第45話

「わたくしに縁談……でございますか? お父さま」


 ❅ ❅ ❅


 それは庭園へ向かう、少し前のこと。


 昼食の配膳を給仕しに何人かのメイドが部屋へ入室するのと同時に、父であるスニェークノーチ国王が「たまには一緒に食べないか」と、愛娘のリチラトゥーラに誘いの言葉をかけたのがきっかけだった。

 近年ではあまり食事を共にしなくなってしまった父娘の時間である。リチラトゥーラは「ええ」と誘いを承諾した。

 ひとり自室で食べる予定だったのが会食となったその時間、途中までは双方の近況報告などを交えた談笑だったが、ある程度食べ進めた頃、その話題が国王から不意に出されたのである。


「ああ。リチ、お前ももう十八、立派な大人だ。そろそろ相手を探し始めてもいい頃だと思ってね」

「ちょっと待ってお父さま。わたくし、結婚願望なんて無いわ? それにまだ成人にもなっていないし……」

「そうは言ってもね。……お前はいつかこの国を担う存在だ。その婿を探すには遅いくらいだと思っているんだよ」


 お前のお母さんも、そのくらいの年の頃には私と結婚したんだよと、国王はリチラトゥーラに諭すように言う。


 スニェークノーチ国では男女問わず、この国の成人年齢である二十歳を越え、王位継承権を持つ者が次代の国王となる。現在その権利を保有するのはリチラトゥーラひとりなので、次代の国王は女帝となる。女帝時代は過去にも何度か存在した。今更中傷する民も少ないだろう。


「だからって、どうして今なのです? わたくしには今結婚そちらに気が回せな……」

「それは——クルドゥ病の薬作りのことかい?」


 食器に美しく盛られていたサラダをひとくち口元に運ぼうとしたリチラトゥーラの手が止まった。


「それは我が国の医療機関に任せておけばいい」

「……ッ、ダメよ! のことを知っているのはわたくしだけだわ! わたくしがいなければ完成させることもできないかもしれないのに……‼」


 ガチャリと食器同士のぶつかる音が室内の空気を揺らす。リチラトゥーラが感情的になり国王を睨むが、国王が怯むことはない。一度小さく息を吐くと、彼は子供に言い聞かせるようにして言葉を口にする。


「リチ、もう我が国には訪れない。分かっているだろう?」


 父の言葉に、リチラトゥーラはその冬の双眸を大きく見開いた。


 春竜とは、かつてこの雪国に『春』という暖かい季節を届けに訪れていたと云われる伝説の竜のことで、八年前、リチラトゥーラの従者がその竜であったということは国民の記憶に新しかった。

 クルドゥ病は不治の病としてスニェークノーチ国では長らく国病認定されており、小児発症時の生存率は極めて低く死者が多かった。発病の原因が不明なことが、不治と云われ続けるひとつの要因とも言える。

 リチラトゥーラは八年前、偶然にも春竜によって命を世界に繋ぎ留めた唯一の人間だった。自身がクルドゥ病で生死を彷徨ったわけではないが、体内には少なからず春竜の名残が存在すると信じていた。そのため、子供の未来のために自分の血液を媒介とした春竜の『花鱗』の成分から抗生物質薬を作ろうと彼女はこんにちまで研究を重ねていた。

 しかし、彼女自身の血液サンプルだけでは追いつかないことも多く、ついに研究は難航し、薬を完成させることが困難となりつつあった。そんな、研究が最悪頓挫しかねない状況下での、婚姻話だった。


「……たとえ春竜さまがいなくたって、わたくしはやり遂げてみせます」


 リチラトゥーラの意思は揺らがない。それが今できる最善の策であると、自分自身にも言い聞かせるように彼女はそう宣言した。


 年々、かの病で亡くなっている国民は増えつつあった。彼女の母親である故妃、イザベラーニャ妃もまた同じ病で亡くなっている。亡くなりゆく国民が火葬場で煙となり天へ上る姿を彼女はずっと、ただ眺めることしかできなかった。城から眺めるだけの日々はもう耐えられない。たとえ自分ひとりが犠牲になったとて、その犠牲から大勢の国民を救えるというのならどうなろうと構わない。その覚悟がリチラトゥーラにはあった。だから彼女は率先してクルドゥ病の研究に参加しているのだ。


「リチラトゥーラ。我儘を言えるのは子供のうちだけだ」


 しかしその覚悟を、国王はたったその一言で絶った。リチラトゥーラは国王の言うことも理解していたが、それでも彼女には彼女なりにそこに譲れない想いがあったのだ。


 国の王女として、この国を守らなければならないという『責務』。

 そして、ひとりの人間として、ひとりでも多くの国民を救いたいという『』。


「……結婚をして子をなすことで国に安寧がもたらされると言うのなら、わたくしはそれは間違いと考えます。血筋を残すことこそが国を守ることだとは思えないもの」

「リチラトゥーラ!」

「失礼します。……ごちそうさま」


 これ以上、何を話しても無駄だと思ったリチラトゥーラは、メインディッシュを残して父との会食を後にした。ひとりその場に残された国王は深く息を吐くと、「頑固なところはお前に似たな」と困り顔で亡き妻の笑顔を思い浮かべたのだった。

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