第5話 布石

「ヴィー、二十歳の誕生日おめでとう」

 いつものように夕食を共にしようと食堂へ向かい、席につくと、彼は突然そう言った。

 十六歳の初めて対面した時から、彼が誕生日を祝ってくれなかった年はない。結婚してからは二人で過ごす時間が増えて、互いの誕生日はより特別な記念日となった。

 ローレンスは背後に周り、首にネックレスをつけてくれる。誕生日には、贈り物をしあうのが私たちの恒例行事だ。

「珍しい色だろう?落ち着きのある色は君にとても似合うから」

 透き通るような紫がかったグレーのダイヤモンドが首元でちらちらと輝きを放っている。

「あなたの瞳の色に似ているわ」

 本当に美しいダイヤモンドだ。思わずじっと見入ってしまうくらい。

「こんなに綺麗な色はしてないよ」

「いいえ、とても美しい色よ。宝石よりもずっと」

 その言葉に、ローレンスは気恥ずかしそうにする。言ったこちらもなんだか照れくさくなって、思わずダイヤのネックレスに視線を移した。

「…ありがとう。一生大事にする」

 次の年も、また次の年もこうしてささやかな幸せが続くと思っていた。


「ヴィー、あなたに出会えて幸せでした」

 だくだくと流れる血に、かすかな息づかい。彼の美しい瞳は光を失い、優しく抱きしめてくれるときのような温もりはもう全く感じられない。

 冷たくなった彼を抱いて、涙も声も枯れて、ぽっかりと心に穴が空いてしまったような心地がして───



 荒い息と大量の汗とともに目を覚ますと、見慣れた天井が。

「お目覚めですか、お嬢様!」

 メアリーは駆け寄ると、水差しを持ってきてくれる。

「ローレンスは、」

 掠れる声と、気力がなくぐったりとした身体。どうやら、自分は長い間寝込んでいたらしい。

「お嬢様はエナン侯爵夫人の茶会からご帰宅されて馬車から降りる時にお倒れになったんです。ちょうどヴィンセント公子がお訪ねになったところで、そのままお嬢様をお部屋までお運びくださった上につい先ほどまでずっとこちらにおられたんですが…」

 やはり、ローレンスはやさしい人だ。いっそのこと私のことなど恨んでくれたら良いのに。そうすれば、こんなに惹かれることも、彼が不幸せになることもないのに。

「お医者様によれば、やはり桃が原因だそうです」

 メアリーは険しい顔をした。彼女が忠誠心も正義感も強く、心優しい子だから、きっとエナン公爵令嬢に腹を立ててくれているのだろう。メアリーは最後まで私についてきてくれた。そのせいで彼女ももれなく災いの多い道を歩むことになった。

「メアリー、来週茶会を開くから、エナン公爵令嬢をご招待して」

 突然の話に、メアリーは少し驚いたようなそぶりを見せた。もちろん、和気藹々とした茶会を開くつもりはない。ローレンスにとっての禍根は早めに断っておかねばならない。この茶会も、そのための布石である。

「それと、便箋を持ってきてちょうだい。ローレンスにお礼の手紙を書くわ」

 ローレンスやメアリー、父や兄。私のために不幸になった、やさしい人たち。今度こそ、私が彼らを幸せにする番なのだ。



 ローレンスは焦りと怒りと不安で気が気ではなかったが、やむを得ず貴族会議に出席していた。次期当主として基盤を固める重要な機会ゆえ、簡単に逃すわけにはいかなかったのだ。


 建設的とは程遠い議論を流しながら、ローレンスはただただ婚約者について考えていた。

 ヴィオラは自分には勿体無いほど素晴らしい婚約者だ。こんなことを本人に言ってしまえば気持ち悪がられてしまうかもしれないが、どんな障壁でも彼女の目の前に立ち塞がろうものなら打ち破ってやりたいし、彼女が望むならなんでも叶えてやりたい。


 でも、ヴィオラは本当にこの婚約を望んでいるのだろうか?

 もし、ほかに想いを寄せる男がいたら?

 考えたくもないが、自分だけこの婚約に浮かれているだけかもしれない。むしろ、彼女が婚約相手として自分に満足しているとは考えづらい。

「若様、ティレット公爵令嬢がお目覚めになられたそうです」

 悶々とするローレンスに、従者のアンバーが耳打ちした。それを聞くや否や、ローレンスは立ち上がり、速やかにその場を去る。

「ティレット公爵邸へ急ぐぞ」

 早なる鼓動に、落ち着かない心。自分が思っている以上に、自分は彼女を好いているのかもしれない。

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