天邪鬼

「だぁぁっ!! もう聴いてっ!? 今日のオフ会最悪だったんだけどっ!!」


 ダダダダダッという騒々しい足音が聞こえた瞬間『来るかなぁー』とは思っていたけど、やっぱり来られると騒々しい。


「……うるさい」

「いやそこは『どうしたの』って優しく言ってよっ!! 私は今傷心なんだよぉっ!?」


 珍しくおめかししたお姉ちゃんは盛大に嘆きながら床に置いてあるクッションに向かってスライディングをかました。……化粧がすれて汚れるから、やめてほしいんだけど。


 私はひとつ溜め息をつくと椅子に座ったままクルリとお姉ちゃんの方を振り返った。このまま背後で嘆かれ続けると延々課題が進まない。そうなった結果私は睡眠時間を削らなきゃいけないけど、お姉ちゃんは嘆くだけ嘆いたらとっとと寝るのだろう。何だかそれは理不尽じゃないか。


「で、何が傷心なわけ?」

「聞いてよっ!! 一番仲がいいフォロワーさんがドクズだったのよっ!!」


 私が拝聴の姿勢を取ったと知ったお姉ちゃんはガバリと顔を上げて私を見上げた。床に身を投げ出したまま肘を支えに上半身だけを上げて足をバタつかせる。痛そう、というよりも、案外背筋がありそうな動きに私は感心してしまった。


「今日のオフ会は今私がはまってる作品の、とあるカプ推しだけが集まるオフ会だったの。私と一番仲がいい『ジャッキー』さんも来るって言うから、すごく楽しみにしてたのに……」


 ジャッキーさんは、SNS上ではすごく気さくで明るくて、気遣いもできる人であったらしい。


 誰に対してもリプライは丁寧。カプに対する解釈もお姉ちゃんと似ていて、SNS上ではあるものの、二人は出会ってすぐに意気投合。その後もはまる沼がことごとく同じでずっと交流が続き、出会って3年以上が過ぎているという。


 ジャッキーさんは、当初オフ会参加に尻込みをしていたらしい。理由はよく分からないけど、自分は参加しない方がいいのではないかと最後まで遠慮していたという。ジャッキーさんが男性で、普段交流がある人達よりも年代が上であったことがその要因だったのではないかとお姉ちゃんは思ったらしい。だから『そんなことは気にしなくてもいいんだよ!』と結構強めにジャッキーさんをオフ会に誘った。その一言が決定打になって、ジャッキーさんはオフ会参加を最終的に決めた。


「確かに、嘘は言ってなかった。ちょっと年上に見える、小柄な男の人が会場に来たの」

「自分の身の上に関して嘘を語っていたわけではないんだ? じゃあ、何がドクズだったわけ?」

「性格よっ!! ほんっと、あんな口が悪い人に会ったの初めてっ!!」


 現実で出会ったジャッキーさんは、とても無口な人だった。うつむきがちで、参加者と目も合わせない。自己紹介も『ジャッキー』とアカウント名を名乗っただけで、それ以上の挨拶もなかった。SNS上の気さくで柔らかいジャッキーさんの雰囲気は全くうかがえず、参加者一同で思わずどうしたものかと視線を交わし合ったくらいだった。


「それだけならまだ『重度の人見知りなのかな』で終わるんだけど。そこからよ、問題は」


 普段の発言やアカウントの装いと、フォロワーさん自身のイメージが食い違うことは多々ある。男っぽく振る舞っている人が実はとても可愛らしい姿をしていたり、神絵師としてあがめられている人がまだ学生さんだったり。そんな違いを楽しむのも、オフ会の醍醐味だと言える。


「『可愛い人だったんだね』とか『思ってたよりも全然若かったー!』とか『キャーッ! イメージ通りに素敵ーっ!!』とかってキャッキャウフフしていたわけよ! なのにジャッキーさんってばいきなり……」


『思っていたよりブスだった』と、ポロリと落とされた言葉が、最初はジャッキーさんの言葉だとは分からなかった。それくらいその言葉は、SNS上で見るジャッキーさんの言葉とはかけ離れていたから。


 でも、その後に続いた『オコチャマ』『ケバイメイク』という声は、間違いなくジャッキーさんの声だった。そもそも、オフ会の現場にいた人間の中で年かさな男性はジャッキーさんしかいない。聞き間違えるはずがなかった。


 凍り付いた一同は、全員揃ってジャッキーさんを見つめた。責める、というよりも、どちらかと言えば、信じたくない、という思いを込めて。


『最高だね、僕』


 そんな一行の視線を受けて、ジャッキーさんはそう言ったらしい。


 自分の両手で口元を強く押さえ込んで、見開いた目に涙をにじませながら。


『来て、良かったなぁ』


 ジャッキーさんは結局その後も問題発言を連発し、場の苛立ちが最高潮に達する直前で先に離脱したらしい。ジャッキーさんが帰った後の席では『あんな人だとは思わなかった』『何で場を乱した当人が泣くのよ』『まるで私達が虐めたみたいじゃない』と剣呑な言葉が飛び交い、とてもじゃないが推しへの愛を語るどころではなかった。残ったメンバーでまた改めて集まろうという話にはなったが、今回のオフ会はとにかく後味が悪いまま終わってしまった。


「なんっかさぁ……。ジャッキーさんを誘う形を作ったのって、私じゃん? 私があそこで強く誘うことさえなければ、ジャッキーさんはいつまでもSNS上での綺麗なジャッキーさんのままでさ、みんなとまだ仲良くやれていて、オフ会も盛り上がったのかなぁって思うとさ……。なんか、ほんと私、…………なんだかなぁ~……」


 語り終わったお姉ちゃんはポスリとクッションに顔をうずめた。同情はするけども、それはやめてほしいんだってば。


「う~ん……」


 私は聴いた話を頭の中で転がしながら、何か慰めになる言葉を探す。……別に慰めたいわけじゃないんだけども。こうなったお姉ちゃんは、慰めてやるか納得のいく結論を与えてやらないと、いつまで経っても引き上げてってくれないから。


「なんっていうかさぁ……。どっちが本当のジャッキーさんなんだろうね?」

「え?」

「SNS上の気さくで丁寧なジャッキーさんと、現実世界のドクズ発言のジャッキーさん。どっちがより本質に近いのかなと思って」

「そりゃあ……、現実じゃないの? だって、直に会って話してるわけだし……」

「でもさ、世の中には画面越しならうまくコミュニケーションが取れるけど、直接対面だとどうコミュニケーションを取ればいいのか分からないっていう人もいるらしいじゃん?」


 思っていることと真逆のことしか口にできない妖怪で、天邪鬼アマノジャクという鬼がいる。昔話の中では悪者で、話によっては人を喰らう恐ろしい存在ではあるけれど、天邪鬼はある意味、一番ヒトに近い妖異なんじゃないかなと私は思う。


「ジャッキーさん、泣いてたって言ったじゃん? 素直になれなくて、みんなを不快な思いにしかさせられない自分が嫌で、泣いてたんじゃない?」

「……それなら、わざわざオフ会に出てこなくても…」


 そこまで口にしてから、お姉ちゃんはハッと口を閉じた。気まずそうな表情の中には自責の念が少なからずある。


 だから私は、お姉ちゃんには見えていない、大切な感情に触れてみることにした。


「そんな自分を分かっていても、みんなに一目会いたい気持ちが強かったんじゃない?」


 私の言葉に、お姉ちゃんは弾かれたように顔を上げた。


「みんなを不快にさせてしまうかもしれない。これで関係が終わりになってしまうかもしれない。……そうと分かっていても抗いがたいほどに、お姉ちゃん達に会ってみたかったんじゃない? 誘ってくれたお姉ちゃんの言葉を無下にできなかったくらい、誘われたことが嬉しかったんじゃない?」


 無口だったというのは、本心とは真逆の言葉が零れ落ちないように必死に押し留めていたからではないか。きつく口元を締め上げていた手は、大切な友達を罵倒することしかできない自分を自分で止めたかったからではないのか。泣いて逃げてしまったのは、大好きな人達を傷つけることしかできない自分に絶望したからではないのか。


 お姉ちゃんから微かに漂う、残り香のような気配。多分、


 ──天邪鬼も、文面上なら自分の心を素直につづることが許されるのか。


 便利な世の中になって、ヒトとヒトならざるモノの距離感も変わった。ヒトでさえついていくのが大変な変化の中にあやかしが飛び込むのは、きっと並大抵のことではなかっただろう。


 ──それでも、素直に心を広げて、心と心で繋がれる場所を、彼は求めてきたのだろう。


 そう思うと、相手が妖異だと分かってはいても、積極的にお姉ちゃんを引き離すことはできなかった。


 ──本当は、これに乗じて引き離した方が安全なのに。


 私も、結局は、中途半端な天邪鬼なのかもしれない。


「SNS上でのジャッキーさんが、良い人を演じたかったジャッキーさんの演出じゃなかったっていう証拠はどこにもない。現実での印象が、本当にジャッキーさんの本質だったのかもしれない。私には、そこは何とも言えないけど……。でも、どっちを信じるかは、お姉ちゃんが好きに決めちゃえばいいんじゃないかな?」


 だって、大好きな人なんでしょう?


 私の言葉を聴いたお姉ちゃんは、グッと唇をかみしめた。


 その瞬間、まるで見計らったかのようにブブッとスマホのバイブが鳴る音がした。ハッと反応したお姉ちゃんが、クッションにスライディングをかます時に放り出していた鞄に飛びつく。


 いつになく急いでスマホのロックを解除したお姉ちゃんは、表示された画面を食い入るように見つめた。舐めるように……どこかすがるように画面を見つめ続けたお姉ちゃんは、コクリと空唾を呑み込むとスクッと立ち上がる。


「結論、出た?」


 その様子を見れば、答えは聞かなくても分かった。


 それでも訊ねたのは、どうしてだったんだろう。


「うん!」


 いつものようにニカッと笑ったお姉ちゃんは、ちょっと化粧がヨレていたけれど、それが気にならないくらい、いつにも増して輝いていた。


「ありがとね、モモ! 騒がせてごめんね!」

「はいはい。解決したなら帰った帰った」


 すげなく追い払う私にブーイングを上げながも、お姉ちゃんは明るい顔で部屋を出ていった。その後ろ姿を完全に見送ってから、私は課題が広げられたままの机に向き直る。


「さてさて」


 口元が妙にむず痒いのは、笑みを浮かべそうになる唇を無理やり引き伸ばしているせいだろうか。


「吉と出るか、凶と出るか」


 これまた答えが分かっていることをあえて疑問形で口に出した私は、結構な天邪鬼なのかもしれない。

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