場所の名前や人がどこを通るかなんて、空を飛ぶカラスにはどうでもいいことだよね。もちろん、私のヒミツのことも。


 でも、クルマがどこを通るかはけっこう重要そうだよね。私だって、缶ジュースのフタが開けられないときは、ちょっと必死になるもん。


「カラスさん。ここ、あんまりクルマ通らないよ。たぶん、ほかんとこ行ったほうがはやいかもね」


 そう声をかけた瞬間、カラスはゆっくりと口をひらいて、クルミを地面に落とした。


 クルミが地面にぶつかる音は、思ったよりも地味だった。空気のぬけたバレーボール以上、石ころ以下ってところ。


 クルミはなんどかバウンドしながら、こっちのほうにコロコロと転がってきて、ちょうど私の足元で止まった。


 それは見たことないくらい大きくて、パンパンにふくらんでいて、いまにも爆発ばくはつしちゃいそうなくらいだった。

 ピンポン玉よりはぜったいに大きいし、スモモくらいはありそう。表面は、よろいでも着てるみたいにガンガンにかたそうで、地面に落ちたくらいじゃビクともしてなくて、ヒビひとつ入ってなかった。


 ……すんごい強そうな感じ。

 おおボスって感じだ。

 クルミの王さまって感じ。

 いやもうなんか魔王まおうって感じかも。

 あれが出てるもん、オーラが。えらそうで悪そうなやつが。

 世界はオレのもんだぜー、うははははははっ、……みたいな感じ? ゲームはほのぼの系しかやんないから、魔王まおうがどんなんかはよくわかんないけど。


 視線を上に戻すと、カラスが私のことをじぃーっと見つめていた。……なんだか、ねっちょりした視線って感じ。

 ためしに横にカニ歩きをしてみると、カラスは頭をまわして私を見つづけた。ずっとガン見してる……。


 突然転びそうになって後ろによろめいたけど、なんとかこらえて、その場にみとどまった。


 カラスの目のあつのせいでそうなったのかと一瞬思ったけど、ただ、坂道で慣れないカニ歩きをしたからなだけだった。

 ほんとうに転ぶすんぜんだったから、私の体はけっこう大騒おおさわぎしたはずなのに、カラスは逃げずに電線にとまっていた。


 変わらず、じっと私を見てる。


 なにか期待されているような気がして、数秒のあいだ私は固まっていたけど……、クルミりなんて持ってないから、見て見ぬふりをすることにした。

 でも、ちょっとだけ後ろめたくて、顔がかってにごまかし笑いをしちゃう。


「……あ、あー……うちさぁ、帰るのに制限時間せいげんじかんがあるんだよね……」


 それはただのウソだった。


 ただ帰りが遅いと、うちのママが「彼氏かれしでしょ? そうでしょ? そうなんでしょ? さっそく明日つれてきなさいよ!」って言ってうるさいから嫌なだけ。それに、帰りが遅いとママが心配しちゃうのも確かだから。


 顔をさげて、『……ご、ごめんねー……』って心のなかでつぶやきながら、前に一歩みだしたとき、いきなり誰かに声をかけられた。


「おい。そこのむすめ


 このセリフはぜったい危ない人のやつに違いないと思って、私はすぐに、身構えながらあたりを見渡した。


 だけど、誰もいなかった。


 見えるのはただ、さっきまでと変わらない景色。

 それだけで、なにもない。

 耳をましてみるけど、しんとしてなんの音もしない。物音ひとつ聞こえない。ていうか、セミの声とかもしないし、めっちゃ静か。


 耳がなくなったんじゃないかとちょっと心配になって、私は両手で頭の横を触ってみた。


 よかったことに……ちゃんと耳はあった。……あれ……耳たぶがなくなってる……、って思って一瞬ぎょっとするけど、耳たぶもちゃんとあって、ちゃんとプニプニしてた。

 あれなんだよね……私の耳たぶって、あんまなくて、なんかオマケみたいで、地味にコンプレックスなんだよね……。

 耳たぶとか使わないから、……べつにいいんだけどさ。もうちょっと耳たぶがほしかったなって、地味に思う。


 それにしてもさっきの声はなんだったんだろう……? もしかして空耳?


 ……ていうか空耳って、なんで空耳っていうんだろう? 空から聞こえるから? そうかなぁ? ……ぜったいに横からだと思うけどなぁ私は。


 ……そもそも、上とか下から声をかけられても、よくわかんないよね。相手が見つからなくて、かならずその場でくるんとまわっちゃうもんね。

 「こっちだよ、こっちー」ってけっこう大声で言われて、やっと気がつくくらいだもん。


 ためしに上を見てみると、カラスと目が合った。……なんだか、返事を待ってるみたいな感じ……。


「……あはは……まさかね……」

「おまえだよ」と、カラスはよく通る声で言った。

「うわあ! ……しゃべった……! こわ!」


 ヤバい、バケモノだ、どうしよう……! ……でも……あれじゃんか……相手はただのカラスじゃん。空が飛べて、クチバシで突かれると痛そうなだけ。

 ……たぶん、組んじゃえばこっちのもんだ。たぶんだけど……。


むすめよ。おそれることはない。安心しろ。危害きがいくわえるつもりはない。いまのところは」

「……なんだ、よかったぁ……、……って、えっ! ……いまのところは……?」

専守防衛せんしゅぼうえいということだ」

「…………それはなんですか……? ……センセンフコクみたいな……?」

「つまり。売られたケンカは買うということだ」

「……なっ…………の、のぞむところですよ……、……わたしこれでも……あのほら……あれやってますから……あのほら……あの……くるっとする、ジュウドーみたいな……」

 少しののあと、カラスは、首をかしげながら口をひらいた。

合気道あいきどう

「そう、それ!」


 こんなウソでなんとかなるかな……、……でも私、陸上部に入ってて砲丸ほうがんげやってるからさ、腕の力はちょっと自信あるんだよね……だから、組めさえすれば……。


むすめよ、名をなんという?」

「え? ……野々花ののかですけど……。えっと、苗字みょうじ川上かわかみで……。ていうか、なんでそんなこと聞くんですか? もう言っちゃったけどさ……」

参考さんこうまでにな」

「サンコウ? コウサンの間違いじゃなくて?」

「おまえがその気なら、やってやらないこともない」

「……えっ……ん……? ど、どっちだよ! やるのか! やらないのか!」

「すべてはおまえしだいだ」

「……え? ……そんなの、おまかせコースじゃん。お店じゃんか! わたしまだ学校かよってる人ですけど! まだ仕事とかしてませんー!」

苦学生くがくせいではないわけだな。見たところ、ほかのことでは苦労しているようだがな」


 クガクセイがなんなのかとか、言ってることの意味とかはよくわかんなかったけど、カラスの声はなんかバカにしたふうだったから、イラっとして私は叫んだ。


「なんだとー! 知らないの? バカって言うほうがカウンターされるんだよ!」

「バカとは言ってないぞ」

「言ってるけど、言ってないじゃんかあ!!」

「すこし落ち着け」

「そっちこそ……」

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