百花

 フワリ、と。


 蝋燭の明かりが頼りなく周囲を照らす闇の中で、は瞼を開いた。シパ、シパ、と数回まばたきをしたあなたは、不思議そうな顔で周囲を見回す。


「……目が、覚めた?」


 私はソロリとあなたに声を掛けた。そこでようやく私の存在に気付いたのか、あなたはビクリと肩を震わせて弾かれたかのように私へ視線を向ける。


 誰、と。か細く震える声が私に向かって問いを差し向けた。


「私達はここで百物語をしていた……というかは、百物語に巻き込まれた、と言った方が正しいんだけども。とりあえず、そんな感じ」


 私があなたの問いをはぐらかすように答えると、あなたはおずおずと周囲を見回す。と言っても、特に見える物はない。私の手元にある蝋燭だけでは、視界を得られるほど闇は払えない。


 ここの闇は、少し、重たすぎるから。


 他の人はどうしたのかと、あなたは続く問いを投げてきた。どうしてここにいるのかは分からないのに、ここに私とあなたの二人しかいない状況には疑問を覚えるらしい。……もっとも、私が『巻き込まれた』という表現をしたから、そう思っただけなのかもしれないけれど。


「……百物語って、最後にどうなるか、知ってる?」


 私は、今度は質問を無視して言葉を紡いだ。そんな私におびえたかのようにあなたはジリッと私から距離を取る。あなたの目には、闇の中に蝋燭を灯す私の姿が妖怪のように見えているのかもしれない。


「100個怪異が語られた後にね、本物の怪異が現れるんだって」


 ……ならばみんなはその怪異に殺されてしまったのかと、あなたは震える声で訊ねてきた。その言葉に、私はサラリと首を傾げる。


「ねぇ、どうして100個なのかしら? どうして50や80ではいけなかったのかしら?」


 私は自分の問いを投げ続けた。そうされると考えずにはいられないのか、あなたは怯えを顔に浮かべながらも思案するように首を傾げる。


「ヒトはね、1、2、たくさんとしか数を数えられないんですって。3つ以上になったら、4つも5つも、根本的には同じことらしいの」


 何を言いたいのだろう? と首を傾げながらも、あなたは私の言葉に曖昧に頷く。ジリジリと短くなっていく蝋燭が、そんなあなたの影をユラユラと揺らす。


「でもね、付喪神ツクモガミは『あと一年で百の時を数えることができたのに、その前に捨ててしまったな』と悔しがるし、百物語も99個では完成しない。蟲毒も『百種類の毒を持つ生き物を壺に閉じ込め』と説明を始める。みんな百にこだわっている。数えきれない数であるはずなのに」


 そんな蝋燭の炎の動きを無意識の内に追ってしまっていた私は、視線を上げてあなたを見つめる。あなたは私の言いたいことが見えてこないのか、戸惑うように瞬きを繰り返していた。


「思うにね。……引力が変わるからだと思うんだ」


 引力? と、今度は声が戸惑いを表した。


「そう。引き合う力。万有引力。それがきっと、モノが百集まった時に、パンッて唐突に強くなるの。『百』が一種の境界、……結界なわけ」


 唐突で、荒唐無稽。


 そんなことを語り始めた私を笑いたかったのか、あなたは微かに口角を吊り上げる。あるいは、そうするしかないくらい、戸惑っていたのかもしれない。


 それでも私は構わない。だって、説明しようとも、分かってもらおうとも思っていないから。


「引き合って、喰い合って、グッチャグチャになって。きっと、新しいモノを得たいんだ。グチャグチャになってしまえば、名前で縛ることができなくなるから。百物語はそんな、新しい怪異を産むためのシステム。儀式、なんだよね。恐ろしいのは、それをヒトが好んでやってしまうという所」


 私はあなたを見つめたままスッと表情をなくした。最後に残った蝋燭を片手に、……私の身を守るためにある101を手に、私は最後の怪談に幕引きを突き付ける。




「さて。




 その言葉を聞いた瞬間、あなたの視界は唐突に、目の前に現れた大きな口の中に、グバリと呑まれて消えてしまった。



  ※  ※  ※  ※



「……やっぱり、犯人は貴女だったんですか、


 暗闇の中に、いつか見た女の顔があった。


 ただし、顔だけが。いつも宙に浮いていようとも体付きはヒトの女性そのものだったのに、黒い蛇のような胴体に百足ムカデの足が並ぶかのようにヒトの両腕を何対も並べた彼女は、腹に開いた巨大な口で捕食した怪異を味わっている所だった。グチャリ、グチャリと獲物を味わう口腔からは、よだれの代わりに黒い煙が漏れ出ている。


「あら? 犯人、だなんて」


 美しい顔を残した頭頂がグニャリとうごめき、いつかのように私の眼前に降りてくる。姿形が変わろうとも、ニヤニヤと嫌らしく笑う笑顔は健在だった。


「百物語の怪異を呼んだのは、貴女自身でしょう? だって」


 ズラリと腹の両側に並んだ手が、それぞれに指遊びを始める。両手の指先だけを触れ合わせて、人差し指から順に離してはまた合わせていく。あの、時間の流れの狂った放課後に何度も見た、お馴染みの仕草で。


「貴女は身の内に百物語を飼い殺す、百物語の体現者なのだから」


 私は先生の言葉に答えなかった。


 何と答えるのが正解なのか、私には分からなかったから。


「鬼はヒトの目に映らない『何か』の総称。ヒトはそれらひとつひとつに名前を付けて恐怖を減らしてきた。大きな不安をひとつひとつ切り取って、ラベリングした箱に収めていくかのように。そのひとつひとつの箱が『怪談』と呼ばれるもの」


 そんな私が心底おかしいのか、先生はたくさんある手に手遊びをさせながら私の周りをフヨリ、フヨリと漂う。長い胴は邪魔そうで、クルリ、クルリと回ってみても散水ホースがねじれる様を見るかのようで、海の中を行くアシカのような身軽さはどこにもない。


「百物語というのはね、その小分けにされた恐怖をひとつのおけの中にぶちまけて、元の大きな塊に戻そうというひとつの試みなの。『システム』と言った貴女の言葉は、案外的を射ていたわ」

「……私が百物語の体現者だというのは、どういう意味ですか?」


 声は、私が思っている以上に冷静だった。今までで一番静かな声だったかもしれない。


「そのままの意味よ。貴女の中には、百物語が詰まっている」


 そんな私を、やっぱり彼女はニヤニヤと笑った。トンッと、彼女の数多ある腕の一本が、私の胸を押す。


「私達を見通す目を持ち、私達の世界で遊ぶ貴女の中には、の話があふれている。貴女の『記憶』として蓄積された私達が。きっと綺麗に並べていけば、百なんて簡単に超えるでしょうね」


 なのに、と。


 低い声が続いた。


「それなのに、貴女の中に怪異は生まれないのよね。……どうして?」


 グルリと戻ってきた顔が、私の顔を覗き込む。常に笑みが浮いていたはずである顔からは、ついに笑みが消えていた。


「貴女の器という壺の中には、百を超す怪談が詰め込まれているというのに。……どうして、喰い合わないの? どうして、混ざり合わないの?」


 スルリと表情が抜け落ちた瞳の中に、先生を見上げる私の顔が映っている。


 そんな私の顔には、逆にうっすらと笑みが浮いていた。


「それなら、答えは簡単ですよ」


 ユラリと揺らめく蝋燭が立てられた燭台を片手に、ヒトならざるモノと対峙したヒトの子は、ありふれた答えを口にした。


「ヒトとは、最初からそういう生き物だからです」


 声にまで笑みをまとわせて。


 美しく、愛らしく笑ったヒトの子は。


 ただそういう生き物であるだけだと、ヒトならざるモノに説く。


「ヒトは、身の内にいくつも怪談を呑み込み、他の何よりも強い毒を持ち、時に喰い合い喰い合わず、狭い箱の中で不自由に生きていくですから」


 だから、いくら怪異を身の内に飼っていても弾けることもなく、熟しすぎてとろけていくこともない。


 だからこそ、どこまでもどこまでも毒々しくなれるモノ。


 世が進めば進んだだけ、モノよりヒトが怖くなる。


「……嗚呼アア


 私の答えを受けたは、震える指先を私へ伸ばした。今日頬に触れた手は、いつものように冷たかったけれど、初めて『触れた』という感触を私の頬に伝えてきた。


「そう、そうなのね」


 その指を、私はただ感じる。拒絶することも、受け入れることもしないで。


「『貴女を食べたら美味しそう』と思った私が、間違っていたのね」


 感情が抜け落ちた瞳が、私のことを覗き込む。それでも私の心はソヨリとも動かない。恐怖しない。


「怪異を身の内で飼い慣らす貴女を、怪異である私が食べられるはずがなかったのね」


 ただ、その言葉に、私は静かに瞳を閉じる。


 ゆっくりと、次に瞳を開いた時。私は人の気配が消え失せた教室の中にいた。窓際の後ろの方にある私の席。あの暗闇に取り込まれるまで、私が座っていた場所に、私は無事に帰ることができていた。


「残念、残念だわ。切り取られていない、混沌とした塊の怪異……貴女を食べることができたら、今まで喰らってきた何よりもきっと美味しかっただろうに」


 遠くなっていくささやきは、名残惜しさに満ちていた。きっともう、彼女が私の前に現れることはないだろう。


 私はその言葉に答えることなく瞳を閉じた。最後まで残っていた夕焼けの欠片が、スッと西の空に引かれて消えていく。


「私は、怪異なんて抱えていない」


 そっと瞳を開いて、薄闇が支配する世界を見つめる。私の目では見通せないこの夜に、今日はどんな怪異が遊ぶのだろう。


「だってこれが、『ヒト』というものだもの」


 でもきっとどんな怪異が舞おうとも、ヒトの子の心の闇に敵うことは、恐らくないのだろう。


 瞬きひとつの間にそんなことを思った私は、鞄を手に取ると帰宅すべく教室を後にした。





【新説現代百物語・了】

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