第24話

「それは……さま……ですよね?」


 ナーシャはヒリューニャの言葉に、静かに頷いた。


「ええ。それもつがいのね。でも怪我をしているようなの」


 彼女の一言でヒリューニャはハッとする。確かにしっかりと見ると、番いと思われる竜たちは所々に痛々しい怪我を負っていた。特におすらしき竜は重傷のようで、今にも息を引き取ってしまいそうだった。

 何があったのか想像しがたいが、めす竜の怪我が少ないことから、雄竜が雌竜を守ったのだろうとヒリューニャは推測した。


「……困ったわ……」

「ナーシャ?」

「いえね、傷の手当てをしたいのだけれど……これではできないのよ」


 ……確かに、とヒリューニャは頷く。

 これだけの巨躯である。いくら城内にいる者たちを集め総出で処置を行おうとも、手当てを終えるのには相当の時間を要するだろう。かといって、このまま回復するまで放置し続けることもできない。


 ここは“王”の間だ。


 いつまでもこのままにしておくわけにはいかない。何か策はないかと思案していると、近くで小さい悲鳴が上がった。聞こえた方向へ視線を向けると、雄竜が気がついたのかその身を起こそうとしていた。

 ボタボタと雄竜の口元からよだれが垂れるように、王の間の大理石に赤い斑点模様が作られていく。雄竜は雌竜を周りの人間たちから庇うように覆い被さっていた。

 騎士団数人と臣下がナーシャを守護するようにしてサーベルを構える。それが雄竜の目には『攻撃』に映ったようで、ヒリューニャたちに威嚇の唸り声を上げた。まるで雌竜に危害を加えるのではないか、という警戒心の現れだった。雄竜は雌竜を守ることに必死だった。


 何を思ったのか、気づいたときにはヒリューニャの足は雄竜のもとへと進んでいた。方々から名前を呼ばれているような気がしたが、今の彼女に届く気配はない。妹の意図を察したナーシャは、臣下たちに武器を下ろすよう命じた。


 ゆっくりと雄竜をこれ以上刺激しないように、静かにヒリューニャは近づいていく。周りの者たちは、ただ固唾を飲みヒリューニャの行動に内心ハラハラしていた。

 ヒリューニャが雄竜の目の前まで近づいた。雄竜は彼女を警戒し続けていた。

「……春竜さま」とヒリューニャが話しかけると、その瞬間雄竜が威嚇でギャアッと咆哮した。その声圧にヒリューニャは思わずバランスを崩しふらついたが、何とかその場に踏みとどまった。


「春竜さま、どうかその怒りをお治めくださいませ。我々は、決して貴方さま方に危害を加えることはいたしません」

「グルルルゥ……」


 雄竜はヒリューニャを見つめる。先ほど彼女が伝えた言葉が真意であるかを確かめるように、じっと見つめている。

 雄竜が見つめる理由を理解したヒリューニャは微笑み、おもむろに腰に差していたサーベルに手を触れた。抜刀し、そしてその刃をゆっくりと雄竜に見せたかと思えば、あろうことかその刃を自身の首元へとピッタリと当て添えた。少し当たったのか、刃が触れる部分から赤い液体がツゥ……と一線を描いた。

 周囲の臣下たちが唖然とする中、ただひとり、姉のナーシャだけは静かに妹の行動を見守っていた。


(自分たちに敵意が無いことを示しているのね)


 彼女いもうとだからこそできる行動だ。ナーシャは目の前で崇高な存在である春竜を前に、一切の怖れを見せないヒリューニャを誇りに思った。


 雄竜の瞳は驚きの色を帯びていた。きっとサーベルの刃は自身に向けられるものだと思っていたからだろう。

 だがどうだ? 実際は、敵視していた目の前の人間が自らの身体しんたいに、いやに手入れのされた白銀の刃を己の首筋に当てているではないか。

 人間特有の、甘い血の臭いが雄竜の鼻腔についた。


「……んっ、あ……申し訳ございません。お見苦しいものを……」


 ヒリューニャはなまめかしい声を発して、血を流したことを雄竜に謝った。

 何故謝るのだろう。傷を負い、苦しいのはこの人間のはずなのに。それでも尚、自分に微笑むヒリューニャに雄竜は怒りの熱を徐々に鎮めていった。


『………………』


 ふと、ヒリューニャの脳内に弱々しく低い音が響いた。勢いよく顔を上げて周囲を見渡すが、身内の者が声を発したわけではなさそうだ。


「……春竜さまが、話されたのですか……?」


 ヒリューニャは思わず目を見張った。雄竜は静かに彼女を見つめている。


「我々の、思いは伝わりましたか……?」


 彼女の問いに雄竜は『ああ』と返事をするように目を伏せた。

 伝わった。伝わったのだ。ヒリューニャは春竜との意思の疎通に成功した。周囲で息を飲んでいた臣下たちもナーシャもその瞬間、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。

 もうこの行動をする意味はないと判断したヒリューニャは、首元に当てていたサーベルの刃を放し静かに仕舞った。

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