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 ママは台所にいて、お昼ごはんのあとの洗い物をしていた。


 私が、ねぇママ、って話しかけると、ママは、あらなに、あんなにたくさん食べたのに、まだ足りないの、なんて失礼なことを言ってきた。

 ちょっとムッとしたけど、それはすぐにひっこんだ。なぜかといえば、ママの言うとおりだったから。


 私はそのころ、タマゴかけごはんにドハマりしていて、いつかサイコーのタマゴかけごはんをつくってやろう、なんて野望やぼうをもっていたくらいだった。

 そんなわけで私は、たいしてお腹がへっていたわけでもないのに、お昼にごはんを何杯も食べていた。そのせいで眠気がしたし、それによこぱらがキリキリ痛くって、私は自分で少し反省はんせいしていた。


 それはいいとして。


 私はママに、ジュニアの日光浴にっこうよくのことを相談そうだんして、スダレをりた。

 ママがお昼寝なんかで使うやつ。エアコンがダメなママにとっては、けっこう重要なアイテム。

 窓をぜんぶおおえる大きなやつ。のり巻きをつくるのよりも、ずっとずっと大きい。まるでスダレの王さまみたい。いや、神さまかも。ほんとうにそれくらい大きい。

 どんなにしっかりまるめてかかえても、私の手にはどうしてもあまって、運ぶのが大変だった。


 そうして私は部屋に戻って、窓ガラスを全開ぜんかいにして網戸あみどをひいて、それからガムテープを使ってもらってきたスダレをっつけて、窓の半分をおおった。

 次に、居間いまから、お客さんが来たときに使うくらいで、ふだんは使っていないイスを持ってきて、それを、位置を調節ちょうせつしながら窓辺まどべに置いて、その上にトリカゴをのせた。


 トリカゴのなかは、ちょうどまんなかをさかいに、日向ひなた日陰ひかげに分けられた。ただそれだけのことだけど、このときの私には、なんだかそれがすごく特別なことに思えた。


 朝の世界と夜の世界。そんなふうに感じた。朝と夜が、同時にそこにある。世界がはんぶんこになったみたい。朝と夜のさかいがそこにある。だけど、どこにも夕方は見あたらない。私は、そんなことを不思議に思った。


 いま思うとぜんぜん不思議じゃない。あたりまえだよ。そんなことしたって、夕方があらわれるわけない。

 だけどさ、このときの私は、それくらい自分の想像に心をうばわれて、そのとりこになっていた。とりつかれていたといってもいいくらいに。


 このときの光景が、いまでも目に焼きついてる。まるで夕日の残像ざんぞうみたいに。


 このときの不思議を、私はときどき思いだす。


 あたりまえのことを、ほんの少しのあいだ、なぜだか、あたりまえと思えなくなるような、あのうっすらとした違和感いわかんを。

 頭のなかがこわれちゃったような、あのモヤモヤした感覚を。

 不思議じゃないことが、不思議に思えてしかたがなくなる、あのよくわからない気持ちを。


 急に環境かんきょうが変わって、ジュニアは最初、なにごとですか、というように身構えていたけど、すぐにうれしそうにはねをパタパタさせはじめた。


 私はそれを見て、すごくうれしくなった。そして、こうも思った。やっぱりって。やっぱり、トリは、外で暮らす生き物なんだ、って。


 そのふたつの思いがざりあって、頭のなかをぐるぐるとめぐった。それでもう、私の頭のなかは、めちゃくちゃになった。

 でも不思議と、ぐちゃぐちゃした感じじゃなくて、片方がもう片方のすきまに入っていくような、そんな感じだった。ざってはいるけど、完全にはとけない、みたいな。


 あれみたいに、ぬるいお湯でつくるこなココアみたいに。


 スプーンでどんなにかきぜても、どこかこなっぽくて、ざらざらしてる。充分じゅうぶんおいしいけど、ちょっとだけ不満ふまん。ホントはこれくらいの温度だとすぐに飲める。でも、それだと、よくとけない。熱いお湯ならすぐにとけるけど、だけど、それだと、冷めるまで待たなきゃいけない。


 おいしいココアをつくるのはあんがいむずかしい。

 楽してはやくは、甘えんぼ。かならずひと手間てまかけなきゃ、ダメ。

 ふたつを追っかけると、かならずどっちかをがしちゃう。

 まるでウサギとの追いかけっこ。


 だけどなぜか、突然、頭のなかのココアがとけた。ちょうどいい温度で、しっとりして、ごくごく飲めちゃう。おいしい、おいしい、ココア。


 不思議な感覚だった。言葉の意味とか、あれをこうすればそうなるよねってやつとか、自分のこととか、いままでの思い出とか、そういうのがすべてとけて、なんにもわかんなくなっちゃうみたいで。


 自分でもよくわかんないことがかってに進んでいくのに、なぜだか納得なっとくしちゃって、ただ私はもう、目の前のことに夢中むちゅうで、それにいそがしくて、あれこれ考えるひまがないくらいで。


 二匹のウサギをつかまえて、きしめて、それですっごく幸せで、どうやってつかまえたのか覚えてないのなんて、ほんの少しも気にならない。


 もう私は、ウサギをかわいがることしか頭になくて。不思議だらけなはずなのに、まったく不思議を感じない世界。まるで夢のなかにいるみたい。ううん、それよりも。夢がこっちに来てくれた、っていうほうがたぶんあたってる。

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