第51話

 会食会が無事に終了したその足で、リチラトゥーラは星零を連れて国王のいる彼の部屋を訪れた。コンコンと二回ノックをすると「どうぞ」と優しい声色がリチラトゥーラに届く。ゆっくりとその扉を開くと、目の前に現れた玉座に座るのはスニェークノーチ国国王、そのひとである。国王は二人の姿を認めると、にこりと微笑んで来客用の椅子に座ることを進めた。


「やあ二人ともよく来たね。仲良くなれたようで何よりだ。そこに座りなさい、今お茶でも用意しよう」


 そう言うと国王は自ら腰を上げてお茶を用意しに席を立った。そんなもの側近あたりにでもやらせればいいものをと思うが、側近に告げるよりも先に体が動いてしまうのだろう。この父ありにしてこの娘ありか、と捉えどころのない雲のようなおひとだと星零は改めて国王に感じたのだった。


「いいえお父さま。お茶は……要りませんわ。少し、お願いがあって来ただけなの」

「お願いかい?」


 国王と、特に何も聞かされずに彼女についてきた星零の言葉が重なる。困惑の表情をした国王にリチラトゥーラはゆっくりとその美しい桃色の髪を流し頭を下げた。


「『祈りの廟』に、彼が入る許可を」

「——!」


 聞き慣れない単語に星零は小首を傾げた。対する父娘は真剣な眼差しを互いに向け続けていた。

 静かに繰り広げられる視線の会話。

 その内容はきっと星零には理解ができないことなのだろう。少しして国王が折れたのか静かに目を伏せた。


「……いいんだね、リチ」

「……はい」


 彼女を想う国王の声は切なげに揺れ、リチラトゥーラの答えにも切なさが香った。彼女が揺るぎない意志の許、この部屋に訪れたことを痛感したのだろう。国王は「待っていなさい」と短く告げて奥の部屋へと消えていった。

 数分ほどして国王が戻ると、彼の手の中に何やらきらりと光る銀色の鍵があった。おそらくそれが『祈りの廟』に繋がる鍵だ。


「ありがとうございます、お父さま」

「……ああ。くれぐれも、無理はしないように」

「はい」


 無理? それはどういう意味なのか。リチラトゥーラは鍵を受け取ると、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 星零も彼女を追いかけようと部屋の扉に手を掛けた時、ふと先ほどの会話のことを思い出した。招かれざる客である星零を心配する言葉でないことは確かだったが、この父娘にどこまで踏み込んでいいのか分からず、自分の立ち位置の現在について考えていると、国王が「星零殿」と彼の名を呼んだ。


「あ、はい!」

「娘がすまないね。きっと何も知らされずにここに来たんだろう? あれは昔から、思い至ればすぐに考え無しに行動するような子だから……」

「い、いえ! それは、全然……。むしろ嬉しいです。それって、俺に気を遣わなかったという証拠でもありますから」

「……! なるほど。君の言うことも一理ある。……ならば星零殿。リチラトゥーラのことをよろしく頼む」


 星零は国王の言葉に「どうして」とは訊かなかった。それはすべて先ほどこの部屋を去って行ってしまった彼女の瞳が教えてくれていたから。


「……はい、陛下。ありがとうございます。行って参ります」


 一年中が寒く、凍てついた国であるとされるスニェークノーチ国。彼らの国民性が国に劣ることのない温かさを誇るのはきっと、この国の王がもたらす人情にあるのだと、星零は感じたのだった。


 ❅ ❅ ❅


 部屋を出てすぐの回廊で外を静かに眺めているリチラトゥーラを見つけてほっとする。星零は『祈りの廟』について何も知り得ない。彼女をこの広い城内で探すことは骨の折れる作業だったので、早めに見つけることができて良かったと星零は安堵した。もしも自らが探すことになったら、最悪星藍を頼らなければならないところであった。


(俺は特に気にしてないけど、星藍ねえさん、俺のこと嫌いだしなあ……)


 ——『お前には斎知國王子としての自覚が足りない! 恥を知れ!』と、元服をしたその日に星藍に叫ばれたことを星零は思い出した。

 あの時の彼女の顔は、数年経った今でも忘れられない。もしも星藍が男児であったなら、威厳の無い自分とは違い斎知國の王として立派な人物となっていたことだろう。誰よりも国を愛しているひとだから。星零を王の座から失脚させたいのなら、そうすればいい。もっとも彼女にそのような野望があるとは思えないが。


 意識をリチラトゥーラへと戻す。その間、三秒にも満たなかったが一瞬たりとも彼女は外の庭園に降る雪から視線を外さなかった。呼吸をするたび、白い吐息が空に溶けていく。世界はもうすぐ日が眠る頃。夕暮れが彼女を包み込んでいく。ほう、と吐いたリチラトゥーラの憂い顔が美しくて、星零は思わず息を飲んだ。


 以前星零は星藍に、リチラトゥーラという姫はどのような人物であるかを訊いたことがあった。星藍はその時、彼女を『冬に愛された少女』だと語った。その答えを聞いた時は意味が分からなかった星零だったが、今なら分かる。

 リチラトゥーラは、冬そのものなのだ。

 今にも世界と同化してしまいそうな彼女の儚さに焦り、星零は思わずリチラトゥーラの名を呼んだ。彼の呼び声に気づいたリチラトゥーラが振り返る。その時に彼女の瞳が潤んで見えたのは、夕日が映り込んだ所為だけなのだろうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る