人影ひとかげの正体はパジャマ姿のおじいさんだった。


 私は、頭を押さえて涙を流しながら、横向きで地面にまるまっていたんだけど、おじいさんはその横を素通すどおりしていった。


 おじいさんはななめ上を向いて、口をぽっかりと開けながらヨダレをたらしている。

 着ているパジャマは……あきらかに冬用だった。長そで長ズボンでモコモコしてる。上下じょうげそろって白黒のシマシマ模様もようだから、まるで、シマウマとか刑務所けいむしょに入ってる人みたいだった。

 左手には大きなスコップを持っている。右手には動物の散歩さんぽひもをにぎっていて、その先には、灰色はいいろの小さな動物がつながれていた。


 一瞬イヌかと思ったけど……違うみたい。

 イヌにしては体のかたちがおかしいし、しっぽが白黒のシマシマ模様もようだった。

 そのしっぽを、まるでネコみたいに、てくてく歩くのに合わせてくねくねさせてる。……だからってネコってわけでもないみたい。

 ……なんだろ……あの動物……?


 その動物にひきずられるようにしておじいさんは歩いていた。しっぽのくねくねする方向に、ちょっとだけ遅れて、体をゆらゆらさせながら。

 おじいさん、まるであやつられているみたいで……すっごくあやつ人形にんぎょうっぽい……。なんか、どっちがぬしなのかわからない感じだ……。


 私は地面に横向きにぐったり寝たまま、「……あのぉ……」っておじいさんに声をかけたんだけど、おじいさんはまったくの無反応で、その代わりに、小さな動物がこっちに振りかえって顔を向けた。


 ギョロっとした黄色い目ん玉に、小さな黒いひとみ


 やっぱり、あきらかにイヌとかネコじゃない、……たぶんおサルさんだ思う。えっと……なんだっけ……。そうだ、あれだあれ、キツネザルだ。間違いない。

 私これでも小さいころから動物が好きで、図鑑ずかんとかよく見てたからね。間違いないよ。この子はぜったいキツネザル。


 ……てか、キツネザルっていうわりに、なんかそこまでキツネに似てないなあ……、って不満ふまんが顔に出ちゃったのかわからないけど、……キツネザルはこっちをにらみながら、しっぽをピーンと立てて、歯をむき出しにしてうなり声をあげて、私にケンカを売りはじめた。

 そして、こんなんじゃ少しもいかりがおさまんないぜ、っていうように大きくえた。


「ワンッ!!」

「……えぇ」

「ワンッ! ワンワンッ!!」


 キツネザルは野生やせい本能ほんのうをむき出しにして、こっちにすごい速さで走ってきて、みつこうとしたり、つめでひっかこうとしてきた。

 だけど、散歩さんぽひもの長さが足りなかったのと、おじいさんの反応が遅かったおかげで、私はやられずにすんだ。

 でもヤバいくらい怖いし、キツネザルはおじいさんをひっぱってちょっとずつ近づいてくるから、私はすぐに起きあがり、坂を少しくだってキツネザルと距離をとった。


「ゥー……、ワンッ! ……ウー……グルル……、ワンッ!!」

「……こわすぎでしょ……。まるでこわいイヌじゃんかっ」


 よかったことに、キツネザルはそれ以上追っては来なくて、ただ、目を血走らせてギロギロにらんでくるだけだった。いや、それでも充分じゅうぶん怖いけど……。


 しばらくするとキツネザルは、『……たくっ、今度からは気をつけろよ』みたいな表情を浮かべて私から目を切ると、夕日のほうへ歩きはじめた。だけどちょっと進んで、すぐに立ち止まってしまう。


 だいたい十秒くらいして、キツネザルは突然、ねるようにその場で一回転した。

 その動きの速さにおどろいて、私は思わず口を開けてしまった。パッ、ってくちびるが鳴っちゃうくらいに。

 そしてまた十秒くらいたったとき、キツネザルは、どこを見ているのかよくわかんないような怖い顔をしながら、おじいさんをひきつれてこっちに向かって歩きだした。


 ……うわわ、ヤバい、やっぱやる気だっ……、そう思って私は逃げだそうとするけど、キツネザルはまた立ち止まってしまった。それはちょうど、チューリップが横たわっているあたりだった。


 キツネザルは突然、めっちゃオーバーに、すっごい大きなため息を吐いた。そして、土の山のすぐ近くに寄ると、後ろの片足をあげて、山に向かってオシッコをし始めた。


 ……ちょ……っと……なんてこと……してんの……。


 オシッコを終えると、キツネザルはおじいさんに向かってなんどかえた。どやしつけるみたいな感じに。


 するとおじいさんは、顔をあげながら白目をむいて、だらしない笑い顔を浮かべた。

 そして、けっこうな勢いで地面に両ひざを突くと、口のなかから『ぶぅえっ!』とレジ袋を吐き出して、手に持っていたスコップを使って、土をかき集めてレジ袋に入れていった。


「……サル……マネ……サルマネ……サルマネ……、……サル……シバイ……?」


 おじいさんは、ずっとぶつぶつしゃべりながらで、それもノロノロした動きのわりに、キカイみたいにムダなく土をかき集めていった。鉢植はちうえの破片はへんや、……チューリップまで……。


 おじいさんは作業を終えると、スコップを近くの家のにわに投げこんでから、レジ袋を左手に持って、まるで、空からのびる糸にりあげられるように、その場に立ちあがった。

 そして、倒れるようにぐるりとターンして後ろを向くと、キツネザルにひっぱられながら坂をのぼっていった。そんでしばらくすると、またうめき声をあげだした。


「……ダメ……ゼッタイ……ミザル……イワザル……キカザル……セザル……」


 おじいさんの左手にぶらさがるレジ袋は、土でパンパンになっていて、その口からは、チューリップの頭がのぞいていた。

 チューリップがこっちをじぃーっと見ている気がして……なんだか後ろめたくて、……私はうつむいて、視線をらした。


 ……ホント……ごめんね……。


 顔をあげると、おじいさんはもう遠くにいて、夕暮れに消えかかっていた。夕日に近づいていってるはずなのに、おじいさんのまわりの赤色がゆっくりと抜けて、どんどん黒色になっていく。


 それまでまっすぐ歩いていたキツネザルが、急に方向転換ほうこうてんかんをして、すぐそばの家の垣根かきねの下をくぐけていった。

 それにつれられて、おじいさんも垣根かきねにぶつかっていった。それでも止まらずに進みつづけ、メリメリと垣根かきねにめりこんでいき、そのまま突っ切っていったのか、おじいさんも姿を消した。


 私はたぶん、もうなにがあってもおどろかないよ。

 ムテキな女になりました。大人になるってこういうことだよ。なんてね。でも……私もいつか、かならず大人になるんだよね。


 チューリップの家のほうを向いて、チューリップたちをながめるうち、ため息がれた。


 私は、おこられないですんだんだよね。

 だから、ほっとしていいはずなのに、なんだかむねに穴がいたみたいな気持ちになった。


 自分が卑怯ひきょうに思えて、息を吸ってもれちゃうみたいで、もうどうしようもないのに、すごくあせって、地面に足が着かないみたいで、いまにもちゅうに浮かびあがりそう。

 あやまるチャンスをうばわれたような気がして、それがなんかおもしろくなくて、それよりも、人のせいにしてる自分が嫌で、なんだかくやしくなって、ちょっと涙が出た。


 ずるい大人にだけはなりたくないって思ってたはずなのに、もう、私、子どものうちからずるいじゃん。


 自分が嫌になったり、思いどおりにクルミがれなかったり、そんなのがざりって、気持ちがぐちゃぐちゃになって、私は、かるくキレた。


 私は、右手を短パンのポケットに突っこんでクルミをとりだし、そのまま右手を空に向かって振りあげて、「わたしのアホォ!」と叫びながら地面にクルミを投げつけた。


 クルミはアスファルトにたたきつけられて、そのままきれいにかえり、私のおでこに直撃ちょくげきした。


「……もうやだ……痛すぎ……」


 絶対ぜったいおでこ赤くなってるよ、これ……。でも、意外とあれだよね……こういうときって、意外とそうでもないことが多い気がする。かがみを見てみるけど、めっちゃ普通で、『なんやねん』みたいな、そんな感じ。


 おでこはもちろん痛いけど、それよりも、首がものすごく痛くなってきた。クルミがあたった衝撃しょうげきっていうよりも、ビックリして首をそらしたせいだと思う。ムチ打ちみたいな感じかも。


 ……いまの私には無理なんじゃないかな、クルミをるの……。……なんだっけ……役不足……? 力不足……? どっちだっけ……?


 ……ああ、神さま……、……いや、もう、誰でもいいからクルミりを持ってきて……。

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