第39話

 スニェークノーチ国の国民からすれば『春竜』という存在は、神聖であるとばかり信じられてきたことだろう。


 しかし今、ここに顕現せし『春竜』は


「グギャアアアアアッ」


 鼓膜を劈く金切り音のような咆哮が、城内を一瞬にして駆け巡る。ビリビリと震える床は地鳴りを上げ、今にも地割れして底が抜けてしまいそうだった。


 母屋が半壊したこと、そしてかつて見たことのない『春竜』が現実に現れたことで騎士団の近衛兵たちが騒ぎを聞きつけ突入してきた。『春竜』の姿を確認すると近衛兵たちは武装し持っていた猟銃を構え、そして『春竜』に向けて攻撃を開始した。


 暴走したサリュートは誰にも止められない。それはローウェンも例外ではなかった。


 半壊した母屋の隙間から、再び——今度は雄の——『春竜』が顕現した。

 その姿は暴走している春竜よりも一回りも大きい。

 雄の春竜はあらゆる災害から守るようにしてヒリューニャ、ナーシャ、そしてノークの三名をその大きな腕に抱いて瓦礫から出てきたのである。敵と対峙している近衛兵たちにとってそれは、まさに異様な光景だった。

 雄の春竜——ローウェンは瓦礫を優しく退けていく。体がいくら傷つこうとも、ローウェンは三人を放ることをしなかった。

 安全であると確認した場所に彼女たちを静かに横たわらせると、そのままローウェンは暴走し続けているサリュートのもとへと飛び立った。


 ❅ ❅ ❅


 ローウェンは暴走する妹を治めるため、彼女に勢いよく喰らいついた。首に、腕に、胴体に……。次々と二匹の春竜は互いにその鋭い牙を体に喰い込ませて、巨躯中に噛み傷を作っていく。

 どこからか“ドンッドンッ”と銃弾の雨が頭に重く響く。それらは全てサリュートに向かって放たれる。撃たれた場所から、ドクリドクリとが零れていく。


 ああ、なんて酷い地獄絵図だろう。

 阿鼻叫喚が止まない城内はやがて混乱の深海へと沈んでいく。


 サリュートが叫ぶ。


 もう嫌だ。怖い、怖いよ。

 もう疲れた。もういい、もういい、と。


 声をらし、涙を垂れ流しながら、サリュートは叫び続ける。


(……今すぐ楽にしてやるからな、サリュート……)


 ローウェンは家族あにとしての心を押し殺し、覚悟を決め、サリュートの首に思い切り喰らいついた。

 サリュートがガァッと咆哮を放ち抵抗した瞬間に、ローウェンは一気に彼女の首を噛み砕いた。


 それが、せめてもの情けだと、思った。


 鈍く響いた骨音はやがて残響となり、雨が、降り始めた。

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