第47話

「どうして貴方さまがここに……国王陛下……!」

「久しいな星藍。……少し、席を外してもらえるかな。リチラトゥーラと話がしたいんだ」

「…………お父さま…………」


 まさか娘の部屋を訪れるとは思わなかった。先ほど気まずい別れをしたためか、リチラトゥーラは国王の姿に後退あとずさった。彼女はぐっと胸元に手を持ってきてそれを強く握った。視線が彼女を捉えた時、どきりと心臓が鳴った、気がした。


「リチ。やはりちゃんと話をしないか」

「…………でも」

「いいじゃないですか。話し合うことは大切ですよ、リチ姫さま」


 縁談について何も知らない星藍だったが、彼女は優しくリチラトゥーラに微笑んだ。リチラトゥーラは「……分かりました、少しだけなら」と渋りながらも父の話を受け入れることを決めたのだった。

 国王はリチラトゥーラの部屋で話をする気でいるらしく、扉を支えている星藍の隣を静かに素通りした。自由なおひとだなと、自分の父親ながら思う。星藍も彼がこの部屋を使うことを悟ったのか「お茶の用意をいたしますね」と彼女の部屋の奥にある給仕室へと消えていった。


(……ああどうしよう。気まずいわ)


 自室に父親と二人きりというこの状況は少々気まずいところがあった。リチラトゥーラにはいわゆる反抗期というものが今まで訪れたことがなかった。幼い頃は感じてこなかった、父親の意見に対して反抗したいという気持ちが今彼女の心の中で育っているのを感じており、彼女は国王に対して素直になれなくなっていた。


「……あの、お父さま」


 沈黙に耐えかねたリチラトゥーラは国王に訊く。国王は「なんだい」と微笑んだ。


「えっと……。……お仕事の方は、よろしかったのですか?」

「ああ、問題は無いよ。今日の午前の分はすべて終えてきたからね」

「そう、ですか」


 その言葉に嘘はないのだろう。けれどリチラトゥーラとしては仕事よりも娘を優先しているような気がして、父の答えに少しだけ嬉しく思った。


 星藍がお茶を持って部屋に戻ってきた。鼻腔をくすぐるのは、アメリという花茶の香りだ。心を落ち着かせる効能があると云われるアメリ茶を、星藍が丁寧に二つのカップに注いていく。テーブルに用意した後、星藍はそのまま奥へと再び引き下がって行った。

 ほんわりと立つ湯気に癒されながら、火傷に注意してひと口飲む。ふわりと温かい花の香りが広がり、リチラトゥーラはやっと柔らかい笑みを零した。


「……それで、話というのは縁談についてなんだが……。相手についてさっきは言いそびれてしまったと思ってね」

「お父さま、わたくしまだ縁談については考えていないとお伝えしたはずよ?」

「ああ分かっているよ。でも困ったことにね、相手先がお前に一度でもいいから会ってみたいと、手紙が送られてきてね」

「え?」


 国王は懐から一通の封筒を取り出してリチラトゥーラに渡した。送り主は『しゅう星零せいれい』——知識の国と謳われる『斎知國さいちこく』の王子だという。


「斎知って……。星藍の故郷の?」

「一度、会ってみないか?」

「…………でもわたくし、やっぱり……」

「気に入らなければ、それはそれで仕方がないよ。出逢いに縁は付き物だから、そこに縁を感じなければ無理に続ける必要はない。……だが会わずして先方を否定するのも、失礼だとは思わないか?」


 父の言葉にリチラトゥーラはハッとさせられた。確かに会いもしないで名前も知らないひとを否定するのは、スニェークノーチの人間としての恥だ。いくら面会を拒絶したくとも、リチラトゥーラのプライドはそれを許さないだろう。



(相変わらず、乗せるのが巧いこと)


 給仕室で彼らの話を聞いていた星藍は無意識の内に口角を上げていた。かたくななお姫さまは誰よりも規律を重んじる。その性格を逆手に取って、縁談相手に会うことを彼女に自ら約束させたのだ。

 しかし気になることが星藍の中で小さく燻ぶっていた。

 国王がリチラトゥーラに渡した手紙の送り主。リチラトゥーラがか細く呟いていた、洲星零という名前——。


(ん……? ……? ——まさか!)


 その時、星藍の中でが繋がった。嫌な予感が彼女の背筋を勢いよく走り、国王には席を外してほしいと命じられていたが、星藍は構うものかと彼らのいる部屋に突入した。


「ちょっと待ってください陛下ー!」


 え、とリチラトゥーラが発するのが先か、テーブルに置かれていたカップが音を立てて揺れたのが先だったかは分からないが、風を切るようにして飛び出してきた星藍の姿に父娘おやこは目を見開き驚いた。


「星藍あなた……どこから」


 出てきたの、とリチラトゥーラは続けた。その声音は動揺の色に染まっている。星藍と出会ってから四年という歳月を共に過ごしてきたリチラトゥーラだったが、ここまで取り乱した星藍のことをリチラトゥーラは見たことがなかった。どうやらそれは国王も同じだったらしく、目を見開いたままお茶の入ったカップとソーサーを手に固まっていた。


「へ、陛下! お待ちください!」

「……珍しく、慌ただしいね、星藍」

「ぶ、無礼を承知で申し上げますっ。リチラトゥーラさまには、たぶん、きっと、いえ! 絶対に相応しくありません‼ 今すぐに相見の約束をお断りください!」

「お、落ち着いて星藍。まだわたくし、その殿方のことをひとつも知らないし、なにもそこまで拒まなくても……。……」


 星藍が何故か暴走し始めたのでリチラトゥーラは彼女を落ち着かせようと口を開いたが、その時ふと星藍の言葉に違和感を覚えて声を止めた。


「……ねえ星藍。あなた、今その殿方のことをなんと呼びました?」

「え。ですから、リチ姫さまにあの愚義弟は——」

「愚義弟」

「ええ、愚義弟です。斎知國現国王が嫡子、洲星零……彼は私の義弟おとうとにあたる、斎知國の王子です」


 リチラトゥーラは思わず「えっ⁉」と声を上げ、驚きのあまりその場に立ち上がった。まさか本当に星藍の親族(それも弟ときた)だとは思ってもみず、彼女は口元に指を添える。これはリチラトゥーラが困惑している時の癖だった。そっと、リチラトゥーラが国王を見遣れば、国王は優しく彼女に微笑んでいた。彼はきっと全てを知った上でリチラトゥーラに星零を紹介したのだと悟る。

 ああすべてあなたの思惑の内だったのですね、と不思議と怒りも感じず凪いだ、心で国王との会話を飲み込んでいく。少しの時間、目を瞑り、考える。


(早くに答えは出せなくても、会うだけなら)


 つまり答えはすでに出ていたのだ。そのことに気がつくと、ストンと今までのことが腑に落ちた。ぐるぐると悩んでいたものが手のひらから零れ落ち心が軽くなっていくのを感じて、リチラトゥーラは自分が悩んでいたことが馬鹿らしく思えたのだった。


「……そうね。考えてみれば、簡単な話だったのね」


 小さく呟くようにして彼女から発せられた言の葉は部屋の空気に交じりゆく。

「リチ姫さま?」と星藍が申し訳なさそうにしながらリチラトゥーラを見つめていた。リチラトゥーラは星藍を安心させるような表情をして微笑んだ。


「大丈夫よ星藍。ただお会いするだけよ」

「で、ですが……」

「お父さま」


 リチラトゥーラの心は決まっている。リチラトゥーラは国王に振り返る。国王も彼女が今思っていることを理解しているから、敢えて何も言わず彼女の言葉を待っていた。


「わたくし、星零さまにお会いしますわ。わたくしはスニェークノーチ国の次代を担う王女。相手方のひととなりも知ることなくお断りするのは恥と心得ます」

「……そうか。では、まずは会食の席でもどうかと、お前の返事を送ろうか」


 国王はリチラトゥーラの答えに満足したようで、彼女の答えを聞くとゆっくりと席を立ち娘の部屋を去って行った。彼の姿が消えたことで少しだけ無意識に張っていた緊張の糸がゆっくりと重力に従い緩んでいく。深く吐いた息音が、リチラトゥーラの心情を物語っていた。

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