呪い

「ねぇ、楠木くすのきさんっ、お願いっ!!」


 ツインテールに結った髪をフワリとなびかせながら、彼女は私の顔の前でパンッと手を打った。風圧が私の目を直撃して、乾いた目がシパシパする。


「楠木さんがそういうのに詳しいって聞いたのっ!! お願いっ!! 告白が上手くいくおまじないとか、好きな相手と両想いになれるようなおまじないを教えて~っ!!」


 ──私はもしかして、魔女か何かとでも勘違いされているのではないだろうか。


 私は相手にバレないようにひっそりと溜め息をついた。両手を合わせたままギュッと目をつむっている彼女は、呆れを隠さない私の姿に気付いていない。


 彼女のことを、私はあまりよく知らない。同じクラスだから名前くらいは知っているけれど、逆に言えばそれくらいしか知らない相手だった。そんな人間相手に恋のおまじないとやらを伝授するような親切な人間に見えるのだろうか、私は。


 しばらく無言で観察しても、彼女はピクリとも動こうとしなかった。『テコでも動きそうにない』というのは、今の彼女のような状態を言うのだろうか。


「……あのね、比嘉ひがさん」

「お代が必要ならちゃんと払うし、お礼もちゃんとするし、万が一効かなくても怒らないからっ!! お願いっ!! どーしても武藤むとう君と両想いになりたいのっ!!」


 ……せめて人の話を聞けよ、このドリーミングガール。


 私は今度は分かりやすく溜め息をつく。だけど彼女は私の前に居座ったままピクリとも反応しない。


 不本意ながら私が友人達の間で『不思議なことに詳しい人間』という扱いを受けているのは、まぁ仕方がないことだと思う。これでも結構慎重に隠しているつもりなんだけど、色々隠しきれていない自覚もあるし。そういうのに対処するために若干周囲の人間よりもに詳しいのは事実だし。


 だけど私が詳しいのは、あくまで妖異や怪異。『おまじない』は多少範囲が被る所があるけれど、ほとんど知らないエリアだ。コックリさんとかお祓いとかなら多少は知らないわけじゃないけれど、彼女だってそういうことが知りたいわけではないはず。


『不思議なこと』で全てを一括りにするのはいかがなものか。そもそも、仮に知っていたとしても、普段から話す間柄でもない相手になぜ私がそんなことをご丁寧に教えなければならないのか。


「ちょっとぉ、比嘉ちゃん。さすがにももっちも困ってるじゃん」


 あまりにもしつこいその姿は、周囲から見ても目に余るものだったらしい。見かねた千夏ちなつが比嘉さんに声を掛けてくれた。


 ナイスだ、千夏。クラスの誰とでも気さくに話せる間柄にある千夏の言葉なら、比嘉さんもまだ聴いてくれるかもしれない。


「ほら、次の授業も始まるし……」

「だって! 私、どうしても武藤君と両想いにならなきゃいけないんだもんっ!!」

「はぁ?」


 だけど、その結果もあまりかんばしいものではなかった。……いや、ハナから無視された私に比べれば、反応があっただけまだマシではあるのかもしれないんだけども。


「武藤君は私の運命の王子様なんだからっ!! うまくいかなかったら私、もう死ぬしかないんだもんっ!!」

「……へ?」


 激しい口調で千夏の言葉を叩き落とした比嘉さんはイヤイヤするように首を横に振った。幼い仕草をさらに幼く見せるツインテールが動きに合わせてフリフリと宙を舞う。


「だからこんなに必死にお願いしてるのにっ!! 楠木さんのイジワルっ!!」


 おまけに何だか、私が悪者みたいな扱いをされてしまった。


 急で突拍子もない展開にポカーンと口を開くことしかできない私を放置して、比嘉さんは教室を飛び出していった。バシンッという、机を両手で叩く音と、周囲の白い視線を置き土産にして。


「……何あれ?」

「気にしない、気にしない。みんなももっちが悪くないことは分かってるから」


 てか次の授業を彼女はどうするのだろう? サボり?


 そんなことを考える私の耳に、次の授業の開始を告げるチャイムの音が聞こえてきた。



  ※  ※  ※  ※



 比嘉さんは、うちのクラスだけに留まらず、学年規模で有名な『夢女ユメジョ』であるらしい。


「夢小説を書いてそうな女。夢見がちな女。どっちの意味もあるみたい」

「夢小説?」

「自分を主人公にしてチヤホヤされる妄想を書いた二次小説みたいなやつ。そして比嘉ちゃんが厄介な所は、現実世界でそれを繰り広げるってとこね」


 惚れっぽくて、狙った獲物は落とさないと気が済まないタイプであるらしい。自分が描く妄想通りに世界は動くと思っているらしく、彼女の考えの下では自分が好きになった相手はすべからくドラマチックに自分と恋に落ちるものであるらしい。


 だけど現実がそんなにうまくいくはずがない。どちらかと言えば比嘉さんに狙われた男達は比嘉さんを『気味が悪い』と思うか『怖い』と思うかの二択で、恋に落ちる者は皆無だった。よく知らない……場合によってはまったく知らない相手がいきなり『あなたも私のことが好きなんでしょ? 知ってるよ』というスタンスで迫ってくるのだから、それも当然と言えば当然なのだろうけども。


「被害に遭った男子は、うちの学校だけでも結構いるみたいね」

「被害って」

「いやもう災害みたいなもんでしょ。で、今度狙われてる『武藤君』ってのは、隣のクラスにいるやつでね」


 時間は放課後になっていた。千夏と二人で下校すべく廊下を歩く道すがら、私は千夏が調べてきた話に耳を傾けている。


 曰く、比嘉さんが今回ご執心の『武藤君』は、私達の隣のクラスに在籍しているイケメンであるらしい。テニス部所属で次期部長候補。爽やかな風貌と物腰柔らかな性格で男女ともに人気が高い。


「ちなみに、隣のクラスに探りを入れてみたけど、比嘉ちゃんとの接点らしき接点は今まで特にないみたいよ?」

「え。でも比嘉さんは『運命の王子様』って言ってなかった?」

「たまたま視線があったとか、廊下ですれ違ったとか、そういうレベルの話じゃない?」

「うわ、まさしく災害……」


 比嘉さんの姿が武藤君の周囲にチラつき始めたのはここ一カ月の話だという。直接話しかけるようなことはないけれど、少しでも暇があれば武藤君の姿を見つめるために教室や部活先に姿を見せているらしい。


「ただのストーカーじゃん」

「そういう痛ぁい方法でしか自分をアピールできないのよ」


 武藤君の方も比嘉さんの存在には気付いているらしい。恐らく比嘉さんの噂も知っているのだろう。でも知っていてもどうにもできないのが『災害』と呼ばれる所以ゆえんなんだとか。


「だからまぁ、ももっちが比嘉ちゃんのお願いに答えなかったのは、武藤君的にはありがたいことだったと思うよ。……っと」


 不意に、千夏が足と言葉を止めた。その視線の先に一人の男子生徒がいることに気付いた私も、千夏にならう形で足を止める。


「楠木さん、だよね? 2組の」


 何かから隠れるかのように掃除用ロッカーの陰に潜んでいた男子生徒は、私達の視線に気付いておずおずと前に出てきた。挙動はどうにもビクついているけれど、顔立ち自体はイケメンの部類だし、何かスポーツをやっていると分かる引き締まった体付きをしていて、総トータルするとかなり好感度は高い。


「そう、だけども」

「良かった、あってて。あ、僕は3組の武藤圭吾けいごっていうんだけども」


 千夏の様子で察していたけれど、彼がくだんの『武藤君』であるらしい。


 なるほど。比嘉さんという災害に見初められてしまったせいで、爽やかスポーツイケメンがこんな挙動不審になっているわけか。


「クラスのヤツから聞いたんだけど、楠木さんが不思議なことに詳しいって話は、本当?」


 そしてこのイケメンも、私にそういう知識を求めてくるらしい。揃いも揃って私を巻き込もうなんて、案外くっついたらうまくいくのではないだろうか。


 ……なんて、八つ当たりのように思うのはよくないだろう。何せ彼も『被害者』と呼ばれる立場にあるのだから。


「……まずは本人を直接説得した方がいいと思うよ。おまじないだのなんだの、不確実なものを持ち出す前に。そもそも私は……」

「話はもうしたんだ! でも、全然聞いてくれないんだよっ!! お互い日本語話してるはずなのにあんなに話が通じなかったのは初めてだっ!! まだカタコト英語で外人さんと喋ってた方が話が通じる気がするっ!!」


『そういうことは詳しくない』と続けようとしたのに、武藤君がせきを切ったように話し始める方が早かった。よっぽど追い詰められてストレスが溜まっていたのだろう。普段はこういう人じゃないのか、私の隣に立った千夏も目を丸くしている。


「頼むよ! あいつが僕から興味を失うとか、他の人間を好きになるとか、そういうおまじないがあったら教えてほしいんだっ!!」


 武藤君が言葉の勢いのまま私に詰め寄ってくる。『ちょっと!』と千夏が割って入ろうとしてくれたけど、武藤君の目には映っていないみたいだった。


 私は思わず深々と溜め息をついた。どうして今日はこんな人間にばかり絡まれるのだろう。


「あのね、武藤君。『のろい』と『まじない』って同じ字を書くって、知ってる?」


 仕方がないから、私は自分が知っている範囲で、彼らが言う『おまじない』の本質について説明してやることにした。みんなが軽い気持ちで手を出す『おまじない』とやらが、本当はどんなものであるのか、という所の話を。


「どっちも『呪い』になるの。どうしてだか分かる?」


 どうやら武藤君はまだ比嘉さんよりも言葉が通じる状態だったようだ。いきなり突拍子もなく語り始めた私に目をしばたたかせて困惑を露わにしている。


「『のろい』と『まじない』は私達が勝手に呼び分けているだけで、まったく同じものだからだよ。私達が自分に害を与える呪術を『のろい』、幸を与える呪術を『まじない』と呼び分けているだけで」


 目を瞬かせているのは千夏も一緒だった。こんな風に私が『不思議なこと』を饒舌じょうぜつに語ることは今までなかったから、面喰っているのかもしれない。


 ──本当は今だって語りたいわけじゃないけど、これ以上巻き込まれるのは迷惑だし、放置してエスカレートされたらたまったもんじゃない。


「で、この『のろい』と『まじない』は、見る人の立場が変われば反転することもある」


 私は胸の前で腕を組むと少しだけ声のボリュームを上げた。物陰に隠れてこちらを伺っているであろうの耳にもしっかり届くように。


「例えば比嘉さんが『武藤君と両想いになれますように』っていうおまじないをしたとする。これは比嘉さんにとっては自分の恋愛成就を願う『まじない』になるけど、比嘉さんに気がない武藤君からしてみたら『のろい』になるよね?」


 私の言葉に、武藤君はガクガクと頷いた。状況をリアルに想像してしまったのか、顔から若干血の気が引いている。


「同じことが武藤君からのお願いにでも言えるってことは分かる? 武藤君の『比嘉さんが自分から興味を失ってくれますように』っていう『まじない』は、武藤君との恋愛成就を願う比嘉さんにしてみたら『のろい』だよね? 取り扱ってる本質は一緒なのに、対極に立つだけで互いの『まじない』は『のろい』に反転するっていうのは、そういうことなの」

「だから、教えてくれないっていう」

「あと、こんな話も知ってる?」


 血の気が引いたまま絶望を浮かべた武藤君の言葉を、今度は私がさえぎった。私もそろそろ苛立ってきたのか、顔からスルリと表情が抜け落ちるのが分かる。


「『人を呪わば穴二つ』っていう言葉の『穴』ってね、墓穴のことなんだってさ」

「……え」

「呪術っていうのはね、本来なら喧嘩両成敗で終わるはずのものなの。受けた方も、放った方も、死ぬものなの。呪術師が呪術をり行っても死なないのは、自分に降りかかる呪術を受け流す術をきちんと身に付けているからなんだよ」


 私はひたりと武藤君を見据えた。そんな私から逃げ出すかのようにジリッと一歩武藤君の足が下がる。


 ……それでいい。それが私の望んだ反応だから。


「『のろい』と『まじない』の本質が一緒なら、『おまじない』でも墓穴がふたつ開くっていう理屈は、分かるよね?」


 私の言葉に、武藤君は答えなかった。いや、答えられなかった、なのかもしれない。


「そんな墓穴に、私を巻き込まないでくれる?」


 私は冷たく突き放すと、スルリと武藤君を避けて廊下を進んだ。ハッと我に返った千夏は私のことを追ってきたけど、廊下に立ち尽くした武藤君は私を視線で追うことさえもうしてこない。


「……さっきのももっち、結構怖かったわ」


 私に追いついた千夏が若干引き気味に呟く。


 それが正しい反応だと思いながらも若干暗い影が心に落ちた私は、わざとおどけるように肩をすくめてみせた。


「呪術バトル漫画からの受け売りなんだけどね」

「えっ!? じゃああれ、ハッタリだったの!?」

「そーゆーこと。今後しつこく付きまとわられるのも、これ以上巻き込まれるのもメーワクだからさ。雰囲気たっぷりでキツめに脅しとけば、これが新しい噂になってこの手の話題で絡まれることもないかなぁーって思って」

「とっさにそこまで考えて、アドリブであんなことやったんだぁ~。さすがももっち、機転が利いてるぅ」


 嘘でもあり本当でもある言葉に、千夏はあからさまにホッとした顔を見せた。……さっきの私はそんなに怖かったのだろうか。ますますは避けなければならないということだ。


 ──『のろい』と『まじない』は表裏一体。そのどちらをも生み出す言葉は、取り扱いを間違えれば簡単に身を滅ぼす。


 ヒトの中で生きる難しさを噛みしめがらも、とりあえず己に絡みつこうとしていた呪いを無事に振り切れたことに、私は安堵の笑みを浮かべたのだった。

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