第5話

 全国民がインテリジェンスハウスに入居可能になった。

 六畳間に満たないワンルームの狭い部屋であれば。

 ただ、置くものが少なく済むため、普通の一人暮らしよりは手狭ではない。

 冷蔵庫や電子レンジは不要だ。食事は必要になれば提供される。

 洗濯機や掃除機は不要だ。洗濯物は回収され、掃除は自動で行われる。

 新政府は全ての人間を管理下に置きたがっている。

 インテリジェンスハウス以外への生活支援が打ち切られると発表された。

 電力供給も打ち切られた。現在の日本で冷房を失うことは死を意味する。

 自家発電できる家以外に住むことはできなくなっていた。


 僕たちを乗せたバスは北上していた。

 少しだけ冷房の効いた車内は、蒸し暑かった。

 車内の床では芋の栽培が行われていた。

 複数が並走しているバスのうち、僕は食料を自給自足するバスに乗っていた。

「暇だな」

 ユウトがポケットからスマホを取り出して言った。

 スマホの通信機能は使用できなくなっていた。

 スマホを取り出したのはただの習慣からだった。

「そうだね」

 僕は窓の外を見ながら応えた。

 僕たちのスマホだけではなく、日本中でスマホの通信機能は使えなくなっていた。

 インテリジェンスハウスはインフィリッジの材料である人間の家畜小屋である。

 その噂を書き込むと、書き込んだスマホが通信不可になった。

 その言論統制により、むしろ噂は真実味を増し、書き込みは活発になった。

 そして、新政府は、噂の書き込みの有無に関わらず、全電子機器の通信を絶った。

 一部のネットを経由しない無線でなんとか遠距離通信ができている状況になった。

「そういえば、あのポーンの子、大丈夫なのか?」

「ハルコ? さあ、連絡手段がないからね」

 人間関係が希薄な人からインフィリッジの材料にされる。

 昨今の日本では、インターネットにしか人間関係を持たない人は多い。

 もしもローカルなコミュニティに属していない場合は、有力な材料候補となる。

「インテリジェンスハウスに住んでるんだろ?」

「うん」

「案外、何も知らずに、楽しく暮らしてるかもしれないぜ」

「そうだね」

 バスが止まる。

 片道二車線の道路上で、横には大きなビルが立っている。

 ビルの壁をスクリーンにして文字が投映される。


 朝6時まで停止。

 A班は、住民がいるか確認。


 僕たちはA班だった。

 仕事の時間だ。

 拡声器と打ち上げ花火を手に取る。

「俺は西から見て回る」

「じゃあ、僕は東だ」

 車外に出て、まずは、スマホのライトを点滅させる。

 ビルに投映しているバスからもライトの点滅が返ってくる。

 これが了解の合図だった。

「健康状態をチェックします」

 ドローンは熱を出しながら僕の直上に来た。

「誰かいませんかー!」

 僕は拡声器を使い叫び、耳を澄ました。

 ドローンのプロペラ音の中にどこかから返事が聞こえた。

「どこにいますかー!」

「ここだー!」

 声のした方向にはマンションがあった。

 見上げると3階から男が顔を出している。

 今は日が暮れたばかり。気温は約40度を下回ってはいないだろう。

「分かりましたー! すぐに向かうので、部屋の中に戻っていてくださーい!」

 男の顔が一度頷いてから引っ込んだ。

 マンションの扉を開ける。ドローンはついてこなかった。

 エントランスの蛍光灯はついていない。エレベーターも動いていなかった。

 階段を登って3階に向かう。

 3階にある部屋のドアが一つ開いた。男が顔を覗かせる。

「こっちです」

 僕はその部屋に入って、ドアを閉めた。

 部屋の電気はついていなかった。部屋の中は人が暮らせる温度にはなっていた。

「助けに来てくれたんですよね?」

「はい」

「良かった……」

「あなただけですか?」

「いえ、妻と、二人の娘が向こうの部屋にいます」

「娘さんの年齢は?」

「3歳と1歳です」

「分かりました。我々は北海道に向かいます。一緒に行きますか?」

「……はい」

「分かりました。ベランダはどちらですか?」

「こちらです」

 男に案内されて僕はベランダに向かう。

 ベランダのある部屋には男の妻と二人の娘がいた。

 衰弱して動けないということはなさそうで安心する。

 ベランダに出て打ち上げ花火を取り出す。

「攻撃してはダメだ!」

 男が慌てたように言った。

 どうやら、打ち上げ花火がドローンを攻撃する武器に見えたようだった。

「大丈夫です、攻撃はしません。ただの合図です」

 僕は空に向けて花火を打ち上げた。できたての夜空を花火が彩った。

「これで車が来ます」

 小さな子供や、衰弱がひどい人がいた場合は車で移動させることになっていた。

「すいません、大きな声を出してしまって」

「気にしないでください。ドローンを攻撃すればどうなるかは僕も知っています」

 スマホの動画で見たことがあった。

 誰のスマホかは分からないが、動画を撮影したスマホ自体を皆で回して見た。

 攻撃されたドローンが、攻撃をした人間へ反撃するの動画だった。

 その人間は簡単に死んだ。

 地上の人間と上空のロボットは、血を這う虫とその捕食者の鳥のようだった。

 だから、行くあてのない人々を連れて、反撃もせずに逃げるしかなかった。

 ドローン自体が自発的に攻撃を始める恐怖に怯えながら。

「おーい、聞こえたら返事をしろー!」

 外から声が聞こえた。ベランダに出て応える。

「こっちだー! 入口で待っていてくれー!」

 僕は四人家族を見た。

 そして、少しだけ想像した。

 もし彼らがインテリジェンスハウスに入居していれば、どうなっていたか。

 僕は、インテリジェンスハウスは未だに楽園のままだろうと思っている。

 完全な管理の下に情報統制がなされて、新政府に不都合なことは起こらない。

 人々は反乱などは考えもせず、平和に暮らしているはずだ。

 であれば、この四人家族はどうなっていただろうか。

 子供のいる家族であれば自ずとどこかの集団に属することになっただろう。

 消えて影響の大きい人は、生贄に回されるのはかなり後になるはずだ。

 もしかしたら、死ぬ寸前まで幸せに暮らせていたのかもしれない。

 新政府に管理されたインテリジェンスハウスの街の何も知らない集団の中で。

「下に降りましょう。車が来ています」

 ドアを開ける。

「暑いよぅ」

 子供が小さくつぶやいた。


 暑さが判断力を失わせ、日本人は気がつけば新政府の作った檻の中にいた。

 日本人は、新政府の管理下から逃げ出すことができるのだろうか。

 この灼熱の世界で。

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インフィリッジ 睡田止企 @suida

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