第4話 降臨

 なにが起きたと、目を向けると――


 先ほどまで、本能の赴くままに川を満喫していた陽キャたちが、何かから逃げるように次々とこちらに押し寄せてきた。一様に目を血走らせて、「助けてくれえ!」と右往左往。なにがなんだかわからず暫し呆然としていると、彼らを追い回す、その正体を見てしまった。


 それは、陽キャだった。


 焦点の合わない充血した瞳、だらしなく垂れた汚い舌、全身真っ赤に染まった異常な陽キャが、普通の陽キャを追い回している。


 どうせ、酒が弱いやつがレッドアイでも飲んで噴き出したんだろう……


 ――って、


 そんなわけあるかあぁ!


「お、おとうさん……あれって……」


 明らかに異常な陽キャは、狂ったように、誰彼かまわず襲いかかった。鋭く尖った犬歯を剥いて、逃げ遅れた男の首元にかみつく。


「痛え、痛え、痛えよお」


 そのまま首を噛み千切り、ぶしゅううと鮮血が噴き出す。その勢いのまま、異常な陽キャは陸上選手顔負けの大ジャンプをみせた。10メートルほどの高さから、川に逃げ込んだ男の背に飛び乗ると、大きな雄叫びをあげた。きらきらと照り付ける真夏の太陽が、川辺に飛び散る赤を際立させる。


「してええぇ!!」


 間違いない、こいつらは――ぞんびだ。しかも、ハードな。

 だが、なぜ、こんなやつらが。


「あ」


 ここで、ひとつの嫌な可能性が頭をよぎった。


――静かな川が荒らされ、毒をまかれて、みな瘴気にやられてしまったのう


 ま、まさか……ここが製薬会社の保養所っていうのは建前で……。

 秘密の実験を行っていたため、観光地化させないように、わざと穴場にしていたのでは……。


「お、おとうさん……ど、どど、どうしよう……」

 すももはがちがちと歯を震わせている。

「逃げるぞ!」


 すももの手をぐぐっと引くが、びくりとも動かない。焦るわたしたちを尻目に、常人離れした能力をもつぞんびたちが、次々と陽キャ軍団を襲っていく。絶叫につぐ絶叫。焦げたとうもろこしや牛肉に交じって、ちぎれた人の腕や足が宙を舞う。まさに真夏に描く阿鼻叫喚の地獄絵図。どうやら、娘はあまりの凄惨な光景に、その場から動くことができないようだ。

 逃げまどう陽キャたち。こっちもぐずぐずしてられない。


「おとうさんに任せろ!」

 中腰になって娘を抱きしめる。そのまま腰に力を入れて、立ち上がろうとしたそのとき――


「あ」


 こんな間抜けな声がこぼれた。


 すとん。音にしたら、こんな感じだろうか。なんと、こんなときに腰が抜けてしまった。


 すもも……。

 お父さんが知らない間に、ずいぶんと重くなったんだな。

 お父さんは嬉しいよ。


 ………………。


 …………。


 ……って。


 こんな、馬鹿な感傷に浸ってる場合じゃない!

 ばたんと倒れ込み、顔面蒼白のすももを見上げた。


「逃げろ……」

「お、おとうさんもいっしょに……」

「お父さんは、ぎっくり腰になってしまった……」

「ぎっくり……?」

「説明する時間はないが、動けないんだ」

「そ、そんな……」

「生きろ……」

「お……おとうさ―――ん!!」


 逃げまどう陽キャたちと、迫りくるぞんびたち。


 絶体絶命の危機。


 だが、ここにきて不可思議な現象がわたしをおそった。


 目に見えるもの全てがゆっくりと動くのだ。


 人間、生死にかかわる危機がおとずれると、全てがスローモーションに見えるとは本当のことのようだ。全ての五感が、思考の一点に集中する。どうしたら、この危機から脱出できるのか。己の能力が、考えることだけに特化される。色もつかず、匂いもせず、動きも、声も、何もかもがゆっくりと動く、時空を超えた現象。

 そして――その不可思議な現象が成せるのか、こんな声が耳元で聞こえた。


――あなたも生きて。


 その声は、どこか懐かしく、それでいて温かく。


――ヘイトを溜めた、すももとあなたになら出来るはずよ。


 言葉に出ずとも、自然と口が開いていた。

 アユ……だよな。


――さあ、腰は動かなくても手は動かせるでしょ?


 その声に導かれるままに、すももの手を握る。ちくちくしたのは、すももが握りつぶした皮付きさきイカのせいだ。


――私も二人の手を握るわ。


 目には見えなくても、アユの手が添えられた温もりが伝わってきた。


――すももには大いなる力があるのよ。


 ちから……?


――ええ。この世界を導く、大いなる水の力が。


 なに……それ……?


――あなたは知らないかもしれないけど、私には水の神の血が流れていたの。


 ……は? 


――すももにも、この血は受け継がれているわ。


 いや……すももは、大の水嫌いだぞ。


――それは、イヤイヤ期みたいなものよ。さきイカや、お魚だって好きだし。


 そ、そうなのか……? 


――ええ。力は継承されたの。でも、すももは力はあるけど、まだ言霊を吐けない。漢字だって習ってないし。だから、あなたが天に念じるのよ。


 ……な、なにを?




――この地に眠る水の神よ、その大いなる御力によって、この地にはびこる陽キャどもを殲滅せん、って。




 わたしが、その言葉を発したか定かではないが、次の瞬間、世界は色と時間を取り戻した。いや、戻ったのではなく、その姿を変えた。


 ドドドドドド――という大地の咆哮とともに、上流から大量の濁流が押し寄せた。


 火花のような水飛沫をあげた、壁とも見まがうような水量が木々を押し倒しながら迫ってくる。


「なななな、なんじゃこりゃああ!」


 荒れ狂う水壁は、無作為に全てを押し流すのではなく、練り飴のように細く長く、大蛇のような生き物へ姿を変えた。まるで、この地に太古より潜む龍神のごとく。龍神は天高く舞い上がり、巨大なとぐろを巻くと、ぞんび目掛けて、一気に急降下。あっという間に、ぞんびと化した陽キャに巻き付き窒息させると、その勢いのままに下流へと引きずり込んでいく。


「うぎゃああ! せ……す……したかったよおぉぉ」


 ぞんびは成すすべなく龍神の餌食となった。一人残らず流されていき、断末魔が山々に反響する。


 すももは、今起きたことが到底理解できず、目をぱちくりさせている。


「や、やったぞ!」


 どこからともなく、湧き上がる歓声。


 助かったと歓喜の声をあげた陽キャたち。再び、「乾杯しようぜ!」とコールが巻き起こる。だが、荒ぶる龍神は、正常な陽キャ軍団にも容赦はしなかった。BBQ、ヒップホップ、タトゥー、ナンパ――全ての男たちはそのまま水の渦に呑まれて、すっ裸になりながらプロペラのように遥か彼方まで吹き飛ばされた。一方、女の子たちは、その圧倒的な水の力によって水着や衣服をはぎ取られていく。


 ぷるるんと揺れるたわわな果実。


 あっちにも、こっちにも、その実りは大きく、


「き、きゃああああああ――!!」




 現世に降臨した龍神を祝う供物のごとし。




 巨大な龍神は、女の子からはぎ取った水着を絡ませながら、ふたたび天高く舞い上がり、そして、頭上で一気に弾け飛ぶ。


 放射線状に大粒の水が四散すると、ざばああと大地に恵の雨を降らせた。


 全てが終わり、空を見上げると――神々しい大きな虹が現れた。


 まさに、生と死と性の宴。


 教育上よろしくないと思い、様々な陽キャどもから逃げまどっていたのに、最後の最後で、娘に「教育上よろしくないもの全て」を見せてしまった。


「おとうさん、なにこれ――!!」キャッキャとはしゃぐすもも。


 まあ、不可抗力……ではあるが。


 ともあれ、わたしと娘にとっては忘れられない一日となった。


 とりあえず、色んなことを整理することから始めようかな。


 えっと……


 すももって水の神さま……なの?



 了



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ふたりのサマーバケーション【全4話】 小林勤務 @kobayashikinmu

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