第46話

 そんな回想を思い出し、もう一度リチラトゥーラは深く溜め息を吐く。感情的になってしまったのは自分だ。父の言葉に振り回されてしまった自分の不甲斐なさに、なんて情けないのかしらと彼女は苦笑する。


(……ああダメね。どうしてもまだ、どこか子供のような感覚があるみたい)


 大人になれば感情的になることも少なくなると想像していた未来は、そう簡単に理想通りにはならないらしい。リチラトゥーラの精神は昔から大人びていたこともあり、そのまま成長したために、さほど感覚的には子供の頃と大きくは変わっていないのだ。追いついた、といえば例えとして近いだろうか。年相応になった彼女にとって、大人になるということは現状維持とも言えた。


(それでも、やらなければ)


 そう。これはリチラトゥーラにしかできないことなのである。たとえ彼女がそう思い込んでいるだけだったとしても、彼女は目的を成し遂げるためには自らをいとわないだろう。

 自己犠牲だと言われようとその足を止めることはない。その意志の固さは、きっと母親譲りだった。

 二回ほど深呼吸をして、リチラトゥーラは自室でもある執務室へと戻る。彼女の手は、あかぎれ始めていた。


 ❅ ❅ ❅


「……ねえ星藍せいらん


 リチラトゥーラの執務室兼自室に、彼女のたった一言が木霊する。それは現在彼女にあてがわれている従者の名であった。

 星藍と呼ばれた女性は、奥の部屋にある積み上がっていた本の山の中からひょっこりと顔を出して「はいはいはい」とその山を退けながらリチラトゥーラの側に向かった。山は相当なバランス感覚を保ちながら、揺れることなく星藍を外の世界へ出した。


「お呼びですか、リチラトゥーラ姫さま?」

「それ、長いから嫌」

「あ。そうでした。申し訳ございません、リチ姫さま」


 従者である星藍が彼女を愛称で呼ぶと、リチラトゥーラは少しだけ悲しそうな目をして微笑んだ。


 リチラトゥーラは日頃より、自身の愛称を呼ばれることを好いているが、それは親しい者にしか許していない。

 現在その愛称で呼ぶことを許しているのは三人。

 父親である国王と従者である星藍。

 そして、八年前に姿を消した、前従者のロウだった。

 八年前に信頼を置いていた父の部下が起こしたとある事件から、幼いリチラトゥーラは身近な人間をより疑うようになった。自分の身分から普段より他人を疑ってきてはいたが、その日、心を許していた者が家族を裏切ったのだ。当時のリチラトゥーラにとってこの出来事は相当こたえた。

 それからというもの、彼女は自分の信じられる者だけを側に置くようになった。


「……? リチ姫さま? どうしたんです、急に黙ったりして」

「! ええごめんなさい。少し、昔のことを思い出していたの。……それよりも、わたくしの話を聞いてくれる?」

「はい。その為に呼ばれたので」


 笑いながら話を聞いてくれるという星藍にリチラトゥーラは甘えることにした。


 ❅ ❅ ❅


「さっきまで、お父さまと会食をしていたの」

「それは珍しい。家族の時間は大事ですから、良かったですね」

「わたくしの考えを話したら、否定をされたわ」

「それは……」

「どうしてお父さまはわかってくれないのかしら」


 ついにふてくされたリチラトゥーラは遠い目をしながら窓の外で煌めく雪の砂糖を見つめた。話を聞いた星藍は「うーん」と数秒考える素振りをすると「仕方がないのでは?」と結局首を傾げた。


「どうして?」

「……失礼ながら申し上げますと、陛下はリチ姫さまのことをとても案じておいでなのですよ」

「案じられるようなこと、していないわ?」

「可愛い愛娘に、危険なことをさせたくないのですよ」

「研究は危険ではないわ」

「まあ、あなたにとってはそうかもしれませんけど……。ですが、その研究はあなたを傷つけているではありませんか」


 違いますか? とリチラトゥーラを見つめ続ける星藍の眼光は鋭い。リチラトゥーラは自分が彼女の主人であることをわかりつつ、彼女に何も言えなかった。


「……はっきりと主に意見をできるあなたが好きよ、星藍」

「”対等であれ”と仰られたのは姫ですから」

「それでも、そうあろうとする者は少ないわ」


 かつての従者を思い出し、リチラトゥーラは少しだけ胸を痛める。


「……ロウさん、でしたっけ。私の前任者だという……」

「ええ。彼、星藍あなたよりもわたくしにフランクだったわ」


 リチラトゥーラの頬が自然と綻ぶ。それは彼のことを思い出す度、あの幼き日々の思い出が彼女の中に蘇るからだ。けれどそれは同時に、悲しみの時間も思い起こさせる。


「……ロウ、元気でいるかしら……」


 吐息にも似たリチラトゥーラの声は、不意に鳴ったノック音によって掻き消された。


「? 何か言われました、姫?」

「……いいえ。なんでもないわ。それよりも今、誰かが訪ねてきたような気がしたのだけど」


 リチラトゥーラの言葉に答えるように、もう一度ノック音が室内に届く。二人は互いに目を合わせ、星藍は頷き部屋の扉に向かった。今日これから来客予定はなかったはずだったので首を傾げていると、少しして、対応に向かった星藍の「えっ⁉」という小さな悲鳴が聞こえた。リチラトゥーラもすぐに扉へ走った。すると、そこにいたのは思ってもみない人物だった。

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