第49話

「——初めまして。本日は相見が叶い心から嬉しく思います、リチラトゥーラさま。俺は洲星零と申します」


 その伸ばされた手を取るか、リチラトゥーラは一瞬だけ躊躇った。


「……こちらこそ、遠路はるばるようこそ我が国へお越しくださいました」


 ただ彼の手を「取らない」という選択肢は彼女の中には無い。

 今日は同盟国でもある斎知國の王子との会食日だ。自分はここに、スニェークノーチ国王女として存在している。平和に今日という時間を双方過ごすことができればいいのだ。動揺した心など見せることは許されない。


 ❅ ❅ ❅


「……それにしてもこの国は本当に雪国なのですね。年中この白銀世界なのですか?」


 俺の国とは大違いだ、と、食前酒が運ばれてきた頃、星零がリチラトゥーラに訊いた。

 あまりにも自然に話を振られたので、気が散漫していたリチラトゥーラは目を瞬いた。彼は窓の外を憂うようにして眺めていた彼女があまりにも儚く、今にも消えてしまいそうだったため声を掛けただけだったのだが……。彼女にはどうやらそれが無礼に映ったのではないかと思ったらしく、申し訳ありません、と小さく星零に謝った。


「どうして謝るのですか?」

「……あなたはこのスニェークノーチ国のお客さまです。お客さまを前にわたくしは気を抜いてしまいましたから、これは無礼以外の何物でもありません」

「俺、そういうの全然気にしませんよ? それに、俺すぐに目に入ったものとか気になったこととか口にしちゃうから、こっちの方が不快に思われてしまうかも……」

「そんなことありませんわ。どちらかといえばわたくしもそういう人間ですもの。とても共感ができます」


 ふふふ、と微笑むリチラトゥーラに星零の胸が鳴る。


 おしとやかな女性というのが、星零が初めて彼女を見た時の印象だった。その時はただ横目に見かけただけだったためにそのような軽い印象しか持つことがなかったが、凛とした彼女から時折垣間見える危うさのようなものに、いつの間にか星零はリチラトゥーラから目が離せなくなっていた。


 今こうして実際に対話して思う。彼女は背負っているものは大きすぎると。同時に彼はこうも思う。彼女をどんな形でもいいから支えたいと。その一歩目が、この会食会だった。


「……この国の象徴ともいえる雪は、星零さまの仰る通り年中降り続けていますよ。ずっとこの国は白い姿から見た目を変えません」


 でもどうしてそんなことを聞くのですか? とリチラトゥーラが小首を傾げると、星零は恥ずかしそうに答えた。


「あ、いや。以前より気になっていたのです。……それから、星藍ねえさんから聞いていた通りだった。この国は、幻想的で美しい」

……。そういえば星零さまのごきょうだいは、わたくしの侍女の星藍でしたわね」

「はい。といっても義姉あねは、俺の父の兄の子で、実際にはいとこにあたりますが」

「いとこ……」


 はい、あまり似ていないでしょう? と笑った顔が、星藍に似ていると思った。でも思っただけだ。似ているようで、似ていない。それは単純に星零と星藍が異性同士のきょうだいだからだろうか。きょうだいのいないリチラトゥーラには分かりかねた。


「ねえさんは昔からこの国のことが好きでした。なんでも昔、我が一族『洲家』の者がその時代の女帝に仕えていたらしく、その頃の国史に影響を受けて、いつか自分もこの国に勤めたいと強く願っていたそうです」

「彼女は夢を叶えたのね」


 話を聞いて思い浮かべるのは、彼女が星藍に初めて会った日のことだった。

 国の大書斎室に盗み入ってまで、星藍はこの国のことを知り得ようとしていた。少なくとも周囲の大人たちからしてみれば彼女の行動は国の機密に触れると、悪いように映ったかもしれない。けれど当時のリチラトゥーラはそうは思わなかった。


「……『本の虫』……」

「え?」


 そう。自らの夢が詰まったこの雪夜国に、渡航が叶った日。星藍はそれはそれは喜んだという。

 スニェークノーチ国は斎知國に比べて歴史の深い大国だ。世界でも有数の力を持ち、リチラトゥーラはその国の王女として生きることが生まれた時から決まっていた。彼女に近づく者はみな、彼女ではなく彼女の『権力』に目が眩みその理由から接触されることも少なくなかった。自分ではなく利用価値のある娘だとしか見られてこなかった所為か、リチラトゥーラは幼いながらにそれを悟り、星藍と出会うまで本当に外界の人間を少しも信じようとはしてこなかった。けれど——。


「リチラトゥーラさまはねえさんの渾名あだなをご存知なのですね!」


 目の前できらりと瞳を輝かせているこの青年はただ純粋なまでにリチラトゥーラのことを

 同盟国同士の婚姻は互いの国を豊かにするという利益を持つ。己の私利私欲の為に同盟の契りを結ぶ国もある。

 しかし実際に彼に会ってみてリチラトゥーラは思う。このひとは違うのだと。今まで会ってきた男たちとはどこか、思考が違うのだと。リチラトゥーラは前のめりになった星零をこの時初めてしっかりと認識した。

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