第三章:追うもの、追われるもの

第20話:追ってきたもの

 夕日に隠れて、紅潮した頬がてれてれと。お互いの顔もまともに見れず。

 ヴァネッサとエルクの二人はお互いの小指を絡め、二人の家に帰ってきた。


「……続き、しますの?」


 ベッドに腰掛けたヴァネッサが口を開き、サマードレスの肩紐をずらす。

 少し日に焼けてきた、まだ白さの残る肌がエルクの目を焼いて。

 彼はつばを飲み込んで窓に向かい、カーテンを閉じる。

 そして彼女の肩を掴んで……。


 コンコン。


「…………はぁ。誰ですのよもう」


「出てきますよ」


 肝心なところでもう。と二人はがっかりして。

 とりあえず彼女が布団をかぶったのを確認して、エルクがドアを開けると。


「この女に見覚えがないか、教えてほしいのだが。名はヴァネッサと……ん? 貴殿、エルクではないか?」


 ヴァネッサ本人よりも大分お淑やかに微笑む、繊細なタッチで描かれた美しい似顔絵。

 それを手渡す、真紅の髪と瞳をした筋骨隆々の大男。

 ヘクトル王子が、家の前に立ちふさがっていた。


「へ、ヘクトル王子……お久しぶりです……」


「あぁ、貴殿は解放されたのだったな。なぜエリトリアに?」


 エルク自身、昔からヴァネッサの奴隷として、彼女の幼馴染で婚約者でもあったヘクトルとは付き合いがあった。

 幼い王子に剣や魔法の手ほどきをしたことがあるし、身体が弱かった彼の訓練に付き合ったこともある。

 それ故親しげに話しかけてくる王子に、彼は引きつった愛想笑いを返した。


「え、えぇ。元々この村の出身でして」


「なるほどな。それでは貴殿の主人がどこへ行ったか、知らんか?」


 ま、まずい。と冷や汗が流れ出す。

 噂ではなく、本当にヴァネッサのことを探していたんだと知って、彼の心臓が不気味に脈打つ。

 意識して呼吸を整えて、穏やかに頬を緩める彼の質問への正解を探した。


「お嬢様は亡くなったと聞いております」


「ふむ。しらを切るか……ヴァネッサという名前で胸の大きな美女が、この家にいると聞いたのだがなぁ」


 正解の選択肢を選んだはず。とエルクは祈るが。

 ヘクトルはその回答を全く信用せず、眉間にシワを寄せた。

 村でさんざん聞き込みをして、やっと見つけた成果をみすみす無駄にしてなるものかと。


「では仕方ない。尋問させてもらう」


 彼の瞳が不穏に燃えて、エルクの胸ぐらを掴む。

 本気だ。と彼が覚悟して、不意打ちでもしてヴァネッサだけでも逃がそうと決めた瞬間。


「あ、エルクさ~ん。ご飯を食べに来ました~」


 遠くから手を振り走ってきたアウローラの脳天気な声が聞こえる。

 これしかない! と閃いたエルクはほんの一瞬で筋書きを考えて。

 できる限りの笑顔を振り絞ると、彼女に向かって叫んだ。


「ヴァネッサさん! おかえりなさい!」


「え? 私は……」


「ヴァネッサさん! ちょっと今立て込んでるので、とりあえず中へどうぞどうぞ」


 状況が掴めていないアウローラに、貴女の名前はヴァネッサですと押し通し、無理やり家の中に避難させる。

 そんな様子を見てヘクトルは目を大きく見開き、掴み上げたエルクをそっと下ろした。


「ん? ちょっと待て。その女がヴァネッサだと?」


「えぇ。そうですよ?」


 全力ですっとぼけてしらを切るエルク。

 やたら胸のでかい美女で、本人より遥かにお淑やか。

 これなら誤魔化せるかもと、心臓がものすごい勢いで鼓動する彼の前で。


「これでは無駄足ではないか……。この似顔絵、そんなに似ていなかったか……」


 この似顔絵で、彼女を追ってきたのに。とうなだれて。

 自分で描いた絵に自信をなくすヘクトルは、少し落ち込んだ様子で目を閉じた。


「王子殿下、ヴァネッサなんて割とよくいる名前ではないですか」


「確かにそれもそうか……悪かったな」


 頑張って取り繕うエルクに、しゅんとしたまま謝罪するヘクトル。

 彼は小さくため息をつくと、手を差し出した。


「良ければ明日、村の案内を頼みたい。せっかく観光地に来たわけだから」


「光栄です、殿下。ただ、午前中は仕事なのですが……」


「構わんよ。無駄足ではあったが、良い海だ。たまには一つ絵に描きたくてな」


「でしたら、お迎えに上がります」


 エルクはその手を握り返し、深く頭を下げた。



――



「危なかったぁぁぁ~~~~……」


「超ファインプレーでしたわエルク! それにアウローラさんも!!」


 放心して、口から魂を吐き出す彼は椅子にへたり込み。

 ヴァネッサは心の底から喜んで、何度も彼の頭を撫でる。


「よく分かりませんが、エルクさん。夕食はまだでしょうか?」


「はい……今日は貴女の好きなものを作らせてもらいますよ……」


「ありがとうございます!」


 無邪気に尋ねるアウローラの求めに応え、彼はよたよたと台所へ向かった。

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