第2話 繰り返す転生と、変わらない結末

「ヴィー、私はあなたと出会えて幸せだった」

 そうぽつりとこぼす彼は、もう既に手遅れで虫の息だ。

「しっかりして、もう喋らないで」

 がたがたと震える手で彼の傷口を抑えるも、流れる血は止まらない。肩で不規則に息をする彼は、血の気のない手で私の手をやさしく退ける。彼は深い傷を負っていて言葉にできないほど痛いはずなのに、その表情はどこまでも穏やかだ。

「ヴィー、最後にひとつ、私の願いを聞いてほしい」

「お願いなんて何回でも聞くわ。だから、だから最後だなんて言わないで」

 泣きじゃくりながらそう言うと、彼はよろよろと体を起こして私の肩に頭を乗せてもたれかかる。

「…こうして、このままでいさせてくれ」

 長いまつ毛は伏せられ、寝ているかような穏やかな表情。

 そうして、静かな部屋で彼は息を引き取った。



「…公爵令嬢、どうされましたか?」

 目の前にいる彼は、どこにも傷がないどころか、まだ私と結婚すらしていない。

「すいません。どうぞ、私のことはヴィオラ、とお呼びください」

「分かりました、では私のこともローレンスと」

 今、ここで彼に別れを告げたら、悲しいあの未来を迎えずに済むだろうか。けれどそれはできない。何度試しても、私は彼と離れることはできなかった。どう足掻こうが、結局未来は変わらない。


 神のいたずらなのか、私は何度も転生し、彼と何度も出会い、そして彼を何度も失っている。どの人生でも自由に行動できるが、重要な事件は必ず起こってしまい、逃れることはできないのだ。


 そのあと他愛もない会話が続き、ローレンスは邸を後にした。

 親が決めた結婚とはいえ、私たちは互いを愛し合う仲睦まじい夫婦だった。出会った頃のローレンスはまだ距離があるが、何度も逢瀬を重ねるうちに親しくなり、結婚後は愛称で呼び合うほどにもなる。彼も私も、出会った日に互いに一目惚れだったから。


 それからも何度かローレンスが邸を訪れては庭園を散策したり、共に茶を飲んだりし、気付けば初対面か一月が経った。

「結婚について、お前はどう考えている?」

 父である公爵に呼ばれ、書斎に入って座るや否や父は言った。

「ヴィンセント公子とお前の関係は良好だと聞いた。先方からの申し出だが、もしお前が嫌なら先延ばしにもできる」

「まだ少し早いような気もしますが、特に不満はありません」

 父は厳格な人だが、いつも私の意思を尊重してくれる優しい人だ。


 結婚の話が出る時期も、父のセリフも今まで経験した人生と変わらない。このままいけば、そう遠くないうちにヴィンセント公爵が病に倒れ、結婚の話は一旦なくなるだろう。


 結局私たちが結婚するのは二年後だ。そして、その一年後にヴィンセント公爵が他界し、ローレンスが爵位を引き継ぐ。おだやかで幸せな結婚生活は、私たちが結婚して六年、つまり、あと八年後に唐突に終わりを告げる。

 ローレンスの死によって。



 きっかけはティレット公爵の死だった。

 私たちが結婚して三年経ったある日、父は領地へ向かう途中に馬車の事故で突然他界した。

 父を亡くした悲しみに暮れる間もなく、ティレット公爵家に現れたのは父の弟であるアンドルだった。

 アンドルは家が持つ莫大な財産と権力に目がくらみ、強引に次期公爵の座を奪った。隣国に留学中だった兄のカイルが一歩遅れて帰ってきた時には、アンドルは我が物顔で公爵家を牛耳っていた。


 それから時を置かずして、カイルも突然この世を去ってしまった。病死と世間には広まったものの、実際はアンドルが嫡男であるカイルを暗殺したのだ。そのとき、立て続けに父と兄を亡くした私を支えてくれたのは他の誰でもないローレンスだった。


 邪魔者を消したアンドルは、今度は二人の遺産を相続する権利を持つ私を恐喝し、権利ごと奪おうとした。それを知ったローレンスはアンドルの悪行を貴族裁判所に訴え、私が持つはずの相続権は無事に手元に戻った。しかし、今思えばそこでローレンスが介入したことが、将来に禍根を残してしまったのかもしれない。

 そのような一連の騒動から三年経ったころ、豪遊の限りを尽くしていたアンドルはついに金目的で他国に武器を流していたことが明るみになる。皇帝は怒り、アンドルは反逆罪の疑いで捕えられた。

 アンドルは裁判の途中で、私に唆されてやったと証言した。もちろん私は無関係だったが、貴族裁判所は私に出廷するようにと命じた。ローレンスはこのことに大変怒り、裁判所の不合理な命令を批判した。それによってローレンスまでもが反逆罪を疑われ、ついに有罪判決が下ってしまった。


 そして、ある春の日の夜、ヴィンセント公爵邸は突然多くの兵に囲まれた。

 おそらく皇帝にとって、財産と権力を持つティレット公爵家と、由緒正しい名家のヴィンセント公爵家の結びつきが私たちの婚姻によって強くなったことが脅威だったのであろう。この機に乗じて一掃してしまおうと思ったに違いない。

 そう全てを理解したのは、邸を囲む兵の紋章が、帝国軍のものであると気づいた時であった。


 帝国軍にとって、一公爵家の私兵をねじ伏せてしまうことなど容易かった。私兵や使用人たちの必死の抵抗も虚しく、ついに兵らが邸に突入した音がした時、私は寝室にいた。

 ヴィンセントは様子を見てくると剣を持って行ったきり戻ってこない。不安で胸が押しつぶされそうになりながら、ただひたすら神に邸宅のみんなの無事を祈ることしかできなかった。

 激しい音を立てて開いた扉を見やると、ヴィンセントが戻ってきたところだった。

 服は血まみれで、手にしている剣にも血がべったりとついている。なにより、腕から止めどなく溢れる血が、彼が怪我を負ったことを示していた。


 早く逃げなければ、そう彼が言い終わるか終わらないかの瞬間に、彼の背後に剣を振りかざす兵の姿が見えた。


 彼が死んだと知った皇帝は、ヴィンセント公爵邸から撤兵させた。そして私はそのまま邸に幽閉され、彼が死んだ翌朝にアンドルも処刑されたのを知った。

 ちょうど誕生日の二日前だった。

 彼が死んでから、世界が色を失ってしまったように見えた。

 だから、毎年必ず祝ってくれた誕生日も、もう彼がいなければ意味もないように思えた。

 そうして、二十四回目の誕生日の朝、彼が最期を迎えた寝室で、私は彼の後を追った。

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