後編

 蝉の聲が響いている。

 これは、地球外生命体の聲か?




「馬鹿馬鹿しい」



 俺は吐き捨てる。だが、頭に思い浮かぶのは昆虫のその容姿だ。生物と呼ぶには、どこかメカメカしい姿。幾何学的な目、ロボットのアームのような肢、そして、パカリと広がる翅。そんな姿をした蝉を思い浮かべて――それでもと、俺は頭を横に振った。



「だから何だって言うんです?」



 確かに、興味深い話ではあった。暇つぶしにはなるだろう。だが、それでこの話は終わりだ。昆虫が宇宙から来たと言われても、どう反応すればいいか分からない。それにこの話は、空想であり、妄想であり、憶測にすぎない。研究が進めば科学的に否定される日も来るだろう。


 だが、天津先輩は俺の反応を見て、思惑通りだと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべた。



「そう。ここからが本題さ」


「?」


「君は、蝉の聲を『うるさい』と言ったね」


「……まぁ、はい」


「蝉のを、うるさいと言ったね?」



 つまり君は、あの蝉の放つあの音を、音を処理する右脳ではなく、言語を処理する左脳で処理しているんだね、と。松虫まつむしに、鈴虫すずむしに、蟋蟀こおろぎに、轡虫くつわむし――地球外生命体の放つ音を、言語として理解しているんだね、と。



「まさに、『嗚呼、面白い虫の声♪』ってやつだ」


 

 聞いたことがある。これは、日本人の面白い特徴の一つだ。マンガで、背景音を表現するのに「ミーン、ミーン」ってオノマトペを書くように。松虫はチンチロリン、鈴虫はリンリン、蟋蟀はキリキリ、轡虫はガチャガチャと歌で表現するように。虫の放つものが、音として処理するか、それとも声として処理するかは、母語の影響と言われている。


 虫の放つ音を、声として処理するのは日本人とポリネシア人だけだそうだ。つまり日本人は、地球外生命体の放つ音を、声として認識できる数少ない人々のことであり、日本語を母語とすることは、地球外生命体言語を理解するためのトリガー、ということになる。



「そう言えば、日本語は世界の中で『孤立した言語』というらしいじゃないか――系統不明だと。もしかしたら、宇宙から来た言語かもしれないね」


「いやいやいやいや……」


「言語が外部からもたらされるなんて例は、世界史を見ればよくあることだろう? アメリカ、メキシコ、ブラジル……英語に、西語に、葡語だ」



 こうは考えられないだろうか? 遥か昔、宇宙からやって来た生命体が、現地人とコンタクトを取るために与えた言語――日本語。よく、言語は生き物だと言うように、外来生物が固有種を駆逐するように、ついに元々の言語は駆逐された。母語は、使用者の思考様式を支配し、人格を作り上げる。そうやって、埋め込まれた日本語は、日本人の脳の構造を変化させる……脳に棲みついた寄生のように。



「そこまで言うんだったら、証拠を見せてください!! 宇宙人がいるって証拠を!! 俺たちに日本語を与えた地球外生命体は、今どこにいるんです? そんな不思議な出来事があったんなら、記録があるはずだ!!」


「おや? 君は今もその地球外生命体に監視されているんだけどね? 気が付かないのかい?」


「――ッ!?」



 空を見上げればいい。

 宇宙に目を向けるのだ。


 たったの38万キロ先だ。


 そこには、衛星と呼ぶにはあまりにも大きすぎる天体が、ポカンと浮かんでいるはずだ。有史以前から、人類に……いや、地球上の生命に影響を与え続けてきた天体が。潮の満ち引きに影響したり、自転速度に影響を与えたり、人間の精神にさえも影響を与える存在が。


 地球外生命体の記録なら――天から人が降りて来た記録なら残っている。古いものなら天孫降臨。日本各地に散らばる羽衣伝説。そして、古典の一つである『竹取物語』。日本語のおかげで、日本人は天からの使者とコンタクトを取ることができた。


 いつも同じ面を向ける月。

 月はいつも地上の世界を見ている。

 だが、決して裏側は見せない。


 そして、日本神話のなかでは、月読ツクヨミの言及がほとんどない。まるでその正体を隠すかのような月夜神つくよみ


 古来より、月の世界は死後の世界と見なされた。


 つまりは冥界。


 冥府の神といえば閻魔えんま大王が連想されるかもしれないけれど、彼はもともとヤマयमという名の神。そして、そんな冥界の神の言葉は、ヤマの言葉――ヤマトコトバ。


 

 天津神あまつかみとは、天の神。

 ――アマトゥカミ。

 「トゥ」は「の」を意味する助詞。



 ヤマトゥコトバは、ヤマの言葉。

 大和言葉。




「――と、ここまで私はで説明してきたわけだが……。どうだったかな? 地球外生命体とお喋りをした感想は?」






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虫の聲が聞こえるから げこげこ天秤 @libra496

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