第4話 悪意
暖かい春も過ぎ、初夏の兆しを感じる頃合いとなった。邸の庭の葉の色も青さを増し、若々しい緑の匂いが邸を包んでいる。
長男のカイルの突然の帰国まで残り二週間を切ったからか、公爵が新たに手を結んだ事業主を邸に呼ぶ機会が増えたからか、邸内はいつもより忙しそうにしていた。
そんななか、私はというとエナン公爵夫人が主催する茶会に呼ばれていた。エナン公爵夫人は現皇后の実の妹であり、社交界においてかなり重要な人物である。しかし今回の茶会は彼女が主催とは言えど本人は参加せず、代わりに娘のエナン公爵令嬢が主催者の席についていた。
エナン公爵令嬢はのちに、すべての元凶であるアンドルの妻になる人間だ。アンドルに嫁ぐ前からローレンスに懸想していた彼女は私を恨んでいた。反逆罪を疑われて崖っぷちに立った夫、アンドルに首謀者として私の名前を出すようにと指示したのも彼女だった。表向きは妹のように可愛がってくれた彼女の見かけだけの優しさに騙されていた私に、そんなことを知る由はもちろんなかった。しかし、今の私は違う。未来に何が起こるのか全て知っている私にしかできないことだって、きっとあるはずだ。
茶会は問題もなく順調に進んでおり、令嬢たちの他愛もない会話がつらつらと続いていた。
「…最後に、とっておきのスイーツをご用意させていただきましたの」
公爵令嬢の一言に、今まで会話をしていた声が静まる。口端に笑みを浮かべる彼女に、嫌な予感がした。
すっと現れた給仕たちが桃色の小ぶりで可愛らしいスイーツを卓上に並べていく。
「とても品のある香りがしますわね」
「南部から採りたてをわざわざ運ばせましたのよ。さあ召し上がって」
愛らしい見た目のスイーツに和み、令嬢らがそれを口に運ぶなか、注意深く公爵令嬢の様子を窺う。
私が桃を食べることができない体質だと知っていてこのスイーツを出したのなら、明確な悪意のもとだろう。以前、別の場でたまたま桃を食べてしまった時に呼吸困難にまで陥ってしまった以上、軽率に口にすることはできない。けれど茶会の主催者が出した、しかもメインのスイーツに手をつけないのは非常識かつ失礼にあたることだ。同じ公爵家である以上、こちらが無礼を働けば家門の衝突も避けられない。
何より、ローレンスの婚約者である私のことはこの頃から恨んでいるだろうし、計算高いエナン公爵令嬢なら私を陥れるためならばなんでもしかねない。
「…あら、ティレット公爵令嬢にはお気に召さなかったでしょうか」
狙ったようなタイミングで、公爵令嬢はわざとらしく首を傾げた。その言葉に周囲の視線が集まってしまう。
明確な悪意だ。しかも、相手は冗談ではなく、本気で私のことを恨んでいる。
「まさか、頂かないわけではないですよね?」
近くにいた別の令嬢が追い打ちをかけるように言う。
「…いえ、頂きますわ」
体質のことを打ち明けるのは弱点を晒すことと同義で、貴族としてそう簡単にできることではない。他になす術が思い浮かばない以上、無駄な衝突を避けるためにも口にする他ないようだ。
「とても甘くて爽やかなお味ですね。この時期にぴったりですこと」
顔が自然と強張り、心臓が早く鼓動するのを感じる。口にするまでをしっかりと見届けた公爵令嬢は満面の笑みを浮かべた。
「ティレット公爵令嬢のお褒めに預かり光栄ですわ。どうぞ、ご遠慮なくお食べくださいな」
少量とはいえ、一口分の桃でも十分に症状が出てしまう。幸い、食べた直後に出るわけではないので、なんとか茶会がお開きになるまで耐えることができた。
慌てて馬車に乗り込むと、先ほどまで耐えていた分、しんどさが一気に押し寄せる。途切れそうな意識をなんとか保ちながら、邸に着くのをただひたすら待つことしかできない。もうほとんど意識が切れかけた頃、馬車は減速し、間も無くしてやっと停車した。
ひゅうひゅうと乾いた呼吸が喉を掠るばかりで、胸が苦しい。足元もおぼつかず、なんとか立ち上がると視界がぐらりと横転した。そして、馬車の外から差し出された手を借り、降りようとした瞬間。ついに意識が一瞬ぷつりと切れ、視界が暗転し、体が崩れ落ちる感覚がした。
このまま転倒すると目をぎゅっと瞑る。次に来たのは地面に叩きつけられる感覚、ではなく、誰かに強く手を引かれて体が支えられた感覚と、その誰かのぬくもりだった。
遠くで、メアリーが悲鳴をあげて、人を呼ぶ声がする。落ち着いて、と言いたいところであるが、あいにく声が出ない。それどころか、意識がますます朦朧としている。
はっきりしない視界に最後に映り込んだのは、必死な顔で自分に呼びかける誰か──ローレンスだった。
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