第18話

 リチラトゥーラは口をはくはくとさせて呼吸が満足にできていない。その症状はまるで毒を摂取した日の様子に似ていた。そこでロウは、あの小型ナイフに毒が塗られていたと気づいた。


「てめッ……! リチに何をした‼」

「そう怒るなよ——

「————」


 ロウは、絶句した。『何故』という表情でジュードを見る。彼のその表情こそが『肯定』であると言っているようなものだった。


「姫には少しの間黙っていていただくために弱い毒を受けてもらいました。ああ、命までは取れるような強さではありませんが……三日ほどは寝込まれるでしょうね」


 これだけ苦しんでいるというのに、本当に死ぬことはないのか? 今、この瞬間にも消えてしまいそうな小さな命にロウの心は悲鳴を上げていた。同時に沸々と湧き上がる怒りの熱が全身を駆け巡る。視界が妙にクリアになっていく。この感覚には、憶えがあった。


「紅い瞳……! やはり私の推測は間違っていなかった!」


 ジュードはロウにゆっくりと近づき顔を掴み自分に寄せる。いびつさに覆われたジュードの表情に恐怖すら感じる。今自分の瞳の色がどうなっているのかは自分では把握できないが、目の前で笑う男の言う通りなのだろう。興奮が冷めやらぬのか、恍惚として彼は言う。


「……ねえ、春竜さま。何故三年前、この国に『春』をお届けくださらなかったのですか?」


 ジュードの声が腹部の中心に低く重く響いた。その表情は打って変わり『恨み』と『悲哀』が入り混じったものになっていた。何の話だ、とロウは黙りながら彼の次の言葉を待った。


「あのとき、あなたさまがこの国に『春』をお届けくだされば、助かった命があった——それなのに!」

「ぅぐっ」


 ロウはジュードに思い切り顔を蹴られる。軽い脳震盪のうしんとうを起こすも、今ここで意識を失うわけにはいかないという理性が働いた。

 今ロウがすべきことは、国からの応援が来るまでの間、目の前に立ちはだかるこの『賊』の注意を引き続けることだった。いや、自分はまだ耐えられるがリチラトゥーラはすでに限界に近かった。

 小型ナイフに塗られていた毒がどんな成分なのかは分からないが、早く何かしらの解毒剤を投与させなければ。ロウの焦りは募るばかりだった。


は、イザベラーニャさまが大変な時期に、もうそのときにはお前はこの国にいた! そのはずなのに! お前は自らの使命を忘れた! 『春』を届けることをしなかった……‼」

「…………」

「国王は! 王という地位にありながら、使! それこそ国罪だとは思わないか⁉ 国に『春』を届けなかった国王こそ、裁かれるべき存在だとは思わないか⁉」


 ジュードの興奮は止まらない。情緒は不安定だ。ロウは動けないながらもリチラトゥーラの安否を確認し続けている。彼女は「ヒューヒュー」と喘鳴を打ちながら、まだ生きようと必死に頑張っている。


(頑張れ、頑張れ、あと少しで助けが来るから……!)


 ロウは、自分の表情が彼女に見えているか分からないが、見えていると信じて心の中で必死に言葉を投げ掛ける。瞬いたリチラトゥーラの瞳から、溜まっていた涙が一粒、頬を伝った。その様子を確認したロウは静かに微笑んだ。

 そんなふたりのやり取りに気づいたのか、ジュードは感情を爆発させて勢いよくリチラトゥーラの胸倉を掴んだ。幼い彼女の体が、いとも簡単に宙に浮かぶ。苦しげに歪む彼女の表情が、ロウの視界を埋め尽くしていく。


 ぷつん、と何かが弾ける音がした。


 その弾ける音が耳に届いた瞬間にロウの意識は完全に闇の底へと沈んでいった。

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