「ねぇえ、カラスさん」、私の声はなんだかやさしかった。まるで友だちにでも話しかけてるみたいに。……なんかこのカラスさんは、そこまで危険じゃなさそうだしね。

「なんだ」、いっぽうのカラスさんはぜんぜん態度たいどが変わらない。私をためすように見下ろしてる。ずっとそうしているだけ、ただそれだけ、なにも変わらない。

「……なんかあったよね……ムチでなんか、あれするみたいな……ことわざだったか、言い伝えだったか……」

「死体にムチ打つ」

「いや、わたし生きてるから……、……かってに殺さないでよ……。違うよ、あれだよ……なんだっけ、……そうそう……役不足だったか、力不足みたいなやつ……」

駑馬どばにムチ打つ」

「そう、それ! たぶん!」


 私これでもあれだからね。勉強机べんきょうづくえたなにことわざ辞典じてんを置いてて、たまにパラパラめくってながめたりしてるから、けっこうことわざにはくわしいよ。


「それにしてもさ、カラスさん」

「どうした」

「クルマがなかったころはどうしてたの? クルミをるのに、昔のカラスさんたちは。……あ……もしかして、おウマさんとか?」

 ちょっとだけを置いて、カラスさんは小さくつぶやいた。

「……昔のことは、よくわからない」

「……そうなんだ。でも、……そうだよね。誰だって、昔のことはよくわかんないよね」


 昔のことは、確かにじっさいにあったことだから……未来のことよりもはっきりしてるはず。……だけど、ぜんぜんさっぱりわかんないことは、未来のことよりもぼんやりしてる気がする。……なんだかいまの私には、未来のことのほうがよっぽどわかるような気がした。


 私はチューリップの家に目を向けた。


 坂道を吹き抜ける風を受けて、チューリップたちはおおきくれていた。まるで、みんなでそろって手を振っているみたいだった。


「明日、あやまりに行こう」


 そうつぶやくと、なんだか昔のことが頭に浮かんできた。たまには、昔のこともわかるもんだね。でも、やっぱりそれは、ときどきしか起こらない。


 考えてみれば、そうだよね。

 私はまだ子どもなんだから、昔をあんまり持ってない。その代わり、未来はたくさん持っている。

 ほかの子たちがどんなふうに感じているのかわからないけど、私にとって、未来のことは多すぎて、昔のことは少なすぎるくらい。


 未来は、キカイで送るたくさんのメッセージみたい。

 昔は、たまにとどくお手紙てがみみたい。


 やっぱりさ、未来のことも昔のことも、けっきょく、よくはわかんないよね。いまのことに比べたら。


 誰かが書いた文章も、それどころか自分で書いた文章だって、いまの自分の気持ちに比べたら、ぜんぜんわかんないよ。

 パズルみたい。なぞなぞみたい。暗号あんごうみたい。宿題のドリルの虫食むしく問題もんだいみたい。

 うんと頭をひねらなきゃ、その気持ちは、ほんの少しもわからない。

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