四の巻「妖蛇跋扈」

 朱雀大路の西、二条大路の南。西の京のほとんどを焼き払いながら、ついに。

 蛇神は朱雀門の目前に迫った。大内裏を一度、頭を低くして覗き込むと、今度は自らの長大さを誇るように、これまでより一際天高く鎌首をもたげて。

 その時大内裏の内では、武士たちが集まり、弓を構えて蛇神を待ち受けていた。主上のおわす内裏が滅ぼされれば、京の都どころか日ノ本の国そのものが滅ぶ。しかし、摂津国の急使の知らせを受けてから蛇神が現れ、都を侵してゆくその勢いはあまりにも疾く、そして、蛇神によって巻き起こされた炎の嵐はあまりにも苛烈で、武士達も途中で集まり立ち向かうことは出来なかった。そしてとうとう、ことここに至るまで手をこまねいて、蛇神の暴虐を許してしまったのであった。

 最早これまで、と。

 武士達は一斉に、眼前の巨大な怪物に矢を放った。雨のような無数の矢、そしてどの一矢も、武士達一人一人の乾坤一擲の一撃。

 だが。

 それらの矢は一本たりとも蛇神には刺さらなかった。当たると同時に火花を散らして砕ける鏃、あちらにこちらに弾かれて、はらはらと空しく落ちる矢柄と矢羽根。そして蛇神の白い鱗にはどうやら、傷一つついていないのである。

 武士たちが驚きのため、一時矢を射るのを忘れた瞬間、蛇神はそれを見計らっていたようにすかさず、あの低く轟く女の声でうそぶいた。

「何とも貧しき国、弱き武士もののふどもよ……吾を迎え撃たんとするに、いしゆみすら用意せぬとは。いや、たとえ大岩を投じられようとて、この蛇神はびくともするものではないというのに……唐では度々あったものだが?

 愚か、ただ愚か……それとも、吾を侮るか?」

 すると、蛇神の体を中心に、竜巻のように風が巻き上がる。それは辺りの炎を吸い上げて、蛇神はあたかも炎の衣をまとったかのよう。そして蛇神はのであった。


「吾は蛇神、唐の神

 吾は蛇神、虫の神

 吾は蛇神、禍つ神

 いにしえ遥かに幾千年、崑崙の深き山中に、真白き石の一つあり

 天地の霊気石に満ち、やがて卵となりて、吾、そこより生まれ出づ

 なれば吾が身、即ち石

 決して砕けず、そして死せず滅ばず

 今、吾、ここに

 唐の国より東をさして、海を越えて来たれり

 ……吾を畏れよ!塵芥ちりあくたの如き、脆き者ども!!」


 蛇神の最後の一言は、間近で聞く雷鳴のように激しく武士たちの耳を打った。逆らい戦う気力を砕かれ、皆立ちすくみ静まり返ったその様子を、蛇神はまた、もたげた鎌首を下げて覗き込むと、その鼻面を一人の武士の間近に寄せて。

「ふむ。さだめしうぬが、この武士どもの頭であろう。指図するを見ていたぞ。

 答えよ。この宮の主、お前達の王は、まだここに居るのか?それとも立ち去ったか?言っておく、吾は『嘘』というものを憎む。何よりも、な。偽りなく吾に答えれば、この場は一時去ってやろう。

 ……さあ答えよ、王は何処?」

 問われた将は息を呑んだ。無論、彼は主上の居所を承知していた。だがそれを素直に白状してしまうべきなのか?答えれば蛇神は去るという。立ち向かう術はもはや無く、今、都を救うにはそれしかない。だが信じられるのか?答えたところで、裏切ってそのまま主上を、都を滅ぼすつもりではないのか?固く目を閉じ、額に汗を浮かべてしばし考えていたが。

「主上は……しばし前に、長岡の古都をさして内裏を出でられた……ここにはいない……」

 それはまったく真実であった。蛇神が裏切ってさらに暴れるつもりであれば、それなら真実を言っても嘘を言っても同じこと。いや、嘘をつくならもう一つ、主上の落ち延びた先を偽ることも、もちろん心中によぎった。だが。

(摂津国を滅ぼし、ほんのつかの間にこの京を……このあやかしがその気になれば、日ノ本すべてを滅ぼすもおそらくたやすい……いまここで偽りで主上を庇い申し上げて、一時お救い出来ても、所詮は……ならば……)

 蛇神の言葉に賭けてみるしかない。大将は断腸の思いで屈したのであった。

 すると蛇神は、大将を見下して唾棄するように。

「うぬ、己が主を売るとは、しもべとして見下げ果てたものよ。去ね!」

 蛇神はその鎌首を大将めがけて打ちつけた。無残に砕け散る大将の骸。だが、蛇神はそのまま怒り狂うと思いきや、けろりと平静に返って。

「しかし『嘘は言わなかった』。吾は通力でうぬ等の心中を見通せる。あの者は確かに、嘘は、言わなかった。なれば。

 吾もまた嘘はつかぬ。最前の言葉通り、この場は引いてやる。この場は、な。

 よいか?うぬ等、王に伝えるがよい。『この都に戻れ』と。三日のうちに。

 それまでに戻らなければ、今度こそ……都はおろか、この倭を丸ごと滅ぼす。何処に逃げ隠れしても無駄だ。吾からは決して逃れられぬ。そして。

 三日の後、王に吾の使を差し向ける。を申し伝えねばならぬからな。

 なれば!必ずこの宮に居るがよいぞ!

 ……そう伝えよ!!」

 言うが否や、蛇神の体は尾の先からたちまち、地の底に吸われるように隠れていく。蛇神はその日、都から姿を消した。

 朱雀門の前に黒々と深く、大穴をただ一つ残して。

 

 蛇神が地の底に去ったこと、そしてその前に言い残したこと。それは、主上が長岡の旧都にお入りになる前に、先に早馬の使者によって主上のお耳に届けられました。

「三日後に使者を送る、その時に必ず内裏にいろ」という蛇神の言葉。それに逆らうことは、ただ滅びの道を急ぐのみ。まずは蛇神が何を求めてくるのか、それを聞いてみるしかない。あるいはその言によっては日ノ本を救う手立てもあるかもしれない。

 主上はそう断を下されて、諸官と共に、急ぎ京の都にお戻りになったのでした。

 しかしあの日以来。都の寂れる様、荒れる様はお話にもならないものでした。焼け崩れた西の京はもちろん、花と栄えていた東の京も……。

 蛇神を恐れ、多くの貴人達が東国西国に去りました。遠く落ち延びることのできない庶民達も、山深くに散り隠れ住むことで蛇神の目を逃れようとします。都はすっかり人気を失い、そして残ったのはよほど食い詰めたものばかり。西の京では焼け跡を、東の京では空き家を漁る盗人が夜昼問わず蠢いては、時にお互いが刃傷沙汰に及ぶという、修羅の地獄もかくや、というすさまじい有様。

 それでも。主上はその変わり果てた都から去るわけにはまいりません。そして今なお日ノ本の行く末を憂い、主上をお慕い申し上げて、都に残る貴族諸官も、僅かながらいたのです。無論その忠心の裏に、今逃れても所詮一時しのぎに過ぎないという、虚しい諦めの心があったからこそ、ですが。そしてそんな中、ようやく都に大宰府からの遅すぎた「知らせ」が届きます。大宰府が蛇神の力で水の底に、そしてそれは蛇神が都に現れるたった三日ばかり前のことであると。その知らせはまさしく、もうこの国のどこにも逃げ場はないという、蛇神の言葉を裏書きするもの……。

 主上と諸官は待ちました。蛇神の使者を。けれどあの蛇神の「使者」とは、いったい如何なる者なのでしょう?そう疑いと不安の思いを巡らしながら。

 思えば。使者の訪れにはがあったのです。蛇神が去った後の都に、人々の代わりに集まって来た者たち。

 それは無数の、蛇の群れ。

 いったい、これほどの数がどこから来たのでしょうか、あるいは日ノ本の国中からこの都に集まったのでしょうか?青大将に縞蛇、蝮に赤楝蛇やまかがし地潜じむぐりに野槌。蛇舅母かなへびや家守のような蜥蜴の類いもいました。それらは都の大路小路を埋め尽くすように、人に代わって我が物顔に這いまわります。そして家々の庭に、軒に、床下に天井に、ところ構わず入り込むのでした。そして何より。それら蛇や蜥蜴達は、人をまるで恐れません。それどころか、出会った人間、見つけた人間をじっと見つめ続けるのです。まるで見張番のような目で。

 都に残った僅かの人々はこれらを、さては蛇神の眷属なりと、みな祟りを恐れて遠目で見ては身をすくめるばかり。命も情けも知らないはずの盗賊ですら、路で蛇に出会えばすごすごと後退りし、忍んだ家に家守が居れば慌てて逃げ出すほどでした。

 そして、蛇神が去って三日後のその日。姿形もわからない使者を待つため、内裏の御簾の前にじっと控えていた主上の前に、天井を滑り落ちて来たもの。

 葉の青々とした松の枝を咥えた、一匹の大きな白蛇。鎌首をもたげ、咥えた枝をその場に落とすと。

「倭の王よ、幕を開け姿を見せよ。これなるは吾、蛇神がうぬへの使いとして、通力を分け与えし者なり。

 そして吾はこれの目を通じ、今この場を明らかに見ているのだ。なれば。

 その幕を開け。そしてこれに、すなわち吾にひれ伏せ!」

 白蛇が人の言葉を発したのです。そしてああ、その声は!都が焼かれたあの夜、蛇神に虚しい矢を放った武士のうち、主上をお守りせんと都に残りその場の末にも控えていた者が、震える声で。

「同じ声、蛇神と同じ声にございます!」

 身分違いは承知ながら、思わず主上に直に奏上します。主上も諸官も誰もそれを咎めません。あまりの驚きのために。

 そして。

「幕を開けよ!」

 白蛇の、蛇神の言葉の前に。主上は静かに、御簾を上げよとお命じになられたのでした。  

 尊き御身を低く屈めながら。

(続)

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