第21話
「…………ロウ、なの……?」
薄紅の竜がリチラトゥーラの問い掛けに視線を向ける。竜は「そうだ」と訴えているように思えた。
リチラトゥーラはその体躯の美しさに思わず息を忘れて見惚れる。
薄紅の鱗は一枚一枚が太陽に照らされて輝き、雪融けの露に濡れたことで煌々と光が揺らめいている。丘さえも覆ってしまえるような大きな翼は優しさの形をしていた。
そして、ロウと変わらない、柔らかい紅の瞳……。
「そう……お前、ロウなのね」
グルルル……と喉を鳴らし返事をする竜。ゆっくりと竜はリチラトゥーラの頬に顔を寄せた。彼女の体ほどもある竜の顔であったが、触れる力は優しかった。
ふとリチラトゥーラの脳内に声が響き渡る。ロウの声だ。
——……さっき飲ませたのは『花鱗』。春竜の鱗には、いかなる病も治してしまうほどの力がある。知っているな?
それは絵本の中の話。所詮はただの夢物語だ。
「……でもあれは、おとぎ話でしょう?」
——ああ。そういうことになっている。けれど、あの本に書いてあることは事実だ。現に、おれがここにいる。
「……うそ……」
——……おれが嘘を言っているように見えるか?
ロウが、悲しそうな目をしてリチラトゥーラを見つめる。彼女は首を横に振った。
「……いいえ。見えないわ。お前は嘘を言わないもの」
リチラトゥーラは半信半疑であったが、ロウの言葉により彼の全てを信じることにした。今ここにいるのは、かの春竜である前に、従者であり続けたロウというひとりの人間なのだ。
「……これからどうするの?」
これからのことがなんとなく想像できてしまった。リチラトゥーラは悲しげにロウの顔を撫でる。ロウはふっと微笑み、彼女に答えた。
——故郷に、帰ろうと思う。
「……故郷のこと、憶えていないって……」
——……いや、本当は少し前に全て思い出してたんだ。……おれの故郷は、西国の果てにある、この花と同じ名前のプランタンという島だ。
「西国の、果て……」
——もう、この国でおれが『ロウ』として生き続けることはできないんだ。……命を救ってもらった恩があるのに、ごめん。
リチラトゥーラは俯き、首をふるふると横に振った。
「……別に、構わないわ。いつかはこうなると、思っていたもの。その時間が、早くなってしまっただけ」
——そうか。
「……元気で過ごすのよ」
——ああ。
「もう、この国に近づいてはダメよ」
——それは……約束できない、かな?
「……約束してよ……。じゃないと……いじめられちゃうよ……」
リチラトゥーラはその場に泣き崩れてしまった。今まで我慢していた涙が次々と溢れ出てくる。ロウがいなくなってしまう悲しさ。現実を受け止めきれない自分への歯痒い気持ち。そんな負の感情が入り混じった、ひとのために流れる美しい涙だった。
その気持ちを汲み取ると、愛しているよ、とロウが一言彼女の耳元で囁いた。そしてリチラトゥーラの頬にキスを落とすと、翼をおもむろに広げた。
風を切る音を鳴らしながら翼を広げる。薄紅の竜は故郷という西国の果てを目指してプランタンの丘を勢いよく飛び立った。
リチラトゥーラは止めどなく溢れるその涙を堪えながら、これが今生の別れではないと信じて彼の門出を心から祝った。
ふと、空から何かがスニェークノーチ国全土に降り注ぐ。雪かと思われたそれは、触れてみると甘い香りを放つ『花弁』だった。この国では見たことのない、彼女の髪色に似た桃色の花弁。
(……プランタンの花にそっくり……。でもこれはきっと……)
そう。これは彼がこの国に届けてくれた『春』だ。
春竜は『春』を届ける伝説の竜。ロウは、彼の存在する意味を、その身を持って証明してくれたのである。
「……春を見せてくれて、ありがとう……ロウ」
リチラトゥーラは丘から見えるスニェークノーチ国を眺める。『春』吹雪が舞う、温かい空に心が自然と躍る。
彼の故郷である西国の果ての島とは、どのような場所なのだろう。
いつか大人になったとき、自分から彼に会いに行きたい。
リチラトゥーラは『春』を見上げて、心からそう思った。
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