第50話

 世界の南に位置する斎知國の民が持つという黒髪の色素は日が当たると少しだけ透けるのが特徴だ。さらりと流れた彼の黒髪が、室内の明かりに透けている。見たことのない不思議な色に、思わず美しいと声を零した。

「リチラトゥーラさま?」と、突然星零に声を掛けられ彼女はハッと顔を上げた。そこにあったのは、星藍と同じ、紫灰の瞳……。迂闊にも彼女はこれを欲してしまいそうになった。しかし今取り組んでいる研究の妨げになるのを恐れているからこそ、彼女は縁談に顔を渋らせるのだ。

 少し考えてからリチラトゥーラは「なんでもありませんわ」と笑った。星零はホッとした様子で胸を撫で下ろしていた。何故、安堵を? という顔をしていると、星零は困り顔でリチラトゥーラを見た。


「……?」

「あっ、いや……。あなたが黙してしまったのは俺が前のめりに義姉のことを聞いたからかなと思って……」


 彼はほんのりと頬を赤らめ恥じらうように言葉を紡ぐ。


「いいえ。そんなことありませんわ。これは……そうですね。星藍のことを思い出していて……」

「星藍ねえさんのことを?」


 二人の会話に温かい花が咲き始める。


「ええ。出会った頃、星藍は自分のことを『本の虫』と言ったの。あまり気にしてこなかったけれど、彼女の知識欲に関連するのでしょうか?」

「そうですね! 俺たちの国は『知識の国』とも言われています。ねえさんは貴国に身を置くその日まで、自国の書をすべて読み漁ったらしく……。『本の虫』というのも、そこから付いた渾名だったかと」

「まあ、すべて? それはすごいわね」

「自分もその話を聞いた時驚きました。嘘なのではないかと。一度試しに義姉にどの本がどこにあるのか、そのあらすじはどうかという本の探し当てゲームを挑んだことがあるんです。最初は俺たちが幼い頃から読んでいた絵本や物語など簡単な問題を出していたのですが、それでは優し過ぎると思ったのでしょう。父が突然、大人が読むような蔵書の名前を挙げたのです。さすがに厳しいのではないかと思いました。星藍は俺より三つ年が上ですが、当時はまだ十四歳です。けれど、彼女は父の示した本がどういった書物であるかを説明した上、その本のあらすじを一言一句間違えずに言い放ち、終いにはその本のある場所が父の書斎であることまで見事に当ててみせたのです!」


 星零は興奮に身を任せてその場に勢いよく立ち上がった。突然のことにリチラトゥーラは驚いて目を丸くしたが、それはほんの一瞬のこと。星藍を想い目を輝かせている彼が眩しく思えて少しだけ彼女は目を伏せた。義姉を語る星零の様子は、好きなものを語る時の星藍に驚くほど似ていた。


(初めは、似ていないと思っていたけれど……)


 ハッとして我に返り、立ち上がったことを恥ずかしがっている星零を見つめる。このひとは、大丈夫なひとなのだとリチラトゥーラは今確信した。


「あなたたちはとても似ているのね」


 このひとになら、きっと話しても大丈夫。

 リチラトゥーラは一回深呼吸をして、星零を見つめ直して、口を開いた。


「……洲星零さま。もう少しだけ、わたくしに時間をくださいませんか?」


 カラリとグラスの中に残った氷が踊る。会食会も終わりの食事が運び込まれ済んでおり、話すならここしかないとリチラトゥーラは決めていた。

 この食事が終わった後のことは、国王からは特には何も言われていなかった。そこにはきっと、その後に星零と過ごしたい時間ができるだろうという不器用な父親の優しさが含まれているのだろう。

 だからリチラトゥーラは父の厚意に甘え、賭けに出た。

 彼女は、彼女の想いと覚悟について語ることを決めたのだ。真っ直ぐな視線は揺らがず、ただ一線に星零を射抜く。そこに強い意志が宿っていることを感じ取った星零は一言、「喜んで」と笑ったのだった。

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