第6話 名取柚李は犬が欲しいのである。

 家に帰ると、ソファに座っている白い猫が目に留まる。

 一見、物静かそうに座っているのかと思いきや、どこか不機嫌さが伺える。


「いつ起きたの?」

 と尋ねると、ルカはプイッとそっぽを向いて口を閉ざす。


「三日も寝てたんだから、心配するだろ。どこか具合が悪いところは? ない?」


 ルカはなにも答えない。

 柚李は手を洗い、風呂を沸かす。沙優にお金をたかっているとはいえ、貧乏なアルバイトなので、夕食は自炊する。


 お米が炊けるまでソファに座ってせとかからもらった豆柴の写真を眺めて待つことにした。


 やっぱりほしいなぁ、かわいい。

 一匹、いや、一匹といわず二匹でもいい。


「なに、浮気?」


 可愛らしい鳴き声からは想像できない大きく低い声だった。突然のことに、柚李は隣を見下ろす……見上げると、耳の生えた銀髪のイケメンが柚李のスマホを覗き込んでいた。


 いつの間に。


 顔面が強すぎて息が詰まりそうになったが、どうにか声を出す。


「沙優さんの友達が拾った子たち。引き取り手を探してるんだよ」

「まさか引き取るつもり? 俺という愛猫がいながら、出生もわからない他所の怪しげな犬をうちに招こうってか?」

「お前も十分怪しいよ」

「今日だって俺を置いて出かけやがって」


 なるほど、それで不機嫌だったのか。柚李は謎が解けた探偵のように頷いた。なんとも猫は面倒くさいな。


「そうだ、それ。具合はもう大丈夫なの? 三日も寝るなんて随分疲れてたんじゃない」

「ま、まあな。もう、平気だし。余裕」


 視線を逸らして答えるルカの頭を右手で撫でる。「ほんと、人間になると可愛げがないなあ」


 数秒間撫でて、右手をスマホに戻す。直後、スマホは小刻みに振動した。せとかからの新着メッセージだ。


『ごめん。豆柴の引き取り手見つかっちゃった! でもいい(?)ニュース! 実は帰りがけにもう一匹拾ってしまいました! こっちは野良っぽいから病院に連れて行ったよ、安心して! 里親募集中だよ!』


 せとかが犬を抱いている写真が添付されている。彼の何かを拾う癖は一向に治る気配がない。


 雑種のわりに柔らかいブラウンの毛一色の比較的小さい部類に入る犬。堂々と立っている耳は、どこか新鮮さが感じられる。


 大都市や野良犬が多く出没する市では、野良犬や迷い犬に関する条例があるはずだが、せとかの住む地域では、通報すれば施設に連れていかれるものの、殺処分される動物が多いと聞いたことがある。


 一応彼の家にも豆柴の子犬がいるわけだから、感染症を考慮して病院に連れて行ったのだろう。


 目がない柚李はすでにこの野良犬が欲しくなっている。未だ不貞腐れているルカはじっとスマホの画面を睨みつけていた。


 この野良は、さすがに健康的には見えないが、なんてつぶらな瞳をお持ちなのでしょうか。


 ——僕にはわかる。この瞳に、嘘はない!


「いや、これ『もどき』じゃん」

「は?」


 そんな彼の指摘は唐突だった。


「このわんちゃんのどこが『もどき』だって?」

 柚李の声は低く、多少苛ついていたかもしれない。


「どう見てもこいつおかしくね?」

「どうしてわかる」

「だから、どう見てもおかしいんだってよ。なんつーの? 勘。そう、俺の第六感が、こいつはおかしいって言ってんだよ」

「猫に第六感があるのか?」

「今は人間だ」

「ともかく、根拠がないと納得できない」


 ルカは足を組んで少し考えていたが、


「ん〜〜、でもまだこいつ人間年齢で二十歳じゃないから人に変身できないだろうし……たぶんほっといてもなんの問題もないよ」


 と説明を諦めていた。そして独り言のように続けた。


「別にさ、人に変身できるからって、変身せずに生活してるヤツもいるだろうし、人間として生きてるヤツもいるだろうね。でも人間として生きるには色々……セードってやつに則って生活しなきゃいけねぇんだろ? めんどくせぇじゃん。ミブンショウメイショってのがねえと働けねぇし、美味いものが食える以外で良いことはねぇよ…………」


 柚李は歯を食いしばる。スマホを持っている左手にも力がかかる。

 そんな彼の様子を一瞥し、首を傾げたルカの腹が鳴り、ルカは立ち上がった。その弾みでソファが少しだけ浮く。


「焼き肉が恋しいぜ〜」とルカはキッチンのほうへ消えていった。


 ひとりになった柚李は、スマホの中のブラウンの犬に視線を落としてため息をついた。


「そうだな……動物だったら、どんなに良かったか……」

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名取柚李はただのコンビニ店員である。 絃琶みゆ @Itowa_miyu1731

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