息を吸って気をとりなおし、私はカラスに言葉をかけた。


「ねえ、カラスさん。ていうかさ、なにが目的もくてきなの……? ……やっぱりセクハラ……?」


 カラスは、少しだけ目をほそめると顔をさげた。

 つられて私も顔をさげる。

 そこにはクルミが転がっていた。

 クルミを見つめているらしい……かと思うと、カラスはすぐにまた、私に視線を戻した。そして、ひとつまばたきをしてから、口をひらいた。


「おまえの『哲学てつがく』を見せてみろ」

「テツガク? ……テツガクって、あのテツガク? テツガクってあれでしょ? あのほら、あの……えーっと、……あれがあれするやつ……」

「そうだ」

「……えぇ」

哲学てつがくかたはない」


 カラスはなんか知らないけど、『言ってやったぜ』みたいな表情をしている。

 いや、カラスの表情なんてあんまりよくわかんないけどね……。それでも注意して見ていると、なんとなくわかってくるような気がするから不思議。思い込みって大事かもね。


「……つまり……クルミが食べたいの?」と私は言った。

 カラスは答えない。

「テツガクってわけね……よくわかんないけど……」


 ……ま、いいよ……。クルミのからるくらいさ。かかとで思いっきりめば、たぶんれるでしょ。

 ……そんなんで帰してくれるなら安いもんだよ。お安い。激安げきやすだよ。……なんか、少し疲れたのか、かなりお腹へってきたしさ……。はやく帰ってごはんが食べたい。


 ……このカラスもお腹がへってるのかもね。


 私は右足をおおきくあげて、クルミにねらいをさだめた。

 右足をあげすぎたのか、一瞬バランスをくずすけどなんとかこらえ、「おらぁー!」ってかけ声を出して、クルミを思いきりんづけた。けど、ねらいがはずれて、クルミはちょうど、土踏つちふまずのまんなかあたりにめりこんだ。


「――ぅわっ――!? いったあー! ……っ……!」


 痛さがすごくて立っていられなくて、私は地面に倒れこんだ。


「……つつつ……痛たたた……痛い……いてて……このクルミ、なにさまだよ……痛い、よ……うぅ……」


 ……ぺらぺらのくついていたのもあって……すっごく痛い……。……まるでココアの缶んだみたい……。


 ていうかクルミのからってこんなにかたいんだ……。かかとでちゃんとんでもれないかもしれない。それどころか、かかとの骨にヒビが入りそう……。……ダメだ……素手すでじゃ絶対ぜったい無理だ……。


 そこらに大きな石でも転がってないかなって、体を起こしてあたりを見渡すけど、それらしいのはなくて、あるのは石ころばかりだった。


 じゃあどうすればいいんだよ、と頭をかかえていると、近くの家の門のところで、鉢植はちうえに入ったチューリップがいているのが、目に映った。けっこうたくさんいてる。

 チューリップは、木でできた三段の段々にきれいにならんでいて、なんだか合唱がっしょう発表会はっぴょうかいみたいだなーって、私は思った。


 鉢植はちうえは、よく見るようなやつだった。うすい茶色で、のもげたマグカップみたいなかたちで、そしてなにより、……めっちゃ頑丈がんじょうそう……。


 私はそっとその場に立ちあがり、まだ痛い右足をひきずりながら、ゾンビみたいな歩き方でチューリップに近づいた。


 チューリップはいろんな色のものがあって、同じ色のものでも微妙びみょうにかたちが違ったりして、たくさんの種類がそろっているみたいだ。ミニチューリップえんって感じ。

 チューリップたちはどれも立派りっぱで、まるで競争きょうそうするように背をのばしていた。『あたしを見て! あたしがいちばん!』って言ってるみたいでかわいい。なんか見とれちゃう。


 赤、オレンジ、ピンク、……むらさき、……白……黄色……赤、……あれ……チューリップって……夏にくんだっけ……? ……赤……ピンク……赤……赤……。


 チューリップをながめていると、だんだん頭がぐるぐるしてきた。熱中症みたいな感じだ。


 ……これはいけないこと……というか犯罪はんざい……、……で、でも、ちょっとりるだけなら……すぐに返すし……ぬすむわけじゃないんだし……。

 たぶん、こういうのを出来心できごころっていうんだと思う……。


「はっ」と気がついたときにはもう、私は鉢植はちうえをかかえあげていた。

 かかえたときの勢いが残っていたのか、チューリップは頭をゆらゆららしていた。赤いチューリップだった。やっぱりチューリップといえば赤だよね。かき氷でいうイチゴ味みたいな。


 『……いまの私は、熱中症でおかしくなってるだけ……そうだよ……』って頭のなかでとなえて、後ろめたいのをごまかしながら、私はクルミのほうに歩いていった。


 この鉢植はちうえ、けっこう重いし、デカい。人の赤ちゃんくらいある気がする、たぶんだけど。……うん、これならぜったいにれるはずだ。


 私はクルミの前で正座せいざして、ふとももの上に鉢植はちうえをのっけた。ちょうどチューリップの花びらが目の前にくる。……なんだか、チューリップに見つめられている気がした。


「……なんかごめんね。……こんなことに巻きこんで……、……でも、すぐにみんなのところに帰してあげるからね」


 私はそうチューリップに話しかけると、すぐに口をぴったり閉じて、鼻から、はいがギブするまで息を吸いこんで、そこでめた。

 そして、鉢植はちうえを頭の上まで持ちあげて、勢いよくクルミにたたきつけた。すると、『カチャンッ』って音が小さく鳴った。


「ああ!! ……そんな……ウ、ウソでしょ……!」


 ……鉢植はちうえは……七つくらいの破片はへんに分かれて、バラバラになっていた……。中に入っていた土は地面にこぼれて、こんもりした山になってる。


 …………チューリップは、そのすぐそばで……ぐったりと横たわっていた……。


「……ご……ご、ごめんっ……ごめんね……」


 チューリップののところにはいくつかの球根きゅうこんができていて、……それが、私のことをうらめしそうに見上げている……ような気がする……。


「……どうしよぅ……」


 …………ホントにどうしよう……とんでもないことしちゃった……、……ぜんぜん知らない人の家のチューリップを……こんなにしちゃうなんて……、……終わった…………私の人生、おしまいだっ……。

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