第24話愚行記②

 ──その隙は、あまりにも致命的だった。


「は……?」


 突如飛来した黒い槍。それは、今の俺にすら目で追えないほどの一撃だった。


 ──ああ、死んだ。

 俺はすぐに直感した。回避は不可能。勝利した瞬間の気の緩みが、俺に死をもたらす。


 まあでも、それなりに満足じゃないか。いっぱい痛みを感じて、いっぱい気持ち良くなって、いっぱい心配された。

 だから俺は、死を受け入れていた。


 ──予想外だったのは、俺が死ぬことを望んでいない人がすぐそばまで来ていたこと。


「燐火ちゃんッ!」


 背後から走って来た真央先輩が、俺を突き飛ばす。彼女の胸部を、黒い槍が貫いた。


「──え?」


 真央先輩の体から噴き出した血が、俺の顔を濡らした。


 頭の中がぐちゃぐちゃになる。信じたくない。こんなこと、あってはならない。

 現実が受け止められなくて、俺はその場から動くことができなかった。


 真央先輩は顔を真っ青にしながらもよろよろと立ち上がった。


「コホッ……」


 血を吐いた先輩は、立つことすら苦しそうだった。


「ま、真央先輩! なんで……なんで私なんか庇ったんですか!? なんであなたが……なんで価値のある人間であるあなたが……! 違うのに……私は救われる価値なんてない人間なのに!」

「燐火、ちゃん……?」


 俺が叫び続けていると、前方から、こちらに飛んでくる影があった。


 その影は、伝承に言われる悪魔の姿をしていた。黒い体。背中から生えた翼。その顔には、ニタニタという笑みが浮かんでいた。

 ──強い。一目見て確信できるほどに、その化け物は力に満ちていた。今の俺では、きっと一分と経たずに殺される。



「やあやあ! ご機嫌よう、人類の皆さん! 相変わらず血塗れの顔が良く似合っていますね!」

「『魔の者共』が……しゃべった……?」


 それは、信じがたい光景だった。人類の敵である『魔の者共』には、対話できるほどの知性はない。それが人類の共通認識だった。


「私は他のケダモノ共とは違うので。どうか、『喜悦の悪魔』とでもお呼びください」


 深々と丁寧なお辞儀をする喜悦の悪魔。しかし、この場でそんなことをしても慇懃無礼、という印象しか受けなかった。


「しかし、私の槍を受けて立っている人間がいるとは……やはりあなたは戦乙女の中でも厄介な相手だったようですね」

「あはは……敵に褒められても嬉しくないよ?」


 血の気の引いた顔で、真央先輩が笑う。明らかに致命傷を負っているにも関わらず、その体は未だに活力に満ちていた。いったい、何が彼女の体を支えているのだろうか。


「しかし、そんな優秀なあなたもここで終わりですね。今の貴女たちに私を倒すのは不可能です」


 その言葉の通り、悪魔の身に宿る力は、桁違いのように見えた。あいつと比べれば、先ほどの上級種すらも生易しい敵だったようだ。


「ふふ……本当に勝てると思う?」


 真央先輩は、胸に穴が開いたままで不敵に笑った。それを見た悪魔は、不快そうに眉を顰める。


「ふむ、瀕死の貴女と、呆けた戦乙女。勝敗は既に決したものだと思いますがね」

「知ってる? ──お姉ちゃんっていうのは、妹のためならどこまでも頑張れるものなの」

「……真央、先輩?」


 言葉に不穏な気配を感じて、俺は震える声で彼女を呼んだ。

 絶体絶命の窮地とは思えない不敵な笑みを浮かべたままで、真央先輩が話し出す。


「極まった戦乙女は『特徴』と呼ばれる力に目覚めることがある。燐火ちゃんが傷だらけになるとむしろ強くなるのは、きっとこれのおかげだろうね」

「それで? あなたはその力でこの状況を打破できると?」


 悪魔は真央先輩の言葉を嘲った。

 真央先輩は黙って弓を構えた。しかし、傷によってその手は震えていた。


「応えて……『献身一矢』」


 真央先輩がそう言った途端、雰囲気が一変した。ただ弓を構えているだけなのに、それを見ていると圧倒されるような気配。その体には、今まで見たこともないほどの力が籠っている。まるで、光り輝く神体でも見ているようだった。


「なっ!?」


 悪魔が驚いたように声をあげる。先ほどまで余裕綽々だったが、身の危機を感じたらしい。先ほど真央先輩を貫いた黒い槍を手元に出現させる。禍々しい雰囲気を纏った、恐ろしい武器だった。

 悪魔はそれを、真央先輩に向かって投げ込んだ。


「フーッ……ッ!」


 気迫の溢れる真央先輩の弓から放たれた矢は、今まで見たこともないほどに力強いものだった。空を切り、鋭い音を立てて一直線に喜悦の悪魔に迫る。


 迎え撃ったのは、喜悦の悪魔の投げた黒い槍だった。先ほど真央先輩の胸を貫いた槍が、俺の目で追うことも困難なほどの速度で迫る。ギアの入った俺ですら、それを止めるのは不可能だっただろう。


 交錯する。槍と矢のせめぎ合い。轟音を立てるそれは、もはや誰にも止めることができないほどの威力を秘めていた。

 勝ったのは、真央先輩の矢だった。黒い槍を粉々に打ち砕き、全く威力が衰えないままに目標に迫る。


 空を裂く矢が悪魔に迫る。咄嗟に右に飛ぶ悪魔。しかし、真っ直ぐに飛んでいった矢は、その右腕をあっさりと吹き飛ばした。


「ぐ……あああああ!」


 悲鳴をあげる喜悦の悪魔。それを見届けた真央先輩が、わずかに体の力を抜いた。

 肩から先のなくなった右腕の付け根を抑えながら、悪魔は話す。赤黒い血が流れ続けていたが、致命傷にはならなかったようだ。


「ふふ……予想外の反撃でしたね。仕方がありません。今日は仕切り直しとしておきましょうか」


 翼をはためかせる。

 それを見た真央先輩は、再び矢をつがえた。


「口ほどにもないね。一回攻撃を受けただけで撤退?」


 真央先輩らしからぬ、挑発的な口調。しかし声は震えていて、彼女の傷の影響を窺わせた。


「ええ。今のあなたはまさしく歴代最強の戦乙女と言うに相応しい。『特性』がよほどうまく嚙み合ったのでしょう。放っておけば死ぬというのに強敵と戦うほど愚かではありません」

「──え?」


 真央先輩が、死ぬ。悪魔の言葉に、激しく心が揺さぶられる。


「あなたが死ねば、私を止められる人類などいない。少しばかり、療養期間としますよ」

「負け犬の遠吠えだね。逃がすと思う?」


 真央先輩が弓を引く。その体には、先ほど同様見たこともないほどの凄まじい力が籠められていた。


「強がりはよしてください。矢を放つ前に死ぬでしょう」

「試してみる? 大切なものが後ろにいる人間の可能性を」


 真央先輩の声は痛みに震えていたが、しかし確固たる自信に満ちていた。

 しかし、悪魔は黙って背中を向けるだけだった。


「それでは、また会いましょう。滅びに抗う乙女たち。愚かな人類の防人たちよ」


 翼をはためかせ去っていく喜悦の悪魔。それを見た瞬間、真央先輩はその場に崩れ落ちた。


「真央先輩!」


 慌てて駆け寄り、彼女の体を支える。その顔は、既に真っ青だった。


「待っててください! すぐに学校まで連れていきますから!」

「いいの、燐火ちゃん。……私はここで、おしまいだから」

「なっ……そんなことないです! 学校で治癒を受けて! ちゃんと療養すれば胸の傷だって……」

「違うの。胸の傷じゃなくて、私の『特徴』のせいなの」

「え?」

「『献身一矢』。私の力の本質は、誰かのために身を捧げることにある。ゲホッ……」


 真央先輩が血を吐く。俺の中の焦りが加速する。


「先輩! もうしゃべらなくていいです! 私が今──」

「──聞いて!」

「ッ!」


 真央先輩の今まで見たこともないような剣幕に、俺は押し黙った。


「私は私の力ゆえにここで死ぬ。誰のせいでもない。後悔はないの。そうじゃないと、あの喋る『魔の者共』に皆殺しにされていたから」 


 確かに、あの悪魔の力は規格外だった。普段の真央先輩の矢では倒すことができなかっただろう。

 そして、真央先輩ですら倒せない敵となれば、もはや戦乙女総出でも倒せるか怪しいと言えよう。


「違います……! 先輩がここで倒れているのは、私の独断専行のせいです! 私が無理しなければ、先輩は死ななかった! ──死ぬべきは、オレだったんです!」


 俺の言葉を聞いた真央先輩は、少し目を開くと、穏やかな笑みを浮かべた。


「ああ、やっと本当の燐火ちゃんが見れたね」

「なにを……」

「クールでかっこいい燐火ちゃん。私の大事な義妹。あなたに何か隠していることがあること、私は知っていたよ」

「……ッ!」


 ああ、やっぱり真央先輩は賢い。俺がひた隠しにしてきた前世のこと、悟っていたみたいだ。


「じゃあ、私から、愛しの妹に最期のお願い」

「さ、最期……? 


 その言葉は、到底受け入れられるものではなかった。


「い、いやです! なんで真央先輩が死ななくちゃならないんですか! どうしてオレじゃないんですか! 死ぬのはオレでいいって……ッ」


 真央先輩の震える指が、俺の唇にそっと触れた。柔らかい感触に、俺は口を閉じる。


「それ。私のお願いは、それをやめて欲しいってこと」

「え?」


 真央先輩は穏やかに微笑んだ。


「死ぬべきとか、死にたいとか、戦いの中で死ねるなら本望とか、そういうこと言わないで。──あなたは、生きて」


 俺の唇につけた指を、そっと自分の唇へ。まるで愛おしいものにくちづけするようだった。


「ふふん……私のファーストキスは、永遠に燐火ちゃんのものだよ……間接キスだけどね」

「ッ!」


 ああ、どんな時でも、真央先輩は優しい。どうして、こんな人が死ななくてはならないのだろう。──俺のせいだ。


「……お姉様」

「うん。なあに?」


 真央先輩が目を閉じる。きっともう二度と目が開くことはないのだろう。俺は本能的に悟ってしまった。


「大好きです」

「うん。私も」


 ああ、きっと違うのだ。俺の大好きと、お姉様の大好きは違う。そして、お姉様がそれに気づくことはない。だって俺は、かつて男だったことすら打ち明けることができなかった。


 真央先輩の体から力が抜ける。


 こうして、俺の太陽はこの世界から消えた。





「燐火! 燐火どこだ!?」


 遠くから夏美の声が聞こえてくる。俺は、よろよろと立ち上がり夏美を迎えた。


「燐火! 無事だったか! …………まお、せんぱいは?」


 夏美の目線が、俺の傍らで倒れている人影に向く。


「死んだよ」


 努めて冷たい口調を作って、俺は真実を告げた。


「私たちのお姉様は、私を庇って死んだ」

「ッ……!」


 そこで言葉を止めれば、きっと夏美は一緒に真央先輩の死を悼んでくれたのだろう。

 けれど、俺はそうしなかった。


「真央先輩は私のせいで死んだ。私は、自分が気持ち良くなりたいから群れのボスを探していた」

「なにを……」

「私はいわゆるマゾヒストだから、ただ痛くなって気持ち良くなりたいから戦っていた。『魔の者共』が憎いとかは全部嘘。真央先輩は、そんな私の我儘に巻き込まれて死んだ」

「……は?」

「だから、真央先輩が死んだのは私の我儘のため。誰よりも立派だった彼女は、私の愚かな行いゆえに死んだ」

「ッ!」


 夏美が無言でこちらに駆けだしてきた。俺は何もせずにそれを眺めていた。


「燐火あああああ!」


 夏美の振りかぶった拳が、俺の頬に突き刺さる。本気の力の籠った拳は、俺の体を吹き飛ばし、地面を二回三回と転がした。頬が熱を持つ。己のうちに滾る感情のままに、俺は叫んだ。


「ふふ……ははは……あははははははは! 気持ち良いよ夏美! あなたに殴られて、私は今最高の気分だっ!」

「お前っ!」


 地面に転がる俺の上に、夏美がのしかかる。マウントを取った夏美は、俺の襟を掴んだ。そのまま、俺の顔を激しく揺さぶる。遠慮などなく、彼女は本気で怒っていた。


「なんで真央先輩が死んだのにそんなにヘラヘラしてるんだ! 何がそんなに面白いって言うんだっ!」

「だって、私を信頼してくれていた夏美が、私を本気で憎み、痛めつけてくれている! これほどの幸福は今までない!」


 口角が上がる。笑い声が抑えられない。

 ──いつの間にか、涙が溢れ出してきていた。


「……なんで、笑いながら泣いてるんだ」

「あはは……分からないよ。分からない。真央先輩が死んで悲しいはずなのに、大きな喪失に胸を痛める私自身に興奮している。……ねえ夏美、こんなどうしようもない私を、殺してくれない?」

「……は?」


 俺は夏美の手をそっと取ると、自分の首を握らせた。


「よく考えて。夏美。私が戦っているのは、単なる自己満足。そのために、真央先輩は心を痛め、心配して、庇うことすらしてみせた。それに対して私は、そんな人が死んでもヘラヘラ笑っている。──ねえ夏美。ここで今私を殺しても、『魔の者共』のせいにできる。私たちの太陽を奪った原因に、復讐しない?」

「ああ……」


 夏美の手に力が籠る。両手が俺の首を絞め始める。


「あああああああああ!」


 ──ああ、酸欠の苦しみ! 呼吸という自身の存在を維持するものが阻害されている感覚! 


「はは……はははははは!」


 笑いが止まらなかった。夏美が、憎悪に染まった瞳で俺を睨みつけている。


「そう……もっと……」


 こうしていると、思い出す。男だった頃の最後、首吊って死んだ時のこと。首にかかる縄の冷たい感覚。不安定な足元。ドアの向こうから聞こえる怒号。

 思い出すと、歓喜にどうにかなってしまいそうだ。

 あの時も、俺はこの世界から消えることができることへの高揚感に溢れていた。


「コハッ……ッ……」


 笑う余裕がなくなってくる。息が苦しい。頭がぼうっとしてくる。涙にぼやける視界の中で、夏美は一層俺の首に力を籠め──


 ──俺の意識がなくなる直前、手を離した。


「はっ……ゴホッゴホッゴホッ……」


 俺の体は本能的に酸素を欲し、激しく咳き込む。そんな俺を、夏美は冷たい顔で見下ろしていた。


「……どうして、殺してくれなかったの」

「知るか。死にたきゃ一人で死ね」


 冷たい目は、俺が死のうと死ぬまいとどちらでもいいと思っているようだった。


「ただ、お前が死んだらお姉様だったら悲しむだろうと思っただけだ」

「……」


 ああ、あなたに殺されるなら、許してくれると思ったのに。真央先輩の信頼したあなたの判断なら、彼女も納得してくれると思ったのに。


 涙がポロポロと落ちてくる。


「うう……うううううう……あああああ!」


 俺は、自分がなんで泣いているのか分からなかった。

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