第41話

 窓の外では、春の訪れを告げる花弁が降る光景が広がっていた。

 待ち遠しいと懇願し続けていたはずの『春』はどこか色を失っているように見えて、人々の顔に笑顔は少なかった。


 某日、春の訪れとともに、今代の冬がこの国を去った。


 スニェークノーチ国国王であったナーシャの国葬式が本日行われているのである。参列する国民の数はゆうに人口の半分を超え、彼女の棺には沢山のプランタンが供えられていた。


 ナーシャはとても華やかな場所が似合う女性だった。

 花を手向たむけられた棺の中できっと、彼女はとても幸せそうに眠っていることだろう。


 ❅ ❅ ❅


「……いいのか、傍に、行かなくて」


 部屋の窓からその光景をただ黙って見つめていれば、不意に背から声を掛けられる。しかし、その声の人物が誰か分かっても、ヒリューニャは振り向くことをしなかった。それどころか——。


「……私に、あのひとの最期に立ち会う資格はないから」


 ひとが変わったように、に対しての敬意を捨て去っていた。

 ローウェンは敬意が失われたことを気にすることなく会話を続ける。


「ナーシャの恋人も、同じ棺に入れたそうだな。……愛するふたりがともに眠れるというのは、きっと幸せだろうな……」

「……それが、私にできる唯一のだと思ったから」

「…………そうか」


 彼は、それ以上、何も訊けなかった。

 今になって『サリューティア』がいつか言っていた「後悔」という二文字がローウェンの思考を巡り埋め尽くしていく。


「……サリュートのことも、ありがとう」


 ピクリとヒリューニャの体が微量に動いた。


 あの日、ローウェンは自らの手で妹の時間を終わらせた。サリュートはどこか安心したような表情で、眠るようにして死んだ。

 その大きな体躯の亡骸は破壊した母屋よりも大きく、火葬するにも数日間を要すると推測された。

 そこでヒリューニャが『祈りのびょう』への埋葬を提案したのだ。


『祈りの廟』はスニェークノーチ城内に存在する、春竜を祀る神聖な祭壇であった。礼拝堂のような廟内にはサリュートが眠れるほどの広いスペースがあり、彼女はそこへ埋葬されることとなったのだ。


「感謝してもしきれない。本当にありがとう」

「そう思うなら」


 ヒリューニャが振り向いた。冬の双眸を憎しみの色へと変えて、隠していたのだろう短刀の切っ先を右手に握りローウェンに向けた。彼女は、泣いていた。


 ヒリューニャはあの日、左腕を失った。動かなくなった腕はだらりと遊んでいる。やるせない気持ちの表れのようで痛々しく見える。

 ローウェンは彼女の怒りや憎しみなどの負の感情を全て受け止めようと、決して彼女から視線を逸らすことをしなかった。


「そう思うなら、もう来ないでくれ。この国に『春』は必要ない……! 貴方の顔も、見たくない」


 国に降る雪の如く、突き刺さるような冷酷さを帯びた言葉の刃に、ローウェンは感情を乱すことはなかった。ただ一言、分かった、と言葉を落とすと、踵を返しヒリューニャの部屋を出た。

 外に出れば、白銀世界に淡い春が降り積もり、スニェークノーチ国を幻想的な世界へと誘っていた。


 ローウェンは未だに残る雪を名残惜しそうに踏みしめ、そして大きく深呼吸をして自身の周囲に温風を発生させた。風はそのままローウェンの体を包み込み渦を巻き始める。雪と花弁の舞が、スニェークノーチ城上空まで巻き上がり、そして一瞬にして治まると、その中心部に現れたのは——かの、春竜だった。


 外で参列していた民たちが春竜の姿を認識した途端に、彼らは歓喜した。

 ローウェンはそんな民たちの顔をひとつひとつ確認するようにして眺めながら、スニェークノーチ国の上空へと飛び立った。


 春竜の行く道の跡から花弁のようなものが国へ向かって降り注いだ。それは、彼が冬の国へと届けた『春』だった。


 春竜のもたらした、の『春』吹雪は——ちゃんと、彼女の心に届いただろうか?

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