「もっとも、おれが男になってからは、数えるほどしか会ってないけどな」

「ああ、そうだ。あれがあって〈キング・オブ・メタル〉は解散したんだ。あの頃に何度か病院で会って以来会っていないな……もう、何年になるかな」

「十年ぐらいか……市川が連絡先を知らなかったら、つながらなかったな」

「ああ、あいつは今でもちょくちょく、うちのバーで飲んでるからな」

「うちのバーって」

 胡桃が口を挟んだ。

「音楽バーってことは、ひょっとして、ヘヴィメタルバーですか?」

「そうそう……もちろん、公には銘打ってないけれど、来る客はほとんどヘヴィメタル愛好者だな。新しく来る人も口コミで店を知った人ばっかりだな。思っているよりもいっぱいいるんだよ。ヘヴィメタルを聴きたいっていう人がね」

「ふうん……じゃあ」

 胡桃の手には、一枚のCDがある。〈キング・オブ・メタル〉のCDだ。

「このジャケットの写真の、男女のギタリストって……」

「そうそう。騙すつもりはなかったんだけど」水瀬春紀がいう。

「両方とも、おれ。水瀬春紀だよ。写真自体は別々にとったものを合成しただけ。もっとも、男になってからはギターなんか弾いてないけど、まあ最後にどうしてもちゃんとCD化だけでもしておこうってことになったときに、誰かの案でそういうジャケットにしようかと……いうなれば、ちょっとした悪戯心だな」

「じゃあ、あの『シルバーメタル』のツインギターが絶妙なのも当たり前なんですね。同じ人間が弾いていたわけですもんね」胡桃が口をとがらせる。

「まあ、そうだな……実際には、両方のパートを女だった頃のおれが弾いているんだけどね」

「そうなんですか……」

「男になってからは、一度もギターには触れていない」

 軽く鼻で笑う水瀬春紀。その目は、あまり笑っていない。

 そういえば、水瀬春紀が心から笑っているように感じたことが、今まで一度でもあっただろうか。

 瑠奈が覚えている限り、思い当たらず、そのことに少し背筋が寒くなってくる。


「それはそうと、ヘヴィメタル症候群の謎は、解けたかな?」

 水瀬春紀の表情には、哀愁以外の何物でもない空気が漂う。

 瑠奈はちらとだけ、ユグドラシルと胡桃に目を向けてから、ゆっくりと首を振る。

「まだまだ全然です」

「そうですよ」と胡桃。

「まだまだだね」とユグドラシルもかぶせてくる。

 瑠奈はもう一度頷くと、続けた。

「今の話は、ただヘヴィメタル症候群の症状についての説明にしかなっていないですよ。私たちが知りたいのは、原因の方。原因がわからなければ、ヘヴィメタルの再興もない。それに対しては全く何も解決していないでしょ」

 水瀬春紀が、曖昧な笑みを浮かべている。

 なにか返答があるかと思い待っていたのだが、口を開いたのは隣の田中零だった。

「原因に関してはまずは楢崎さんに聞くべきだろうね。今日本の中で……というより、世界中で、かもしれないけど、一番そこに近い人なのかもしれないよ」

「でもこの前行ったときは――」

 けっきょくわからなかった、いいかけて、やめた。

 あの時は、ノーアポで訪れた挙句、ユグドラシルからのヘヴィメタル症候群発生の連絡により中途半端な状態で早々に撤退してきたのだ。もっと腰を落ち着けて問いただせば、何がしか得るものがあるはずだ。なんといっても、長年研究をしてきている人なのだから。


「わかりました。今度はちゃんとアポイントをとってから訪問します」

「ああ……そうだな。多分、色々と教えてくれるはずだよ……まあ、ある程度は、ね」

 そういって薄く微笑んでいる田中零の横で、それでも水瀬春紀は口を開くことなく、ただ黙って頷いている。

 いったい、どう思っているのだろうか――。

 喉まで出かかったこの不満を、なんとかおしとどめた瑠奈は立ち上がり、

「じゃあ、固い話はこの辺にして、本日の宴会を始めましょうか。――胡桃、オーディオの準備はいい?」

「ほいさ」はじかれたように、胡桃が立ち上がる。

「ラシルは酒を準備して頂戴」

「はいはい」ユグドラシルも、ゆっくりと立ち上がる。

 

 この日の宴は夜中まで続いた。

 田中零は終電前に家を出ていった。

 水瀬春紀も同じタイミングで帰ろうとしたが、若干酔いの回っているらしい胡桃にしつこく押しとどめられて、けっきょくは朝まで残ることにしたようだ。そして、引き留めた当の胡桃が先に床に横になってしまい、そこに毛布をかけた水瀬春紀も奥の部屋に引っこんでいった。

 いつものようにソファで寝息を立てているユグドラシルを横目に、瑠奈も自分の部屋に向かう。

 いつもよりも飲み過ぎたのか、視界が何重にも重なっている。

 足が自分のものではないような感覚に襲われ、まっすぐに歩けない。転びそうになったがなんとか立て直して、そのままベッドに倒れ込んだ。

 意識は、深い底なしの泥水の中に沈み込むように、急速に落ちていった。

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