第25話

 のそり、と雄竜の躰が動いた。その巨躯ゆえに、少し動いただけで地震のような揺れが城内に起こる。バランスを崩さないようにして立っていると、不意に雄竜の顔がヒリューニャの視界を覆い尽くした。

「え……」と吐息にも似た声を発したのと同時に、雄竜のざらりとしたぬるい大きな舌が彼女の首に触れた。妙にくすぐったくて、何故か気持ちがいい。舐められたのだと気がついたときには、すでにその行為は終了していた。


 雄竜は静かにヒリューニャから離れた。舐められた箇所に熱が籠ったような感覚があったが、不思議と嫌な感覚ではなかった。この熱を少しでも感じていたいと思った彼女は、そっと首元に手を触れた。そのとき、ヒリューニャは可笑しなことに気がついた。


 自らの刃で傷つけたはずの刃傷が、消えていたのである。


「……無い……」


 ハッとしてヒリューニャは雄竜の目を見た。雄竜は目を伏せ、傷ついた翼をゆっくりと広げる。暖かい風がその場で巻き起こり、ヒリューニャたちは思わず目を瞑った。

 風が落ち着いた頃、視界を開けばそこには——。


 そこには、ひとりの青年が立っていた。


 ❅ ❅ ❅


 その青年は、どことなく儚げで、触れてしまえばこの国の雪のようにほろほろと消えていってしまいそうな……そんな雰囲気を纏っていた。

 そのつややかな漆黒の髪はくりくりとした癖毛で可愛らしい。しかしながら前髪で隠れてしまっている双眸は、先ほどまで彼女たちの目の前にいた雄竜と同じ、ギラギラと燃える炎のような紅い瞳が覗いていた。その眼光にヒリューニャは無意識のうちに息をすることを忘れた。


「春竜、さま……?」


 ヒリューニャは目の前に佇む青年を、迷うことなく“春竜”と呼んだ。青年は彼女たちを一度見渡すと、小さな声で何かを呟いた。その何かは一番近くにいたヒリューニャでさえ、ギリギリ聞き取れる声量だった。


「ナーシャ! 至急、医療班を呼んでください!」


 勢いよく振り向いたヒリューニャの表情はどこか焦っていて、ただならぬ空気をナーシャは彼女から感じた。


「どうしたの⁉」

「今からが、雌竜さまを人型に変えてくださるそうです! 治療の準備をお願いします!」

「……! 分かったわ。——医療班をここに呼んで頂戴。負傷者二名、どちらも重傷よ! 早く!」


 ナーシャの言葉により、その場にいた臣下たちはすぐに行動に移った。それぞれが動き出したところで、青年は雌竜の傍に寄り、ふぅ……と優しい息をかけた。すると青年に似た少女が大理石のタイル上に現れた。


 彼女たちの迅速な行動を見て安堵したのだろう。青年の体がぐらりと傾いた。ヒリューニャはその瞬間を見逃さなかった。すぐに持ち前の足の速さで、咄嗟に倒れそうになる青年の体を支える。よほど無理をしていたのだろう、青年はすでに意識を手放していた。その体重は成人男性にしては驚くほどに軽かった。


 ほどなくして城内医療班が王の間に駆けつけた。雄竜と雌竜だと思われる男女は担架で運ばれていき、その姿をヒリューニャは彼らが視界から消えるまで見つめていた。


 首元はまだほんのりと熱を帯びていた。

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