あんなにうるさかったのに、近所の人は誰ひとり、表に顔を出していなかった。

 ひっそりしてなんの音も聞こえない。

 みんな意外とリアクションうすいね。私なら、ぜったいにヤジウマ根性こんじょう爆発ばくはつさせると思うのに。


 しばらくそのままぼーっとしていると、頭の上から「かー」って声が聞こえた。私は首を思いっきりそらして空を見上げた。


 カラスは変わらず電線にとまっていて、私のことを見下ろしている。

 私はうつせのままカラスに声をかけた。


「ねぇ、まだやるの……?」

「そうだ」

「そろそろ帰りたいんだけど……」

「それがおまえの哲学てつがくか?」

「……。わかったよ……、わかりましたよ……、ればいいんでしょ、クルミを」


 私は体を起こしてぺたんこずわりになって、両手で土の山をかきわけて、中からクルミをとりだした。

 クルミはヒビひとつ入ってなくて、まるで私にケンカを売るように、すごくかたそうにしてる。なんか、『えっ? いや……おまえなんかに負けないけど?』って言ってるみたいでムカつく……。


 その場に立ちあがり、私は足元を見た。


 ……それにしてもこのチューリップどうしよう……せめて片づけないとマズいよね……誰かが鉢植はちうえの破片はへんんづけてケガするかもしれないし……クルマのタイヤをパンクさせちゃうかもしれないし……。


 とりあえず道のわきに寄せるだけはしておこうと思って、しゃがもうとしたとき、……どこからともなく……うめき声のようなものが聞こえてきた。


「……今度はなに……?」


 私は身構えてまわりに目をやった。

 すると、少し坂をくだったあたりに人影ひとかげを見つけた。人影ひとかげは、坂をのぼって来ているらしい。


 夕日はまだ沈んでいないけど、あたりはいつのまにか、ちょっとビックリするくらいに薄暗うすぐらくなっていた。

 しかも、『薄暗うすぐらい』がゆらゆらしているように見えて、さらにビックリ。薄明うすあかるいと薄暗うすぐらいを行ったり来たりしているように感じる。

 なんでこんなんなるんだろう。

 目が暗さに慣れていないせい? それとも、夕日がプルプルれているせい?


 こんなに暗いなかでも、近くの景色はちゃんと見える。

 地面のアスファルトの小さなヒビれも、そこにえた雑草ざっそうの葉っぱの模様もようも、近所の家の屋根やねがサビてるのも、交通安全こうつうあんぜん看板かんばんや、地域ちいき行事ぎょうじのお知らせのポスターの、そのちっちゃな文字も。


 そのすべてが一色に染まっている。オレンジ色なんだけど、そうじゃないような、そういうへんてこな色に。うすいオレンジでもないし、暗いオレンジでもない。

 オレンジっていうよりも、……青色だけを抜いたってほうが近いのかもしれない。青なしの色。昼間の景色から青だけが消えてる。青なしの風景。まるでそういう絵のなかの世界みたい。


 だけど少し遠くに目をやると、そこから先は別の世界だった。

 絵は絵でも影絵かげえの世界。

 色の違いは黒色のさでなんとなくわかるくらいで、物のかたちがぜんぶあやふやで、世界が黒色にとろけてざりあっていた。


 こうして近いところと遠いところを見比べてみると、まるで、世界が豆電球まめでんきゅうだけでらされているみたいだ。


 そんな景色だから、人影ひとかげとの距離感がぜんぜんわかんない。人影ひとかげはずっと同じ大きさのままで、ただ、うめき声だけが近づいてくる。


 その人影ひとかげは、体をゆらゆらと前後左右にらしながら歩いているらしい。まるでゾンビみたいな動きだ。

 前にのばした両手は、まるでなにかを探すように、ゆっくりとしたイヌかきおよぎみたいな動きをくりかえしていた。

 それに、ずりずりと足をひきずっている。


 ……もしかして、……ホントにゾンビ? ……ま、まさかね……映画とかゲームじゃないんだから……。……と思いながらも私は、無意識に、持ってたクルミを短パンのポケットにしまって、首を両手でおおってガードしていた。


 ……あれだよね……ゾンビってぜったいに首からガブっていくよね。……決めてるのかな? あれみたいに……タイ焼きをどこから食べるか、みたいな感じで……。


 ……あれ? ていうか私もいつも……タイ焼き、首から食べてるよ……、……なんかやだな、ゾンビとおそろいとか、……やめとこ、首から食べるの……、今度から……そうだな……お腹から食べることにしよ。


 ……ていうか、いまはそんなのどうでもいいよっ……。……ほんとうにゾンビだったらヤバいよっ……、……だって私、ピストルとかどこで買えるのかわかんないしっ……!


 私がそんなふうにあれこれ考えていると、突然、人影ひとかげかげがはがれて、そのはっきりした姿が目に飛びこんできた。と同時に、思ったよりもその人が間近に迫っているのにぎょっとして、私は後ろによろめいて、バランスをくずして、地面にしりもちを突き、すぐに続けて、頭の後ろを思いきり地面に打った。


 首をぎゅっと押さえていたせいで、まったく腕を使えなかったから、ほとんどさかさまに頭をぶつけた。

 ……ほんの一瞬だけ……、……意識が遠くなった……。まるで、眠るすんぜんみたいな感じに。でも、その感覚はすぐになくなって、代わりに、頭がヤバいくらいにガンガンしはじめた。


「……ぁぁ……う……ぃ……痛い……うぅ……めちゃめちゃ……痛い……れ……る……ぅぅ……頭が……れちゃいそう……ぅぇ……ぅぅぅ……」という私のうめき声にこたえるように、その人は、うめき声をもっとうめかせた。

「…………チンパン……ジー……ア……カゲ……ザ……ル…………オラ……ウータン……ニホン……ザル……ア……イ……ア……イ……テナガ……ザル……ゴ……リラ……メ……ガネザル……マント……ヒ……ヒ…………キツネザ…………ル…………」

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