第48話

「……本当に、よろしかったのですか……?」

「何がかしら?」

愚義弟おとうとと……。いえ、洲星零さまと会食の約束を取り付けて」

「……分からないわ。でもそうね……。ただわたくしは、知りたいのかもしれないわ」

「知りたい……?」

「ええ。大切なあなたの、家族のことを」


 リチラトゥーラが星藍に微笑む。星藍は虚を突かれたような顔をして彼女を見返す。彼女はいつだって、自分の大切なひとのことを考えている。それがリチラトゥーラにとってのちに嫌な思いをすることになっても、大切なひとを守れるのなら行動を起こしてよかったと笑うひとなのだ。不意に過去の彼女の行動を思い出した星藍は表情をふっと緩め、リチラトゥーラの微笑みに答えた。


「……ふふ、完敗です。参りましたよリチ姫さま」


 これでは、私は何も言えない。

 星藍の前に立つ、雪のように清く美しき冬の姫は、真っ直ぐ前を向き未来を見つめていた。


 ❅ ❅ ❅


 リチラトゥーラが斎知國の王子との相見を決めた日から数日が経ったある日のこと。会食の誘いを綴った手紙の返答がスニェークノーチ城に届いた。先方からの答えはもちろん「イエス」だった。

 スニェークノーチ側から返事を送ったのが遅かったのではないかと内心ひやひやしていたが、それはどうやら杞憂に終わったらしい。手紙の内容も温厚な心がそのまま表れており、国王もリチラトゥーラも胸を撫で下ろした。


 先方から指定された会食の日時は、明後日の正午。場所はスニェークノーチ城でとのことだった。こちら側に不手際があったというのになんて優しい御仁なのだと、リチラトゥーラの中で星零に対する信頼心が生まれた。同時に、もしも縁談の話がまとまったなら、星零がこのスニェークノーチ国に婿養子に入る予定なのだから、今からこの国の環境に慣れておこうという算段も兼ねているのかもしれないとも考えたのだった。


 ふと窓の外を眺めれば、白銀の砂糖がちらちらと日の光を浴びながら一粒一粒煌めいていた。明後日のことで頭がいっぱいになり仕事に手がつかなかったリチラトゥーラは無意識の内に窓の鍵を開けて外の世界へと飛び出していた。



 ——あんた、仮にも一国のお姫さまだろ⁉ 今からそんなお転婆じゃあ、将来、嫁にもらってくれる良人なんて滅多に現れないぞ?



 記憶の中に生きる『亡霊かれ』が笑っている。思い出そうとする度に息が詰まりそうになって呼吸をすれば、凍てついた酸素がまだ外に慣れない肺に刺さっていくのを感じた。



 ——そんなに息が辛いなら急に突っ走る癖を直せ。ほら、鼻の頭が馴鹿トナカイみたいに赤くなってる。



 ぶっきらぼうな声も、優しい手のひらも、リチラトゥーラは何ひとつのことで忘れたことはなかった。

 それは一重に、自覚なく幼き頃の彼女が彼にという証明。


(……ああ最低。嫌な女ね、わたくし)


 荒む彼女の心を染めゆく黒色など知らないスニェークノーチ国に降る純真無垢をまとった雪は、彼女の罪の意識さえも清く染めていくのだろうか。


(焦がれてはならない)


 だって彼はそれを望まないから。


(求めてはいけない)


 秘めていた想いが、今になってどろどろと溶け出してくる。


(けれど、今は……。せめて今だけは……)


 異国の殿方を思う度、あなたの温もりが酷く恋しいの。



 ——どうしたリチ? ほら、おいで。



 とさり、とリチラトゥーラは白雪の絨毯に座り込む。じんじんとした冷たさは徐々に失せていき、彼女の体温を静かに奪い始める。しかしリチラトゥーラは冷静さを欠いた今の自分には似合いの在り方であると笑う。上を見上げて息を吐く。白い吐息はすぐに消えていった。その儚さに彼女の心は奪われる。そうして彼女は祈るように手を胸の前で強く結んだ。


(お願いよ。どうか今は……今だけは……を想うことを許して)


 そうしたら、諦めるから。


 生まれ持った地位を疎ましく思うこともあった。けれど、その事実を受け入れるための心はとっくにできていた。



 少女は、大人になろうとしていた。

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