七不思議

「この学校の七不思議って、知ってますか?」


 いつか、どこかで聞いた声が、また私の耳元で聞こえた。


「ひとつ、独りでに鳴り始める音楽室のピアノ。ふたつ、振り返ってはいけない南廊下。みっつ、3階北トイレの住人。よっつ、夜中に徘徊する人体模型。いつつ、いわく付きのブロンズ像。むっつ、向かう先なき非常階段」


 また、時間感覚がなくなりそうな、真っ赤な夕焼けが見える放課後だった。


 真っ直ぐに前だけを見て廊下を歩き続ける私にじゃれつくかのように、フワリフワリと宙を舞うモノ。姿形は前回と変わりがないが、今回は最初から宙を飛んでいた辺り、己の正体を人に似せようという考えはにはないのかもしれない。


 私は小さく溜め息をつくと、仕方なく彼女に視線を向けた。海の中を気ままに泳ぐアシカよろしく宙を泳いでいた彼女は、私の視線を受けて実に嬉しそうに笑う。


「……で? 今回は何のなんですか? 

「あら、さっき言ったじゃない。七不思議よ」


 宙に浮いていても両手の指を合わせては剥がす手遊びを欠かさない彼女は、朗らかに言ってからさらに笑みを深めた。


「何せ貴女、ガッツリ七不思議に喰われているのだから」

「一体誰のせいだと……」

「あら、『振り返ってはいけない南廊下』で『夕方4時44分』に背後を振り返ってしまったのは、貴女自身でしょう?」


 先生の指摘に、私はウグッと言葉に詰まった。そんな私を見て先生はニヤニヤと厭らしく笑う。


『学校の七不思議』。小学校や中学校なら、どこの学校にでもある話ではないだろうか。高校や大学にもあるのかは知らないけれど、うちの学校にはバッチリその七不思議がある。私にとっては、あまりありがたいことじゃないんだけども。


 その中のひとつが、『振り返ってはいけない南廊下』だった。


 この学校には3階建ての校舎がふたつあって、それぞれの階は渡り廊下で繋がっている。上から見るとちょうど横幅が長い『工』の字になっている形だ。北側の校舎に各クラスの教室があって、南側の校舎には美術室や音楽室、調理室といった実技系の部屋や職員室、図書室が入っている。


『振り返ってはいけない南廊下』というのは、南棟の3階、図書館や音楽室が入ったフロアの廊下のことだ。夕方4時44分にこの廊下で背後を振り返ると、異界に取り込まれて帰ってこれなくなるという内容だったと思う。私は極力そういう話に近付かないようにしていたから、詳しい七不思議の内容はあんまり知らないんだけども。


 ──七不思議のラインナップそのものも、今から聞いて知ったくらいだし。


 知ってしまえば、知られてしまう。だから私は極力自分から怪異には近付かない。身を守るために最低限の知識は持っているつもりだけど、それ以上の深入りをするつもりは毛頭ない。怪異も妖異も、その話で盛り上がるヒトの子に寄ってくるという点では同じ習性があるから。


「……私が振り返るようにちょっかいかけてきたのは、先生じゃないですか」


 でも今回は、そんな行動が裏目に出たのかもしれない。


 放課後の図書館に本を返しに来ていたのがそもそも事の始まりだった。


 今日はお母さんに買い物を頼まれていたから本を返すだけ返したら早く帰りたくて、いつもなら逢魔ヶ時と呼ばれる時間帯は人気がある所で過ごすように心がけているのに、うっかりそれを忘れて廊下に飛び出してしまっていた。


『ここが七不思議の南廊下だ』と気付いた時から後ろを振り返ることだけはしないようにと気を付けていたつもりだったのに、不意にトントンッと肩をつつかれた感触がして、無意識の内に肩越しに後ろを振り返っていた。その瞬間ギュルンッと世界が歪んで、眩暈めまいに似た気持ち悪さに目をしばたたかせたら、目の前にが浮いていて、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。


 以降、体感時間で10分ほど廊下をひたすら前へ歩き続けているのだが、果ては見えてこないし、チラリと入り込んでいる夕焼けが色を変えることもない。


 ──もうちょっと普段から七不思議に関心を払っていたら、巻き込まれなくて済んだのかもしれないのに……


「それでも、振り返ってしまったのは貴女だわ」


 彼女はこんな風に私に絡んでくるばかりで、助けようともしなければ、害しようともしなかった。歩き続ける私の周囲をひたすらフヨリ、フヨリと漂って、時折言葉を投げかけてくるだけで。


「じゃあ質問を変えます。どうして、私を七不思議の中に巻き込んだんですか?」


 私は止まってしまっていた足を再び前へ出しながら、先生に向かって質問を投げた。多分、このまま無視して歩き続けていても何も変わらないと思ったから。


「お喋りがしたかったのよ」

「お喋り?」

「そう。だって、今時私のことを恐れずに受け答えをしてくれるヒトの子なんて、珍しいんだもの」


 ──恐れては、いる、ん、だけども。


 ただそれを、表に出そうとしないだけであって。表に出した瞬間喰われてしまうと、分かっているだけで。


「じゃあ、その本題のお喋りを早くしましょうよ」

「イヤよ。だって貴女、話し終わっちゃったらさっさと元の場所に帰せって言ってくるじゃない」


 そりゃそうだ。こんなに怖い空間に長居したい人間はそうそういないと思う。ひたすら歩き続けるのも疲れるし。


 だけど真正面からそれを肯定してしまっては、彼女は延々と本題に突入してくれない。それは私としては大変困る。


「でも、本題についてお喋りしないのも退屈ね。そうね、だって私、貴女とこのことを話したくてわざわざ七不思議に巻き込んだのだから」


 怪異のただ中にいても、神頼みって通じるものなのだろうか。


 さて、どうしたものかと考え込んだが、結局彼女が気まぐれを起こしてくれる方が早かった。幸運に喰い付いた私はずっと前に据えていた視線を彼女に据え直す。


「七不思議はなぜ生まれるのか、貴女は知っていますか?」


 そんな私に気をよくしたのか、彼女はまたアシカのように宙を泳ぎながら瞳を細めた。


「七不思議が生まれた理由……ですか?」

「そう。ヒトは『怖いことが起きなければいい』と願っているのに、己から恐怖の元を生み出している。怪異なんてどこにもないのに、七不思議を生み出し、根付かせているのがそのいい例」

「七不思議って、実在しないモノなんですか?」

「実在しているモノもあれば、実在していないモノもあるわ。でも、実在が先で七不思議が後という事例はほとんどない。ヒトの子が七不思議を考え、そこに恐怖が集まり、実体を持った『七不思議』という怪異が生まれるのよ」


 先生は、そう語る。


 確かに、そうでなければ各学校ごとに七不思議なんて成立するはずがない。そんなに怪異が頻発してたまるか、という話になってくる。


「七不思議はね、ヒトの子の願いなのよ」


 考えたこともなかったな、と思った私に、先生はポンッと答えを提示した。一見すると、先程の発言とは矛盾するような答えを。


「『つまらない日常に何か非日常なことが起きてほしい』。そう願うヒトの子の思いの結晶が、七不思議として実体を得たのよ」

「……先程の発言と矛盾しています。ヒトは『怖いことはない方がいい』と願っているのではなかったのですか?」

「『己から恐怖のもとを生み出している』とも言ったわ」


 確かに、そうも言っていたような気がする。だけど、その答えはやはり私にとっては同意しがたいものだった。


「自分が怖い目に遭うかもしれないのに、それでも『非日常』を求める気持ちだけで、みんながみんな怪異を求めるとは思えません」

「そこは認識の差異の違いね。ヒトの子の大多数は、


 その言葉に、私はハタハタと目をしばたたかせる。


 それは、大いに矛盾しているのではないだろうか。現に私はこうして七不思議に喰われて延々と廊下を歩き続けるハメになっている。過去に何人かは私と同じような目に……


「そう、、ね。大多数の人間の上を、怪異はすり抜けていくから」


 その言葉に、私は大きく目をみはった。


 頭をハンマーで殴られたような衝撃が走った。足が、止まってしまう。


「貴女はに近いから分からないでしょうけれど。……ヒトにとって七不思議は、娯楽でしかないのよ。日常に加えるほんのちょっとのスパイス。身近なようで、遠い代物」


 ──……そう、か。


 ようやく分かった。理解させられて、しまった。


 私には到底理解できない溝が、そこにはあるのだと。


 ──私の方が、特異なのか。


 七不思議は実際に遭遇しうる危機だと捉えていた私の方が、異常だったのか。


 は、恋占いやちょっとした愚痴を話すのと同じレベルで怪談話ができるんだ。私みたいに、『寄ってくるから』と危機感を抱いて怪談話から逃げ回ったり、しなくていいんだ。


 ──それは、なんて。


「愚か、なんだろう」


 ポツリと、私の唇からは、そんな言葉が零れ落ちていた。


「愚か? 『うらやましい』じゃ、なくて?」

「うらやましいとは、確かに思うけど」


 私は真っ直ぐに彼女を見上げた。彼女は不思議そうに首を傾げている。ほんのり唇に笑みが浮いてはいるものの、彼女が笑み以外の表情を前面に出している所は初めて見たような気がする。


「だって、見えていてもいなくても、そこに在ることには変わりないじゃないですか?」


 こちらが見えていれば、きっと相手にとっても見えやすい存在なのだろう。他の人が土鳩のようなグレーなら、私は派手に羽を広げた孔雀のようなものなのかもしれない。私が見えない体質だったら、きっと今みたいに色んなモノに絡まれることもなかったのだろう。


 だけど結局、見えるか見えないか、見つかりやすいか見つかりにくいかというだけで、がそこに存在しているという事実そのものは消えないし、変わらない。見えないからいないということにはならない。そうである以上、見えにくかろうとも、彼らに見つかる時は見つけられてしまうだろうし、七不思議なんかを求めた日には、どんな存在であろうとも彼らの格好の餌食になる未来は見えている。


 見えないから、いない。


 そんな短絡的な思考に堕ちるくらいだったら、私は今の方がよっぽどいい。


 彼らを生み出し、はぐくかてを己から生み出し、その上で無防備におびえる存在になるくらいだったら、今のままの方がずっといい。


「ふふっ……! アハハッ!!」


 不意に、笑い声が弾けた。目を瞬かせながら改めて彼女を見遣れば、彼女は宙に身を預けたまま腹を抱えて笑っていた。


「はははははっ!! そんな答えを口にしたのは貴女が初めてっ!! やっぱり貴女は面白いっ!!」


 クルリ、クルリと宙を舞った彼女は、グルリと体をねじると私の眼前へ顔を寄せた。いつかのあの時と同じように、彼女の瞳の中に私の姿が映り込む。今日の私はこの間よりも表情を殺すのが下手で、何とも不愉快そうな瞳が私自身のことを見つめ返していた。


「その答えに免じて、今日は帰してあげる」


 そんな私の姿が、不意に消えた。急に暗くなった視界に瞳を瞬かせれば、ずっと先にうっすらと廊下の端が見える。夕焼けはもうすっかり姿を消していて、夜の始めの薄闇が校舎の中を満たしていた。


「答えが変わったら、いつでもいらっしゃい」


 姿は見えないのに、声は聞こえた。前にも触れた覚えのある冷気が、スルリと頬を撫でていく。


「貴女となら、私、楽しくやれそうだわ」

「……私は、全然そうは思わないけれど」


 負け惜しみにボソリと呟いてやると、クスクスという笑い声が返ってきた。私の後ろの廊下を戻るように遠ざかった笑い声は、フツリと闇の中に消えていく。


 私は今度こそ振り返らないように廊下を進むと、突き当たりに廊下と直行するように伸びている降り階段を駆け下りた。教室がない南校舎は閑散としていて、私の足音だけが薄闇の中に高らかに響く。


 ──ヒトの子の望みが七不思議を生み出すと、彼女は語った。


「……だからきっと、七不思議は未完成なんだ」


 七不思議の最後の不思議は『不思議が七つ揃わないこと』『七つ目を知ると不幸になる』『七つ目を知ってしまった者は死ぬ』と、具体的な怪異ではなく、七不思議の未完成さそのものが不思議として語られる。


 ──完成しない物語は、続きを思うことで、ずっとたくさんの続きを生み出すことができるから。


 永遠に夢を追っていたい気持ちが、そんな七つ目を生んだのだろうか。


 そんなことを思いながら、私は怪異の箱を後にした。

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