チューリップの家のほうを見ると、こっちに背を向けてはいたけど、玄関げんかんに人が立っていた。


 これはヤバいと思って、とっさに私はうつせになって息をひそめた。

 考えてみるとぜんぜんかくれられてないけど、すわってるよりはマシかなって思う、なんか気持ち的に。


 目をらしてその人を見てみると、宅配便たくはいびんの人だってことがわかった。男の人で、けっこうマッチョで、肩と背中の筋肉がもりもりだった。後ろ姿だからよくはわからないけど、若めな気がする。


 宅配便たくはいびんのおにいさんは、左手に小さなダンボール箱を持っていた。いまから荷物にもつとどけるらしい。


 ヤバい、家の人に見つかったら大変なことになる、いますぐこのチューリップをかくさなきゃと思って、私がチューリップにおおいかぶさろうとしたとき、おにいさんは玄関げんかんのチャイムを押しちゃった。

 するとあたりに、『ピンピョ~ン』っていう、ちょっとマヌケな音がひびいた。きっとあのチャイム、こわれてるんだ。


 チャイムの音が、合唱がっしょう輪唱りんしょうみたいに聞こえる気がした。

 あれみたいな感じ、映画とかのスローモーションのときのやつ。

 危険を感じてるから私の感覚はするどくなってて、それで感覚がすごいことになっているんだと思ったんだけど、それはただのカン違いだった。


 ――ピンピョ~ンピンピョ~ン――ピンピョ、ピンピョ、ピンピョ~ン――


 おにいさんは仕事で来ているわりに、やたらとチャイムを連打れんだしていた。なんだか、友だちの家に遊びに来てるノリだ……。


 それからおにいさんは一分間くらいチャイムを連打れんだしつづけたけど、さすがにあきらめたのか、チャイムから指を離してガックリと肩を落とした。

 てっきりそのまま帰るのかと思ったけど、おにいさんはその場で体を少しかがめて、身に着けていたウエストポーチみたいなものに手をのばすと、なんかゴソゴソしはじめた。


 ……なにをしてるんだろう……めっちゃゴソゴソしてるけど……。

 ……もしかしてドロボー? 宅配便たくはいびんの人の格好かっこうなのは、……じつは変装へんそうだったりして……。……近所の人に相談そうだんして、110番に電話してもらったほうがいいのかな……。


 でもでも……! そしたら、私の犯罪はんざいもバレるかもしれないし……。


 ……ていうかあれか、あれだ、あれあれ、……留守るすにしてたときに入れてくれるあの紙、たぶんあれを郵便ゆうびんけに入れてるんだ。


 ……それにしても留守るすでよかった……。

 …………いや……それでいいのか私……バレないからって、自分がやった悪いことを、ごまかしちゃおうなんて考えるなんて……。


 おにいさんは、しばらくするとこちらに振りかえった。


 ……よかった……ドロボーとかじゃなくて。…………てか、あのおにいさん、めちゃめちゃイケメンなんですけど。すごくカッコいい。ヤバ。ヤバいくらいカッコええ……。


 ていうかそもそも、宅配便たくはいびんの人ってなんかいいよね。いつも笑顔でやさしそうだし、すんごい力持ちだし、一生懸命いっしょうけんめいだし、さわやかだし。


 『……ああヤバい、これは初恋はつこい三秒前じゃあ~』と頭のなかで私がしゃべった、ちょうどそのとき、おにいさんはなにかを思いだしたように、また玄関げんかんに向きなおった。

 そして、ビックリするくらいはげしく体を動かして、玄関げんかんとびらに『ガンッ!!』ってりを入れると、おたけびをあげた。


「ああ、クソがあ! いろよ! 家にいろよお!! んのやろぉー!!」

「……えぇ」


 おにいさんはまたこっちに振りかえると、ズカズカと地面をみ鳴らしながら歩きだした。


 とびらったくらいじゃいかりがおさまらないのか、なんどもなんども舌打ちしてる……。ていうか、すさまじい顔になってる……こういうのを『おにのギョウソウ』っていうのかもしれない。


 おにいさんは完全に頭に血がのぼっているのか、道路のまんなかに寝っ転がる私にも気づいていないらしい。


 そんでそのまま、頭をガリガリかいたり低くぶつぶつ言ったりしながらずんずん歩いて、すぐにチューリップたちのところまでやってきた。


 それでもおにいさんは私に気がつかない。確かに視界に入ってると思うんだけどなぁ……、……完全に自分の世界に入っちゃってるって感じだ……。


 そうしておにいさんが道路に出た、そのとき、私はあることに気がついて首をかしげた。


 おにいさんのおでこに、なにか書いてある。


 目をらしてみると、そこには、赤いマジックペンかなにかでデカデカと、『ひもんじ』と書かれていることがわかった。

 ……誰かのイタズラ……? それとも、まさか……ファッション……かな……? ……ていうか『ひもんじ』ってなんだろ……?


 おにいさんは急に進路しんろを変えると、坂道をくだりはじめた。と、そこで、私の目に信じられないものが飛びこんできた。いや、まあ、そこまでじゃないかも。本物をじっさいになんどか見たことあるし、でも……ホントに場違いだと思う……。


 チューリップの家から少し離れたところには、京都きょうと東京とうきょう浅草あさくさで走っているような人力車じんりきしゃまっていた。

 旅行りょこうの人がよく乗るやつ。おっきな車輪しゃりんがふたつあって、人力車じんりきしゃの人がひっぱるための『コの字』のがついてて、二、三人くらいがすわれそうな赤色のせきがあって、雨よけのカサがついてるやつね。


 ……私、いつか、ああいう人力車じんりきしゃに乗ってみたいんだよね。

 まえに修学旅行しゅうがくりょこう京都きょうとに行ったときは、けっきょく乗れなかったから。


 同じはんの生徒だけでの自由時間があって、それも、同じはんの子たちは、みんな仲のいい友だちだったんだけど……、……なんかちょっと恥ずかしくて、……人力車じんりきしゃに乗りたいって言えなかったんだよね……。

 それでちょっと後悔こうかいしてる……あのとき乗っとけばよかったなぁって。


 だからって、あの人力車じんりきしゃに乗りたいとは思えなかった。

 どうせ乗るなら、京都きょうと浅草あさくさとかで乗りたい。

 こういうのは雰囲気がいちばん大事だと思う。やっぱり、人が大勢おおぜいいて、古い建物とかがいっぱいあるなかじゃないとさ、テンションがあがんないよ。

 こんな近所で、それもひとりっきりでなんて、ちょっとなんかなーって感じだし。


 ……ていうかそもそもあの人力車じんりきしゃには、乗りたくても乗れないみたいだった。だって、お客さんを乗せるところには、何段にも重ねたダンボール箱がんであって、せきがうまっちゃっているから。


 おにいさんは人力車じんりきしゃに近づいていくと、かかえていたダンボール箱を、のてっぺんに向かってぶん投げた。

 そんで、『コの字』のなかに入ってにぎりしめると、人力車じんりきしゃをひっぱりながら坂道をのぼりはじめた。


 ……ていうか……なんで人力車じんりきしゃなんだろう……。


 おにいさんはやっぱり私には気がつかずに、私のすぐ横を素通すどおりして、そのまま坂をのぼっていった。

 よく見ると、人力車じんりきしゃのおしりのところにはナンバープレートがついていた。京都きょうとナンバーだった。


 やっぱり京都きょうとかぁ、東京とうきょうじゃあちょっと遠いもんなぁ、……って一瞬納得なっとくしちゃったけど……、……人力車じんりきしゃにナンバープレートなんてついてたっけ……?


「ざけんじゃねえぞ! …………ああ!! クソがっ、クソがあ! クソがよお!! うあぁあー!! ふざっけんじゃねえーー!!」


 おにいさんはときどき、思いだしたように叫び声をあげた。

 それは全力の全力ってくらいの大声だったけど、不思議と怖く感じなかった。あれに近い感じ。子イヌがえてるみたいな。なんでかな。私に言ってるわけじゃないって、わかってるからかな。


 人力車じんりきしゃはゆっくりと坂をのぼっていって、だんだんと遠ざかっていった。

 そして、夕日にみこまれるすんぜんのところで、脇道わきみちに入っていったのか、その姿が見えなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る