第7話 誰?

 たくさんの夢を渡り歩いた。


 そして、とんがり帽子の魔法少女たちは現在よく見た風景の中にいる。そこにある町並みは、都会か田舎かで言えばもちろん誰もが田舎であると答えるだろう。少し歩けば、乙女の髪には嬉しくない潮風が辺りを満たしていることがわかる。今歩いている道なんて、分度器を平行に構えたらまっすぐに立つことは絶対にない。そんな道が町の六割を占めているというのは、きっと果澄だけの体感ではないに違いない。


 そして、町のどこからでも見えると評判のケーキ坂がある。


 ここは多坂町だ。


 夢から覚めたわけではない。


 多坂町であることは、別に町の人間の夢なのだからおかしいことではないと思う。


 だけど誰もいないのはおかしい。ここは誰の夢なのか。



 ふと景色が転換する。



 海岸沿いの道にいる。一枚のプリント用紙が風によって空高く飛んでいる。視線を下に向けると、自転車に乗っている女子高生がいた。


 後ろ姿で顔は見えないけど、空に舞っているプリント用紙をぼおっと眺めていることがわかる。


 あの光景を果澄は知っている。あの女子高生は、もしかして——自分の至った答えを誰かに伝えようとした。辺りを見回した。しかし果澄の近くには誰もいない。みんなはいったいどこに行ったのか。


 たくさんの夢を渡り歩いた。


 だからこそ感じる。この夢は、他の夢とはなにかが違う。


「おじゃま虫さん。こんばんわ」


 後ろからいきなり降りかかる声に、電撃的な速度で果澄は振り向いた。ステッキを構えようとする。けれど自分の手には魔法のステッキがないことに気づく。それどころか、自分の姿は、あの特徴的なとんがり帽子の魔法少女の姿じゃなくなっている。——マジカルフレッシュピンクの力が失われていることに直感で気づく。


 振り向いた先にはなにもいない。声の正体がつかめない。


「こっちよこっち」


 さらに振り向く。


 そいつは鼻先に触れるぐらい近くにいた。


 恐ろしいほどの猫背と、どっちを向いているのかわからないぐらいに長い髪、そして真っ黒いローブと真っ黒なとんがり帽子。魔女という言葉が果澄の頭を埋め尽くした。


「ねえ気づいてる? あなたがいったいなん何なのか。あそこにいるのがいったい誰なのか。気づいてないのかしら。それとも気づいてないフリをしているのかしら」


「なにを、」


 言っているのかが本気でわからない。


「じゃあまず最初、あそこにいるのは誰?」


 魔女の指さしたほうには、自転車にまたがって空にはばたくプリントを眺めている女子高生がいる。


「あれは、果澄っていう名前の女の子。勉強が得意なの。高校では生徒会長をやってるらしいわ。変ね。生徒会長って響きがなんだかとっても不思議。堅苦しそうなイメージが勝手に湧いてくるもの」


「 」


「でも、もっと変なことがあると思うの。どうしてあなたが同じ名前をして、同じ姿をしているのかってこと。ねえ、変よね。本物はあそこにいるのに」


「 」


「じゃあ次。今度は答えられる? あなたは、いったい何なのかって。ねえ、ねえ、ねえ」


 魔女が背筋を伸ばして果澄に顔を近づけてくる。


「ねえ」


 魔女の真っ黒な瞳がすぐそこにある。


 果澄は、答えられない。


 自転車に乗っているのは果澄だ。ここにいる自分も果澄だ。どちらも果澄なら、どちらかが偽物でなければ辻褄が合わない。だって、果澄はこの世にたった一人しかいないはずだから。今までの人生は、絶対に自分一人のものでなければいけないから。


「わからない? じゃあ教えてあげる。世界五分前仮説って知ってる? 周りに見える景色も、今までの記憶も、五分前に全部できたっていう説。そしてここは夢の世界。この世界が出来上がった時に、果澄という人間の記憶をただの風景の一部だったあなたが持ったの。つまり、あなたは果澄ちゃんじゃないの。ただの背景。それがあなた。ふふ。ずいぶん幸せな夢を見てたのね」


 視界が真っ黒になった。闇に塗りつぶされた。自分の立っている場所が底なしの沼になって、ゆっくりと自分を飲み込んでいく。すべてが嘘だった。昨日の夜にやった宿題も、親の言いなりの人生も、ちーちゃんと一緒に折った折り紙の作品の数々も、すべてが一日にも満たない時間で作られた偽物で、まやかしだ。底なしの沼は自分の抗う意思を奪いつくし、息もできなかった。


 沼を通して見る、ゆらゆらと歪んで汚れた茶色の景色の中で、クジラが見えた。


 プリントがクジラになったのだ。


 それが果澄に向かって落ちてくる。


 それをピンク色の魔法少女が、魔法の壁で跳ね返した。


 そして魔法少女は、果澄のことを仲間になるように誘っている。


 果澄は、そんなものはありえないと否定した。魔法少女の誘いを断った。真面目な果澄なら、きっとそうしていたに違いない光景だった。


 自分は果澄ではない。


 自分の体が失われていくのがわかる。自分の意識が無くなっていくのがわかる。沼の中で曖昧に溶けて、やがて沼と一体化していくのがわかる。


 最初から自分は、夢に溶け込む背景の一部だったのだ。


 だからこれがあるべき光景で、自分が仲間を作って、挙句の果てに世界を救うなんてことができるわけもなかった。


「さようなら。果澄ちゃんじゃない人」


 ああ、————消えていく。

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