第3話 違和感
何度も父や兄、なにより彼を亡くすのは耐えがたい苦しみだった。
転生を繰り返すなかで、わざと彼に冷たく接したり、自死を試みたり、アンドルを殺そうともした。それでも何も変わらなかった。未来を変えようと足掻いても彼と私は結婚し、父は馬車の事故で死に、兄はアンドルに殺され、彼と私は死に別れる。
「…先ほどから顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」
ローレンスとこうして他愛もない会話をするのも幸せすぎるというのに。これ以上望んではいけないというのに。
「ヴィオラ?」
こうして目の前にいる彼を見ると、背後から、どってりとした黒い罪悪感の波に飲み込まれてしまいそうな気持ちがする。
「すいません、少しぼうっとしてしまいました。…ところで、結婚の件、ローレンスはどうお考えですか?」
ローレンスは結婚という言葉に少し動揺し、少し思案するそぶりを見せた。
「…もちろん前向きに考えていますが、まだ自信がありません」
言葉を慎重に選ぶように、ローレンスは視線を落としたまま、そう口にする。
「自信、ですか?」
「はい。ヴィオラのような素敵な女性に見合う夫になれるかどうか…」
不安そうな顔をするローレンスに、思わず笑みが溢れる。ああ、彼は前もこうして不安そうにしていた。
「そういうことなら、心配は無用です。…素晴らしい旦那様になりますから」
「そうでしょうか…。ならいいのですが」
彼は少し照れくさそうに視線を逸らした。
ローレンスはどこまでも優しかった。いつでもあたたかく包んでくれる、私にとって不可欠な存在だった。けれど、そんな彼を死に追いやったのは紛れもないこの自分だ。
「今日は楽しかったです。あの、ヴィオラさえ良ければ、来月の皇室主催の舞踏会に共に参加しませんか?」
彼の言葉に、もうそんな時期かと思う。
皇室主催の舞踏会は、私たちが初めて手を繋いだ日だった。結婚してから見れば大したこともないが、転生した身にしては大事な日だ。
「もちろんです。楽しみにしていますね」
そう答えると、ローレンスは嬉しそうな顔をした。
翌朝、侍女のメアリーが渡してくれた手紙は二通あり、ひとつはローレンスからのものだった。
「ヴィンセント公子はなんと?」
「…皇室主催の舞踏会に参加する際、青色で服装の色を揃えたいので、後日仕立て屋を公爵邸にお送り致します、と」
「最近恋人同士で服の色を合わせるのが流行っていますから、とても良いご提案ですね」
おかしい。今までの人生では青色ではなく、紫色だったのに。
「お嬢様?何かお気に召さないことでもおありですか?」
「…いや、そういうわけではないわ。もう一通をちょうだい」
記憶違い?否、そんなはずはない。何度も経験して焼きついた記憶に誤りがあるとは思えない。
どういうことかと考えている視界に、燕脂の封筒の端に書かれた送り主の名が入り、それを見るや否や顔色が変わった。今までこの時期に手紙など送ってこなかったはずの、隣国に留学中の兄、カイルからのものだったからだ。
慌てて字を目で追うと、内容も信じ難いものだった。
「…お兄様が、もうすぐ帰国なさるわ」
カイルの手紙は至って簡潔だ。無駄な挨拶や話は一切なく、要件のみが記されている。
もうすぐ帰国する?そんなはずはない。カイルはティレット公爵が倒れてはじめて帰国するはずだ。けれど、公爵が倒れるまで少なくともあと五年はある。
「こんなこと、今までなかったのに…」
ローレンスが指定した服装の色と、カイルの帰国の時期。二つの違和感の正体を、まだ掴めずにいた。
◆
それから数週間経って、ついに今日は舞踏会にローレンスと参加する日となった。
昨夜からメアリーが意気込んでおり、いつもより着飾ったヴィオラは鏡の中の自分を、他人を見るかのように見おろしていた。
鏡に映るのはまだ十六歳の自分。何も知らずに、ただただ婚約者という存在に浮かれ、純粋なままでいれた自分だ。
「お嬢様、ヴィンセント公子がいらっしゃいましたよ」
ヴィンセントは濃紺の礼服を身にまとい、少しそわそわしながら待っていた。その様子さえ愛おしく、何より滅多に見ない彼の礼服姿は眼福そのものである。
「とてもお綺麗です、ヴィオラ」
「ローレンスこそ」
手を差し出してくれたローレンスは耳が赤く、その大きな手はあたたかかった。
手を取ると自分の手はすっぽりと彼の手に包まれて、思わず懐かしさで目頭が熱くなる。ローレンスにエスコートされるのは久しぶりだからか、それとも単にローレンスが目の前にいるからか、心臓が速く鼓動し、身体中の熱が顔に集まるのを感じた。
会場は既に盛り上がっていて、豪華な宮殿の煌びやかな装飾は見る目を楽しませてくれる。
入場するや否や、会場中の視線は私たちに注がれた。婚約の話は知られてはいたが、実際こうして公の場に二人で姿を見せるのは初めてなので仕方がない。
「…最初にレディーと踊る名誉をくださいますか?」
ローレンスは慣れていない様子で、恥ずかしげに言った。可愛らしさに口元が緩むのを堪えて手を取ると、見計らったかのように演奏が始まる。
きちんとリードしてくれるローレンスは今日に備えていったいどのくらい練習していたのだろうか。踊りには全く縁がないと漏らしてくれたあの日を思い出して、たまらず愛おしさが溢れる。
一抹の不安は拭いきれないものの、楽しかった舞踏会は幸せな気持ちのままお開きとなった。
◆
それでも訪れた悪夢に苛まれ、起きると辺りは静まり返っている深夜だった。
夢の内容はもちろん彼と迎えた最後だった。
これまで何度も転生する中で思いつく限り色々なことを試しても結局結末は変わらなかった。
私にできる、ローレンスにできる最大限のこと。未来に起こることを知っているから、できる限り彼に降りかかる災難は回避させることはできるかもしれない。
そして、結末は変わらないとしても、自分はできる限り彼から離れるべきだ。
私がいては、彼は幸せにはなれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます