第25話新しい目標

 真央先輩がいなくなった。俺のせいだ。


 そんな事実、俺には耐えられなかった。

 学校に帰っても、ご飯を食べていても、放課後になっても、真央先輩がいない。


 おかしくなってしまいそうだ。だから、俺は自らおかしくなることにした。


 真央先輩がそこにいると仮定して、空想の話し相手にする。

 一人部屋だった俺は、一人で会話のふりをしても誰かに怪訝な目で見られることがなかった。


 イメージが固まってくると、そのうち俺自身がそれを信じるようになった。


 ああ、なんて愚かな、なんていう葛藤もなくなった。


 嘘は、俺の中で真実になってしまった。



 ◇



「つまり、私はただ、痛いのが好きだから戦っていた。自分が気持ち良くなりたいから戦っていた。でも、そのせいで私なんかとは比べ物にならないほど立派な人だったお姉様が死んでしまった。これが私の過ち。もっと愚かな行い」

「……」


 語り終え、一呼吸つく。いつの間にか、涙は止まっていた。

 優香ちゃんは、真剣な表情のままで俺を見つめていた。


「それでも、私は生きなければならない。お姉様がそう願ったから。たとえ価値がなかったとしても、私は生き続ける。痛みに喜ぶというどうしようもない性格をかかえて」


 俺の言葉を聞いた優香ちゃんは、しかし失望するような態度を見せることもなく、凛とした声で俺に問いかけてきた。


「どうして燐火先輩は、そんなに自分の価値を低く見ているんですか? 私が見るに、あなたの自己嫌悪は、きっと大事なお姉様を死なせてしまった以前から存在していたことなんですよね」


 その言葉に、俺は久しぶりに前世のことを思い出した。男だった頃。どうしようもない俺ができてしまった原点だ。


「……ああ。かつて私は、両親に望まれたように生きることができなかった。……些細なことだったけどね。ただ、医者だった父とは違って私の頭の出来は良くなかった。それだけだよ」


 それは、天塚燐火としての記憶ではなく、俺の生まれの記憶だ。


「勉強。入学試験。それらをこなす才能が私にはなかった。よくなじられたよ。どうしてお前はそんなに出来が悪いのか。欠陥品って言われていた」

「そんな……」


 多分あの人たちにとっては、子どもとは自らの優秀さを示すアクセサリーだったのだ。親と同じ優秀な道を行き、両親の教えが正しかったことを証明する。そのために生を受け、そして失敗した。


「両親の提示する価値になれなかった私は、全てを放棄して自室に籠った。死ぬことばかり考えて、結局死にそこなった」

「……」


 あの時、俺は確かに足場を蹴飛ばして首を吊ったはずだった。しかし目が覚めたらこの体になっていた。

 喜びはあった。大好きな美少女の体になって、価値ある人間になって、やり直せるんだって思った。

 でも、真央先輩を死なせてしまったことで実感した。ああ、結局俺は、元のダメで価値のない人間だったのだ、と。


「人を救う医者になれなかった私は、間接的に人を殺した。あの時私が死んでいたなら、真央先輩が死ぬことはなかったのに」


 私の代わりに真央先輩が死ぬなんて、価値が全く釣り合っていない。

 悔いても悔いても、真央先輩は帰ってこない。俺の命を捧げて彼女が帰ってくるのなら、喜んで捧げるのに。

 しかし、優香ちゃんは俺の言葉を聞いて尚諦めなかった。


「……あなたのお姉様は、そうやって苦しくなるほどに悩むことを望みながら亡くなったのですか?」

「……え?」


 思わぬ言葉を言われて、俺の思考が止まった。

 優香ちゃんが畳みかけてくる。


「桜ヶ丘真央先輩に、私は会ったことがありません。でも、先輩方は皆彼女のことを尊敬していたようでした。強くて、優しくて、周囲を明るくしてしまう、太陽みたいな人。そんな人が、燐火先輩が自分を責めることを望んでいたとは思えません! 先輩は今、桜ヶ丘先輩の望みを裏切っているのではないです!?」


 優香ちゃんの言葉に、己の何か深いところが揺さぶられる。

 真央先輩は、きっと俺が懊悩することを望まない。それは俺が目を逸らし続けていた事実だった。

 でも、認められない。


「──それは、真央先輩が私のことを何も知らなかったからだ! 自己満足のために戦っていることや、心配されていい気になっていること、価値がない人間であることを告げる前に逝ってしまった! 今の私を見たら、真央先輩でさえも失望するに決まっている!」


 吐く息が荒い。自分の感情をコントロールできない。


「いいえ、今の燐火先輩に価値がないなんてことはありません。だってあなたは、失ってしまったものよりも多くを救っています。エース、なんて呼ばれてもまだ、自分には価値がないと思うのですか?」

「そんなの……たまたま力があっただけだ! 何度でも言うけど、私が力を振るうのは自分のためだ! 救った命があったとしても自分のため! 自分が尊敬されて気持ち良くなりたいだけだ!」


 興奮している自分に気づき、呼吸を整える。ああ、お姉様を名乗っておきながらこんな体たらく。やっぱり俺は、真央先輩みたいに素晴らしい人間にはなれないみたいだ。


「ダメなんだよ私は……今更どれだけ『魔の者共』を倒したって関係ない。真央先輩はもう死んでしまった。こんな私はさっさと死んだほうが良かったんだ」


 ああ、なんておぞましい独り言だろうか。己の弱いところをひたすら垂れ流して、自己満足している。こんな姿、誰にも見られたくなかった。


 けれど、優香ちゃんはまた一歩踏み出してきた。


「──じゃあ、私が先輩を肯定します」

「……え?」


 顔を上げる。優香ちゃんの顔には、強い意志が籠っていた。


「たとえ愚かでも、弱くても、価値がないと思っていても、私があなたを肯定して認めます。あなたは、私の唯一無二のお姉様です」

「どう、して……」


 どうして、こんな俺を見てもなお手を差し伸べてくるのか。もう既に俺の愚かさは曝け出した後なのに。


「そんなの、決まってます。今まで過ごしてきた中で、先輩は私のお姉様にたる人物と確信しました。だから、誰が何を言おうと私は肯定します」

「でも、さっき言ったように私の本心は……」

「誰にでも欠点の一つくらいあるし、それで失敗ぐらいします。先輩は自己肯定感が低すぎて重く見すぎてるんじゃないですか?」

「ちがうっ! だって、真央先輩が死んで……」

「……桜ヶ丘先輩は、あなたのせいにするために死んだんですか。あなたに自分を責めて欲しくて死んだんですか?」

「……違う」


 それは絶対に違う。真央先輩はそんなこと思わない。


「じゃあ、前を向いてもいいと思います。先輩には、前を向く権利があります」

「……」


 ああ、そうか。


「……優香ちゃん。私は、ずっと真央先輩の死に囚われ続けていた」

「はい。先輩は、真摯に向き合いすぎたんだと思います」


 ああ、過去に囚われた気持ちが、少しだけ解放された気がする。


「──そうだね。私はもう、真央先輩の言葉に縛られて生きることを辞めるよ」

「先輩……!」


 ああ、そうだ。俺を庇って死んだ真央先輩は確かに俺に生きて欲しいと願った。

 でも、俺はもう過去に囚われなくていいんだ。


 気分が晴れる。薄暗い曇天の空に陽光が一条差したような、新しい救いを見つけたような気分だった。


「ありがとう。優香ちゃん。君みたいに素敵な人にそこまで言ってもらえて、私は幸せだよ」

「そ、そこまで言わなくても……」


 赤面する優香ちゃんの様子が微笑ましいい。


 そうだ。もういない真央先輩のために生きるのは止めよう。先輩はそんなこと願っていなかった。


 私が生きるのは、私を救ってくれた義妹のために。──そして、そのために死ぬのだ。


 ありがとう優香ちゃん。俺の新しい目的ができた。


 俺は、君のために死にたい。

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